MENU CLOSE
TEL

園長の日記

ぼんやりと徒然なお正月の時間

2023/01/02

子どもがそばにいる家族と、私のように乳幼少期の子どもがそばにはいない者と、あるいは親戚や友人が集まってワイワイ過ごしているのとでは、正月の過ごし方も時間の流れ方も全く異なるものでしょう。どんな形であっても、それぞれが自分で過ごしたいように過ごせているなら、それに越したことはないし、またそうではなくても、ひと時の「お正月」という、子どもが好きそうな時間だけに、そちらに譲ってあげているという気分の方もいらっしゃるでしょう。

身近なところに郵便局にお勤めの方がいらして、昨日の元旦は配達で大忙しの日。せっかく正月返上で届けてくださる方に申し訳ないので、よる保育園に一度出かけて年賀状を確認しました。お年賀、ありがとうございます。今日は郵便配達の方にはゆっくりと休んでいただき、本当に一年の中で何もしない、と決めた今日は、キャンベルの神話の世界に没頭させてもらいました。徒然なるままの時間をぼんやりと夢でも見るかのように・・

・・・この神話の世界は、まるで大人のお伽噺のようであり、また真面目にも、全ての現代人にとっての精神の人生案内のようでした。人間はどこからきてどのように生き、どのように帰っていくのかの物語です。そして個人も世界のありようの偉大さに気付かされてくれるという意味で、本当に大きな示唆をもたらしてくれます。ここでその反復は避けます。ちょうどテレビで「詩は感じてなんぼ、音楽は聴いてなんぼ、おせちだって食べてなんぼやろ」って、関西の料理人が言っていて、生きる喜びを言葉で説明しようとして台無しにしちゃうのと同じ。キャンベルも「神話は真実の一歩手前を伝えている」みたいなことを言っています。

そんなうとうととした中で、いろんなことが思い浮かんでは消え、思い浮かんでは消え・・・保育における物語性とか、人生のPDCAはこれだとか、マイノリティの声をどう聞くかとか。

そして神話を読むことになった発端となった「現代の通過儀礼は何か」ということについては、こんな見方も一つかも、と思ったりもしています。熱狂するスポーツ観戦(駅伝も)や野外ライブ、コミケやEスポーツなど各種イベントとメディア(SNSを含む)が相乗効果をもたらしながら、しかも各方面へ分散されて機能しているように、見えなくもありません。アキバに保育園があるので、アイドルの衣装が本当に偶像のようであり、若者のそれぞれのプチ英雄がメディアの中でそれぞれの仮面をつけて踊っているとでも言っていいのしょうか? 紅白も格闘技も。

ただ運命のような大きな物語にはあまり気づかれることなく? あるいは「天球の音楽」は聞きそびれたまま? いいえ、ちゃんと聴いている人には届いているのでしょう。ただ、それを分かち合うことが難しくなっているところに、広い意味での教育の役割があるのかもしれません。この本の二人の対話が見事にそのモデルを示して誘っているように、です。

top