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園長の日記

誕生会でやってみた劇遊び

2020/11/26

「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリは人類だけが得たものに「認知革命」があるとしているのですが、これは表象を現実として認識できることです。別の言葉でいえば生物としての現実ではなく、人間だけが創りあげた虚構です。みんなでその幻想を共有することができる力を得たことによって、人間が動物以上の存在になったことになります。表象が共有されて虚構になる。その決め手は言葉です。言葉こそ虚構の骨格であり血液です。

それは、もちろん子どももやっていて、「嘘っこの世界」に入り込んで過ごすことの方が、生き生きとしているくらいです。保育者はこの「子どもらしさ」をしっかり守るべきです。ポイントになるのは虚構を全ての人が信じていることです。国によって言葉が異なっていても翻訳や通訳によって共有できます。地球上のどこにいても、同じ夢をみることができるようになったのが人類です。

今日26日の誕生会はそのことを証明したような時間になりました。じゃがいもの4人家族のお話です。北の国からやってきた長男「じゃーむす」(園長)には、お父さんの「じゃっく」(UKくん)、お母さんの「じゃじゃりん」(IKくん)そして妹の「いもーぬ」(NUくん)がいます。その4人が八百屋さんの店頭に並び、知り合いの奥さん(T先生、O先生、K先生)に買われていくのですが、はなればなれになっていく時、「おとうさん、さよ〜なら」「じゃーむすげんきでな〜」とか「おか〜さん、さようなら」「じゃーむす、げんきでね〜」という「今生の別れ」が演じられます。子どもたちは上手に演じてくれました。

そして一旦別れたものの、じゃがいも家族は、コロッケやフライドポテトやポテトサラダや芋団子になって、幼稚園のお弁当の時間に再会します。「じゃ、じゃーむすじゃないか」「と、とーさんじゃありませんか」「そのこえは、じゃーむすね」「か、かーさんじゃありませんか」「あ、そこにいるのは、いもーぬじゃないか」「おにいちゃん、また会えたのね」と再会を喜び合います。

2階のダイニング全体が八百屋になり、幼稚園になり、そこにいた子どもたちみんなんが、その世界にいるかのように感じてもらえたとしたら、それこそ模倣遊びであり、共同遊びであり、即席で出来上がった虚構を共有して過ごしたことになります。こんなことができるのも、人間には虚構を創り上げる言葉の獲得があるからです。このお話は絵本「じゃがいもポテトくん」なのですが、その中に出てくる料理を具体的にわかっておくことで、その世界に没頭しやすくなるので、最初に「じゃーむすクイズ」をやって、お話に出てくる料理に親しんでもいました。

誕生会で、劇遊びをしたのは、いま12月の「お楽しみ会」に向けて子どもたちが「お話」を自分たちで再現する「劇遊び」を楽しんでいますが、いろいろな身近なお話を劇にできることを実感して欲しかったからです。実現させたい目的を共有して力を合わせて作り上げること。劇遊びは、それを育てるために、とてもいい遊びなのです。

 

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