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園長の日記

正統な文化と真性の学びに向けて

2019/11/10

◆姉妹園との交流は「新宿せいが子ども園」を中心に

今週の大きな動きは、姉妹園との交流です。5日、高田馬場にある「新宿せいが子ども園」へ、らんらん組が出かけてきました(詳しくは、11/7付わらすのブログや園長の日記をご覧ください)。

開園する前から何人かの保護者の方からお尋ねのあった活動です。千代田せいが保育園に限らず、新しい開設園は年長組の子が入園して来ないことが多いので、年長さんとの交流の機会があるかどうかを含めた質問がありました。一つの大きなテーマになっていました。

10月には八王子市の「せいがの森こども園」へ行ってきましたが、新宿せいが子ども園へ行ってみると、比較的近いことや、都内でありながら自然も多い「おとめ山公園」で遊べること、その公園で園児との交流もやりやすいことなどから、新宿との交流を今後ふやしていきたいと思います。

◆運動の秋、実りの秋、芸術の秋・・

運動会が終わると、今度はなぜだか精神的ものへの欲求が浮上してきます。芸術の秋です。それを意識させてくれるのがまず自然の景色です。特に戸外へ出かけると、子どもが落ち葉や樹木の変化に気づき、その美しさを教えてくれます(11/5付わらすのブログをご覧ください)。来週13日は「紅葉」を楽しむために2歳児にこにこ組以上で「北の丸公園」へ出かける予定です。

運動会が終わると、と言いましたが、実は千代田せいが保育園が選んでいる運動は、できるだけ「正統的なもの」を選んでいます。鬼ごっこは奈良や平安時代に遡る「子取ろ子取ろ」が原点ですし、五穀豊穣を祈願する儀式でした。全く同様に大相撲も伝説とて有名な「宿禰(すくね)と蹶速(けはや)の天覧相撲」にみられるように、その年の農作物の収穫を占う宮廷の行事でした。いずれも「実りの秋」と深い関係があるのです。(ちなみに大相撲1月場所(両国)の先行抽選申込開始が本日11月10日からです)

こうした「日本」をよく知っておくことが、国際化している現代社会で必要なことであり外国語が「話せる」ようになることと同時に必要な、あるいはもっと大切なことかもしれません。ちなみにラグビーの歴史は、大英帝国の植民地支配の歴史と不可分であることも、同時に頭に入れておきたいことです。天皇陛下に祝意を込めて行う万歳三唱は軍国主義化していく明治時代にできたもので、それ以前にはありません。3歳までは親が育てるという子育て観が「神話」でしかないことも厚生労働省が白書で認めています。私たちが「常識」や「普通」と思っていることが、意外にすごく短い歴史しか持っていなこと、その成立のきっかけを知っておくことはとても大切です。

◆ハロウィンやクリスマスは?

保育園で取り上げる伝統行事は、地域で体験できるものなら、同じ内容を園で取り上げる必要はないだろうと考えています。ただ乳幼児が体験しやすいようにアレンジすることは大いにあります。でも、日本人は海外の動向を敏感に輸入して換骨奪胎して日本風にアレンジしてしまうのが特徴なので(明太子スパゲティのように)、ハロウィンもクリスマスもその宗教的背景は無視して、表面的なブームだけが定着してしまっています。それは否定しませんし、大いに楽しみたいですが、やはり「文化背景は知っておく」ことが、その文化の発祥地へのリスペクトではないでしょうか。

◆お楽しみ会は子どもの言葉や表現の成長を喜ぶ機会に

実りの秋は、子どもの成長を感じる秋でもあります。秋というよりももはや冬ですが、お楽しみ会(12月7日)は、子どもたちが楽しんでいる世界を、もう一度表して味わいたいという衝動に基づくものになるでしょう。

(お客さんに「これ、見て、蝶々になるんだよ」と教えてあげることも、表象行動の1つです。指をさして名前を伝える「言葉」の発達を促します。)

