MENU CLOSE
TEL

園長の日記

胸がすくような経験を

2020/08/30

能にして能にあらず。そういうと「翁」だとお分かりでしょうが、新しい総理・総裁の誕生をこうして予め迎え祝っているように、個人的にみなして見ました。いや、もちろん偶然ですが、NHKの「古典芸能への招待」での、2017年公演の再放送です。日本の伝統的な精神風土の気脈を辿っていくと、このような神や翁や童が「舞う」ことになるので面白いですね。コロナで困っているこの世界を切り開いていただきたいものです。

ところで、日本の政治や経済や文化で起きている事柄は、ほとんどがメディアの一方的な加工品になっているように感じます。そうした受け止め方に、私たちの方が慣れてしまっているので、たまには伝統的な芸の中に息づくものから、感じ直す時間を創り出した方が精神衛生上もいいのでしょう。そうしないと、メディアが報じているニュースや解説だけを聞き流していると、まるで自分が洗脳されてしまっているような濁りを感じてしまうからです。たまには伝統の中にあって、胸のすくような経験が必要かもしれないと思いました。

さて、話は水についてです。屋上のプールで昨日29日(土)には10家庭の方に遊んでもらいました。乳幼児が水と接するというのは、意外とぎこちないものかもしれないと感じました。その理由は、水は可塑性が高すぎて、どこを握ったり、座ったり、押したりしていいのかわかりません。椅子だったら、教えなくても座ったり登ったりしようとします。ドアのノブなら握ろうとします。でも水はそれがわからない(水が持つアフォーダンスがわかりにくいのです)。

来週のプール遊びでは、小さい子どもの場合は、ぜひ親御さんも一緒に入れるようにしたほうが、子どもたちも自然に水の中で親子で心を通わせる体験がしやそうです。小さいうちは、プールで「泳ぐ」ということではないので、一緒に浸かって気持ちよく寛ぐというイメージでお過ごしください。

大人がやることを子どもが模倣できないという事情があります。大人が一緒に水に入っていると、子どもは大人のすることを真似しておけばいいので、安心します。子どもだけだと、大小のプールに貯められている水に向かって自分の体をどう「もっていく」といいのか、戸惑ってしまうものなのです。日頃から保育園の活動としての水遊びやっている幼児は、四つん這いになったり、水をかけあったり、潜ろうとしたりして水との関わり方の「型」を心得ている節があります。飛び込むことは禁止ですが、でもそうしようとしたくなる子もいます。それはそれでわかりやすい衝動の引き出され方でもあります。

しかし小さい子どもにとっては、水が手足を濡らし、体全体を濡らし、そして自分の顔や頭が濡れていくことを受け入れいてく時、大きなバードルとなるのはどうしても「目」です。はしゃいで水をかけあったりしている間に、知らず知らずのうちに、顔に水がかかっても平気になっていくものです。そうして水と目の関係が仲良くなる術を覚えると、水がグッと身近なものになります。別に、あえてそこまで踏み込む必要もなく、ただ足が濡れたり、水をチャプチャプしたりして、感触を楽しむだけでも十分です。

 

 

top