MENU CLOSE
TEL

園長の日記

保育を「商品」にしてはいけない

2021/12/26

ぐんぐん組のブログで、屋上で長縄跳びをめぐる子どもの心の通いあいが描かれています。子どもの心の機微を想像しながら、それをそっと包み込むような立ち位置にいる保育者の仕事の質を、誰かが値踏みすることなんて、できるだろうか? できはしない! と考えてしまいました。この人の育ちの過程に見つかるエピソードの数々に値段をつけることはできません。ましてや、保育がどこからどこまでで、ここから保育の商品です、なんて線引きはできません。生活の中に空間や時間の区切りをつけて値段をつけることはできないのです。時間を区切って預かるということと、私たちが実践している保育とは、似て非なるものです。

保育はお金にならない。そういうと、起業家が保育を事業化しにくい、と言っているように聞こえてしまうかもしれませんが、そういう意味ではありません。保育は儲からない、そう言うことではなくて、保育は商品のようにはできない、と言う昨日の話の続きです。

最初に、余談です。

こんなものまで値段がついて商品になっているのか、とびっくりすることが時々あります。坂本龍一の映画音楽「戦場のメリークリスマス」が、1万円でネットで売られていることがニュースになっていました。1万円か!と高いなあ、と思って見ていたら、ご存知の方も多いと思いますが、「戦場のメリークリスマス」の1曲ではなくて、その曲を構成している音符、音、一つが1万円なんです。300だか500だかの音符でできているのそうですが、それが完売したそうです。しかも、早くもネットオークションで、さらにその一音が60万円もの値がついていると言うから、物の価値が本来の使用価値から遠く離れて、投機目的の価値、つまり使う目的ではない、資本増殖の価値にどんどん転化してしまうことの、わかりやすい例ですね。ただ、最初の一音1万円のほうの収益は、慈善事業に寄付されるそうなので、生活基盤を支える「富」の方へ還元されるので、ちょっとホッとしました。

そこで話を戻すと、保育園での保育に値段をつけるとすると、すぐに思いつくものは「保育料」でしょう。子どもを預ける保護者が自治体に支払います。保育園にはきません。この保育料は、児童福祉施設である保育園の場合は、小さい子どもほど高く、さらに保護者の収入が多い方ほど高い、という2つの要素の組み合わせで決まっています。このような価格の決まり方は、市場経済にはありません。一般の商品は、市場メカニズムに任せてあり、供給量に対して需要(ニーズ)が多ければ、価格は上がります。この市場メカニズムに任せないで、規制をかけているものはたくさんあって、公共料金は市場価格ではありません。

ところで、保育料は保護者が負担しますが、実は実際にかかる保育の経費は、その約10倍です。保育料を除く部分は、国の国庫補助から半分、東京都から4分の1、基礎自治体の補助金が4分の1加わります。全部、税金です。つまり保育は、公共的な富なのです。ですから、その富の使用を決定するのは、私たちではなく、自治体の福祉事務所が審査の上で決定します。実際の保育経費のうち、7〜8割が人件費です。しかも保育士も看護師も国家資格であり、誰でも担える仕事ではありません。

このような仕組みでやっと成り立っている保育という社会的な富に対して、その富を豊かにするということを望まない国民がいるでしょうか。私たち国民の富である保育の質を良くしようと思わない人はいないと思うのです。しかし、もしこの保育が富ではなくて、市場メカニズムと同じような、言い換えると保育サービス=商品と同じように、需要と供給のバランスで変動してしまう「価値」になってしまったら、私たちはその価値に振り回されてしまい、本当に大事な質を求めることに集中できなくなってしまうでしょう。マルクスはこの転倒を「物象化」と呼びました。

私たちは保育を物象化してはいけません。保育をサービスと呼んではいけないのです。

top