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園長の日記

子どもの心の動きをウェルビーングで捉える

2021/09/06

この図は米国の心理学者マーティン・セリグマンの「ウェルビーイングの5つの要素」PERMA理論。

(図は人材派遣会社パーソルのホームページから)

私は「子どもの姿の捉え方」に、その人の価値観を感じます。子どもがどんな行動を選ぶか、いつそれを始めていつ終わるか、見える姿の動きに注目しがちです。今日は朝、どのクラスも久しぶりに散歩に出かけたのですが、たとえば外へ出かけるお支度をしようとすると、水筒を持って、帽子を被って、靴をはいて・・次々にやることがあります。それが上手に自分でできるようになっていきます。食事の時間になったら、遊びを終えて、おもちゃを片付けて、手を洗って、食べる場所へ移動して・・・ここでも次々にやることがあります。

集団の生活であろうと、一人ひとりの生活が基本になっています。私たちは一人ひとりの選択、判断、決定を尊重しようとしているのですが、目を向けがちなのは次々の移りゆく行為における「見える姿」になりがちです。でも本当に目を向けてあげたいこと、寄り添ってあげたいことは、その時々の「心の動き」の方なのです。

いま、実習生がきています。毎日その日誌を読んでいるのですが、土曜日の実習日誌にそのテーマに関するエピソードが載っていました。遊びから食事へ移っていく時の場面です。他の子どもたちは食事のテーブルへ移動しましたが、Mちゃんはある遊びを続けています。遊びを終えてから食事にしようと思っているらしいのです。当園ではそうした時、遊びの自立の姿として「自分で初めて、自分でお終いにできる」という言い方をしています。

この場面なら、「自分で遊びをお終いにできる」ように支えることが援助です。さて、皆さんならどうしますか。実習生は、本人がご飯の時間になったことはすでに気づいていると捉えていました。それなので、あとは自分で遊びをお終いにするのは、きっと最後までやってしまったら、そうするだろうと予想しています。素晴らしい。

このような子どもの姿の捉え方を、保育士には期待されています。子どもの姿を理解することが、次の行為の予想になり、その上で援助を考えるという流れです。

そこで今日、私が母親との会話で思い出すことがあります。私が6歳の頃だったと思います。土曜日の午後6時からテレビで「巨人の星」をやっていました。その頃、ちょうど晩御飯になるのですが、母親の「ご飯よ」の声が聞こえます。でもちょうど星飛雄馬が花形満と勝負している真っ最中です。ここでテレビを途中でお終いにできるわけがありません。「つづく」がで出るまで、画面に釘付けです。

その頃の私は「は〜い」と返事していません。ご飯よの声は聞こえていても、今は行きたいくないから黙っていました。「もうすぐいく」とも返事していません。せっせと晩御飯の準備をしている親の気持ちを考えれば「後ちょっとで終わるから、待って」とでも言えばまだしも、黙っているのですから、幼い時のわがままな心理とはこんなもんだなあと、我が身を振り返ります。

さて「心の動き」の話ですが、土曜日のMちゃんは遊びが完成した時「これママに見せるんだ」と呟いたそうです。遊びが終わった達成感の中に、こんな「見てもらいたい人の顔」が浮かんでいるんだと思うと、ちょっとグッとくる話なのです。私たちは行為で子どもの姿を捉えがちですが、その時々の「心の動き」を捉えることで、何が大切なことなのかが、変わって見えてくるように思います。その「心の動き」を捉える視点の5つが、園だより9月号いの巻頭言で紹介した5つのウェルビーング(しあわせな状態)の視点じゃないかと思っています。

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