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園長の日記

感情の震度〜気持ちが充満する空間の密度

2024/03/26

最近、こんな光景があったそうです。4月ですぐに3歳になる1歳児クラスCさんが「(気持ちが)落ち着いたら、やったら」と、手を洗おうとしない同じクラスのYくんに優しく声をかけたそうです。こんな小さな子どもの気持ちを察してこうしたら?と提案しています。

そこでYくんに先生が「何か嫌だったの?」と聞くと、どうも水道の水が「冷たい」から、どうしようかな?と思っていたらしいのです。さらにこの話にはオチがあって、同じクラスのもう一人の子(この子は5月で満3歳になります)が「もう少し待ってあげたら」と先生に苦言を呈したというのですから、面白いですね。

それを聞いた先生が「ハッとして、反省したんです」と、子どもの微笑ましい姿を思い出しながら、「あの会話を録画しておきたかったなあ」と悔やんでいます。つい大人はこうしたら、ああしあたら、と行為を促すような言葉をかけてしまいます。

自分の気持ちをお友達の気持ちにかさね合わせているとか、相手の気持ちに気づいているとか、そういう解釈は色々できるのですが、そして大筋そういうことなのでしょうが、担任はこういうのです。「やっぱり自分が経験したことから、どんな風にしてもらいたかをわかっている。周りのお友達が自分のことを気遣ってくれていること自体で、何か安心してまたやろうとする気持ちになっていくみたい」。気持ちの通い合いというのは、いわば水の流れのようなもので、そこに相互の波長があうと感情の「渦」のようなものができるのかもしれません。

この事例は3人が作った感情の渦ですが、もっと大きくもなるでしょう。またすぐに消えてしまうかもしれません。その経験はきっと何らかの形で生きていく。

私たちはなんとかして行動に移させようと、あれこれやるのですが、それだけではなくて意味に気づくことも大事なのですが、その取り巻いている感情の動きから、自分にあたってくる感情の感触のよさみたいなものがあって、それが気持ちを動かして行為となって現れるみたいなことがあるかもしれません。相互の中で動く温かい気持ちの渦のようなものが、Yくんを巻き込んで動き出させているというように。

別に目に見えるものではないのですが、その子たちにとって、自分の気持ちを出せる範囲が周りの子どもたちとの気持ちを感じながら、その居心地のいい感覚を自分で再認識するようなことが起きているかもしれません。

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