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園長の日記

「生きている絵本」を子どもに

2020/08/16

絵本の歴史を遡っていくと、明治30年代中頃に成立したと考えられる「口演童話」にまで遡ります。その代表は児童文学者の巌谷小波(いわや・さざなみ)ですが、現代に伝わる日本民話を「童話」として再生させたました。

それが私たちが絵本で知っている「桃太郎」や「浦島太郎」です。江戸時代まで語り継がれていた伝説や民話はその地方の方言ですから、その語りを標準語化したものが、明治期になって盛んに「再話」されたことになります。

その具体的な本が私の手元にあります。ずいぶん前に古本屋で手に入れた平凡社の東洋文庫シリーズ220「日本お伽集」(昭和47年初版)があるのですが、これは培風館が大正13年に発行した「標準お伽文庫」全6巻の復刻版です。巻末の解説で、瀬田貞ニが、この文庫が正式に省みられず、なんら言及されないで放置されていたことがおかしいと書いています。それだけ、「子ども向け」はまだ、社会全体が重要視していなかったのかもしれません。

日本の創作児童文学の歴史が始まります。小川未明、浜田広介、坪田譲治、酒井朝彦らの作品です。ただ、これらはあまり読み継がれていないのは、どうしてでしょうか。上笙一郎と山崎朋子の「日本の幼稚園」(1964年理論社)はこのように書いています。

「日本の創作児童文学のほうをながめると、こちらは、どちらかというと子どもから背を向けられることが多かったーーーと言わなくてはなりません。発展してくるあいだに、芸術的には高度になったけれども、それと引きかえに、おもしろさをなくしてしまい、ために、読者たる子どもたちにそむかれてしまったのです。」

まだ誰も子どもの保育をしたことがない文学作家による高尚な文芸作品になっていったのかもしれません。

その一方で、古来から語り継がれてきた民話や伝説は、子ども向けの「お伽話」になっていく過程で、富国強兵と和魂洋才によって歪んでしまいます。時代は当時の幼稚園にも影響を与えています。

この「日本の幼稚園」という本には、口演童話家が創設した2つの幼稚園が紹介されているのですが、いずれも、桃太郎主義の保育(体育主義の訓練や鍛錬が「桃太郎は泣きません」という精神主義、団体主義に陥っている保育)になっていたと書いています。

そしてその記述は、最後にこう続きます。

「第二次世界大戦ののち二十年近くたった昨今(1964年)になって、日本の児童文学の世界には、いるい・とみこの「長い長いペンギンの話」や「北極のムーシカ・ミーシカ」、それに中川李枝子の「いやいいやえん」など、すぐれた幼年童話が誕生しました。・・これらの作品は、小波以来、分裂してしまってまじわることのなかった<芸術性>と<おもしろさ>との統一の端緒を、ようやくつかんだものということができます。・・・日本の創作児童文学の<子ども忘れ>を乗り越える幼年童話が、幼稚園や保育所に深いつながりを持つ作家によって書かれはじめたのは、決して偶然なことではなかったのです」

それでは、中川李枝子さん本人は、どんな絵本を目指していたのでしょうか。彼女が実際にいいと思った絵本101冊のリストとコメントの載った本があります。「絵本と私」(福音館書店、1996年)です。「てぶくろ」に始まって「あおい目のねこ」まで。保育で実際に読んだ時の反応なども書いてあって、私たち保育者には必携書です。この101冊も「ちよだせいが文庫」に揃える予定です。

最後に夫で画家の中川宗弥さんが、絵本の条件をこう書いています。

「絵本の表現でも文章の表現でも、そこにあるものが生きているようにかかれてるのではなく、生きていなければならないのです。つくりこごとであったら、子どもは絵本の世界のなかで喜んだり、恐れたり、悲しんだり、楽しんだりすることができません。それから、きたならしく、みにくく、まずしく、あわれな、そういう絵本のなかに子どもを連れこんではならないと思います」

ちょっとわかりづらい話になってしまいましたが、現在の絵本は、子どもにとって面白く、楽しいものになっているのは間違いありません。おとぎ話ぐらいしかなかった時代に比べれば、いかに恵まれていることか。

ただ返って、多すぎる絵本の中から、子どもたちは何を読んだらいいのか、子どもたちに何を手渡したらいいのか、その選択に悩む時代になったと言うことです。福音館書店のサイトには絵本の選び方が載っています。

https://www.fukuinkan.co.jp/pdf/ataekata.pdf

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