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園長の日記

必要な情報が知恵になる学び方はダンスも同じ

2022/10/25

私が保育の判断で基準にしているものは「望ましい未来とは何か」と、目の前の子ども一人ひとりが「現在を最も良く生きているかどうか」、そのために保育園生活が「最もふさわしい生活の場」となっているか、この3つです。やや控え目な表現となっている「望ましい」とは、言い換えれば「よいこと」ですから、それは教育哲学史からみて「善さ」(村井実)と書くべきものであり、その「善さ」には関係性(相互性)がなくてはならないので、誰にとってよいのか?という問いが隠れていて、それは当然、全ての人にとってですから、自由に生きる相互承認がどうしても要ります。

どうしてこんな話をしているのかというと、ある人から「どうして親子運動遊びの会にアーティストを呼ぶのか」ということを聞かれたからです。答えは「オープンエンド」だからです。誰でも参加できて、しかも限りなく高みを目指すことができる。善さの要素である「美しさ」には正解があるわけではなく、身体の心地よさを創り上げる営みに参加することで、それぞれが幸せな主人公になれる。何かができたから拍手が起きるのではない。つまり個人の能力に還元されるような眼差しが発生するような見せ場はいらない。探究のプロセスそのものを共にすることが楽しいという場にしたいから。そのためにアート性が教育には不可欠です。アートは繰り返しやりたいし、飽きない。そして習熟する。そんな運動がやりたいからです。そう答えました。

このことは、全ての学びに通じるのではないでしょか。注入型の知識ではなく、生きて働く知恵になる知識。より望ましい未来を作ることにつながる生活づくりに役立つ知恵。必要な知識だから知恵になる。その知識の繋がり方が発生するのは、プロジェクト型の学びです。どうやったら楽しくダンスができるのか、それに必要な情報が知恵になるのであって、使われる機会があるから必要は知識を学ぶのです。まずダンスが楽しいと感じること。まずは「本番」をやってみること。それをしないで、踊り方というスキルやノウハウを知識を学んで「練習」してから、上手くなってから本番になるようなことは、遊びとは言いません。情報もスキルも必要だから学ぶ。ジョン・デューイの「なすことで学ぶ」と同じように、私には思えます。

 

 

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