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アートと保育

zer〇の公演「偏向する傾斜」を観て

2020/12/27

(上の写真は「zre〇」のパンフレットより)

人の生活から文化活動を除いてしまったら、それは味気ないものになってしまいます。子どもから遊びを除いたら人間ではなくなってしまうように、大人も文化活動をなくすことは、ある意味で人間性が疎外されてしまうものなのかもしれません。12月27日(日)はダンサーの青木尚哉さんのグループ「ZER〇」が主催する公演を観てきました。青木さんと出会ってからというもの、私のダンスや踊りというものへの見方が大きく変わりました。青木さんたちのダンスを観ることで「身体」と「表現」の関係を考えることが増えました。

 

公演のタイトルは「偏向する傾斜」。偏向とは考え方がかたよっていること。またそのような傾向のこと(公演パンフレットより)。新型コロナウイルス対策を徹底した中での舞台公演は、それを実施することも参加することも、状況と見方によっては「偏っている考え」と批判されるかもしれません。公演はそうした社会のありよう事態を舞台の上に再現したかのような内容でした。全てがナナメで出来上がり、ナナメから捉えられ、あたかも世界はナナメであるからこそ生じていると思えるような傾斜ぶり。

青木さんの舞台は、舞踏に限らず音楽、映像、物も活かされます。パソコンの画面が舞台背景に写し出されると、右肩にデジタル時計が時刻を刻み、観客席の一角に備えられた「ピタゴラスイッチ」風の仕掛けから、傾斜した溝をビー玉が転がり音を出し、それが電子音リズムを奏ではじめ、舞台上には斜めに立ちすくむ5人のダンサーが段々とその姿勢を背後に反らしながら、ゆっくりと傾いていきます。そして物語は、そもそも私たちの地球の地軸がやや傾いていることから始まりました。

人との関係が身体を通じて応答しあっていること、斜めに絡み合っている人間たちの愛や孤独や葛藤や衝突や和解も表現されていて、複数の身体の動きから、こんなにもたくさんのイメージを創造することができることに感服しました。例えば、身体と身体の一致とずれが可視化されています。

バレエにしてもアイスダンスにしても、動きが美しいと感じるのは、他者の手や全身の動きに調和した相似形やシンメトリーなものが多いですよね。ところがその点、ZEROのダンスはその一致加減やズレ加減をあえて際立たせます。親子運動遊びでも体験した「マネキンとデザイナー」のように、形を同じように合わせよとしたり、あえて異なるようにしたりする動きが、まるで社会の中で考えに同意したり異なる意見を表明したりする人間関係を表しているかのようでした。

ZEROは「身体の重要性を唱え、学びと創造を続けるダンスグループ」です。その活動目的はユニークです。「誰がも持っている身体をテーマの中心に置くことで、舞踏に限らず音楽、映像、建築、医療、教育など分野を超えて人々の共通言語やつながりが生まれ、それぞれが個人の能力を発揮できる場となること」を目指しています。このことをきちんと理解した上で、舞台を見つめると、その表現にこめられた思考や意図の痕跡が伝わってきて感動したのでした。

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