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園長の日記

私の心地よいエキサイティングな混乱

2023/10/20

勉強不足による分からなさを、肯定的に書くとこうなります。

・・・他人に「子どもの姿を多面的にみよう」なんて、仕事柄、よくいうわけですが、私自身が見方を変えるのに苦労しています。この認識の転換は、結構難しいものなんです。例えていうと、自分がそれまで当たり前と思っていた一連の概念のつながりが違っていた、そうじゃないものがあることに気づいたというような、どこかで配線ミスがあることに気づき、一旦分解してまた組み立て直そうとしている作業に近いかも。そんな修正をしながらなので、難しいんです。

また大体、見当はついているのですが、脇道にそれて面白がっているので、戻ってくるのに時間がかかるというのもあります。散歩の途中で子どもが道草しているのと同じです。

でも「そうか!」って気づいて一瞬で「全部がわかる」とかじゃなくて、「それがそうなら、こっちはどうなのよ?」が次々と出てきて、そっちを調べていたらまた別の世界に入ってしまって、また道に迷う。ちょっと大袈裟ですが、私にとっては科学史でいうパラダイム転換に近い。併せて試験勉強をしていて、やらないといけないことじゃない脇道にそれて、そっちの方が面白かったりするのにも近いかも。

最近の私のお気に入りは「適時に学び、早期に展望し、遅く理解する」という言葉。遅すぎでしょ!って突っ込まれるのは覚悟の上ですし、本当はもっと早く展望したかったんですけどね。

それなので時間がかかるんですよね。きっと頭の中で配線を組み直している感じで、そんなことをやっているので、今日はこんなことがありました、とか、こんなことをしましたなら、いいんですが、子どものこの姿にはこんな意味があると思った、的な記述をしようとすると、ちょっと待てよ、本当にそうか? それじゃつまんないだろう! と自分で疑念が湧いてくる感じです。

でも、そこを日記に書きたいものだから一苦労なんです。そこにこだわり出してしまったので時間がとてもかかる。そのことを書くのに「児童心理学・発達科学ハンドブック」を開いて調べたり、最近読んだ文章の、え〜っと、どこだったっけ?と検索したりして、もう一度考え直したりしているので、そのことを納得するのに時間がかかっているんです。

これはいわば、これまで、ほぼ自動的に言葉になっていた表現を、別のものに入れ替わっていくわけですから、ちょっと手間なんですよね。というわけで、この話は今日はもう書けそうもないから、もう少し時間をかけてからまたお伝えします。(これじゃ、いったい何を言っているのか、全く意味不明ですね。ともかく子どもの姿の意味についてです)。

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