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園長の日記

柳原堤

2020/09/20

先週は2度、クリスタルビル11階に登って秋葉原駅周辺を一望しました。「江戸名所図会」(上の写真)を見ると、天保5年(1834年)の頃の「柳原堤」は、和泉橋を町人が行き交い、柳原通りにならぶ店の前には侍や旅人が描かれ、柳森稲荷を参る人もいます。その図会の角度は、ちょうどクリスタルビル辺りからの展望と一致する図柄です。ちょうど江戸城のある方から、神田川の南側から北側を、ドローンでも飛ばしたかのように北北西に向かった眺望を描いているのですが、当時はそんな高いところはありませんから、想像で遠近法を用いて描いています。

それと重ね合わせて、現代の風景を眺めてみると、目の前にホテルや高層ビルが立ち並び、その向こうの遠い風景を望むことはできません。もっと高いところからでないと、風景の奥行きが取れません。それでも秋葉原駅を南北に通過していく電車を、子どもたちはたっぷりと堪能できました。

ビルが立ち並ぶと、そこを歩いている人々や生活の生業を風景として眺めることはできないのだな、と再確認してました。

人が見えるのは、ふれあい橋を行き交う人と、眼下の柳原通りを歩く人だけです。そのほかは建物で隠れて見えません。大都市の風景は、高いところに上がっても建物や道路や鉄道などは見えても、そこで生活する人々の風情や表情までは見えないのです。

江戸時代の図会も、それは想像で描いています。その場所、あの場所ででみた人々の様子を頭の中で再構成して、つないで一枚の絵にして描いたのですから、子どもたちも、きっと同じことをするに違いありません。見えてないけど「そこにはこれがあるんだよ」と描いたり、作ったりするでしょう。人間は心動かされたイメージを再現したがる(表象)からです。

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