◆表象行為としての「お楽しみ会」の意味

私は5年ほど前に、放送大学で「表象文化研究」を受講しました。ミッシェル・フーコーの『言葉と物』の解説から始まる15回シリーズです。ここからは、それを踏まえた説明になりますので、飛ばして読んで下さって結構です。子どもと大人も、人間は世界から感じたことを表現したがります。文字、書字、文章、本、雑誌、写真、絵本、短歌、和歌、詩、歌、曲、楽器演奏、雅楽、絵、アニメ、映画、劇、演劇、歌舞伎、能、浄瑠璃、ダンス、舞踏、オペラ、料理・・要するにキリがないのですが、これらは人間だけの営みです。文化の一つです。目の前にあらわにする事を人文科学の世界ではRepresentation「リプレゼンテーション」と言います。

語源はラテン語ですが、わかりやすく、その英語で説明してます。英語はプレゼントです。「目の前にあらわになること」「現前する事」という意味です。そこから日本では「贈答品」「人にあげるもの」という意味に転用されて使われています。本来は目の前にあらわにする事です。

それに「リ」がつくので、「もう一度、あらわにすること」つまり「再現」です。英語の「リプレゼンテーション」が大正時代から昭和初期にかけて哲学者たちが「表象」とか「象徴」と訳しました。西尾幹二はショーペンハウエルの書を「意思と表象としての世界」と訳しました。その「表象」です。ドイツ語はvorstellungです。

実は遊びも表象行為なのです。どういうことかというと、何か心動かされることがあると、人はそれをもう一度味わいたいと思うようにできているのです。私は昨日の「国民祭典」の奉祝曲に感動して、うちの職員にすぐにラインしてしまいました。「もう一度聞きたい、一緒にそれを歌いたい、味わいたい」という衝動です。

運動会で我が子をビデオに収めたいという心の中には、何が隠されていますか。それはもう一度、再現して味わいたいからでしょう。その心の動き方がRepresentationの原動力なのです。

楽しかった、面白かった、感動した・・・そうしたものを子どもたちは経験すると、それを再現したいのです。本質は同じ「リプレゼンテーション」です。積み木で「ブッブー」と車を走らせたり、スカイツリーを積み木で作ったり、おもちゃの電車を走らせたり、折り紙でカブトムシやゾウを折ってみたり、RaQで恐竜を作ったり、粘土で蝶を作ったりしているのです。運動会が楽しかったから、またやってみたい。園の給食が美味しかったから、おうちでも作って欲しい。お相撲さんが強かったからまた来てもらいたい。この絵本を読んで、あの図鑑を一緒に見よう、金魚に餌をあげたい・・こうした子どもたちの衝動の源になっているのは、「再現欲求」なのです。

お楽しみ会では、そうした遊びや生活の中で「読んで欲しい、歌ってみたい、演じてみたい、話をしたい」などの再現欲求を汲み取りかがら作り上げていくことになります。大人が「絵本」や「制作」や「積み木」や「ブロック」などと手段を分類して分けておいていますが、その本質においては、いわゆる「模倣」であり「再現」を楽しんでいるという意味では同じことをしていると言えるのです。

そこで大切な事は、それをやりたいと日ごろから本当に楽しんでいることか、と言うことです。それを見てもらったことが楽しい、またやりたい、と思えるようなお楽しみ会にならなければなりません。

 

◆いい絵本、優れた物語、真性の学びへ

さて、長い遠回りの説明をしてきましたが、なぜそれを伝えたかったかというと、先に真性の体験、優れたものの体験、正統な文化体験を味わって欲しいからなのです。例えて言えば、子どもの食べ物には、いろんな添加物が入ったり合成着色料や保存料が多く入ったものは与えたくないでしょう?それと同じです。子どもが接する文化にも、まがい物は与えたくないでしょう?体にいいものがあるように、心にもいいものがあるのです。

私たちは、それをきちんと調べて探さないと、騙されやすい時代の中を生きています。千代田せいが保育園という船は、これからも、きちんとした港に寄港するつもりです。船の乗りごごちについては、アンケートを取らせていただきますが、寄港予定の港の情報もおしらせください、例えば「あの港が子どもにはいいよ」というものがあれば大歓迎です。教えてください。

 

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