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園長の日記

絵本を何度も繰り返しよむ意味

2020/08/21

「こたえ、いっちゃダメだよ。つまんなくなるから」と年長のSさんが言います。お友達が絵本のページを開くと、すかさず「これとこれと・・」と答えを言ってしまうからです。絵本を楽しむ流儀というものが、子どもたちなりにあって、ちゃんと楽しみたい、という感覚を求めていることが伝わってきた場面でした。

私は今日夕方、3階の絵本ゾーンの整理をしていたら、二人が私の両隣に座って「これよもう」と誘ってきたのですが、何冊目かの絵本が「トリックアートおばけやしき」だったのです。見開きページの左側に、クイズのように「○○はどこにあるでしょう?」のような「問い」があって、その問いにしたがって「だまし絵」や「錯覚図」など楽しむ絵本になっているのです。

私が、その絵本の文章を読み終わってから、Sさんは「髑髏(ドクロ)はここだよ」とか「コウモリはここ、とここ」とかやりたいのです。なのでSさんはフライング気味のお友達に「まだ、言っちゃダメだよ」と嗜めるのでした。

この言葉というか、その時の仕草や口調、雰囲気には「自分がやりたいんだから邪魔しないでほしい」という感じもあるのですが、それよりも「ちゃんと手順を踏んで楽しみたいんだから」というニュアンスの方が強いのです。二人とも何度も読んでいる絵本だけに、答えは9割がたわかっていても、面白いからまたやりたいという、その気持ち。ちゃんと最初からやりたいという感覚。これ、なんだから、よくわかります。この感覚は「きちんと」とか「ちゃんと」とかの言葉で表す何かなのですが、鑑賞や探究や学びの質と似ていてる、あるとても大切なプロセス感覚だと思います。そういう姿勢を育て、引き出す力があるのは、絵本がアートになっているゆえんでしょう。

何かをよく味わい尽くすとき、ある種の方法や手順が重視されるということがあります。例えばプロ棋士は将棋の勝負が終わると、感想戦というのをします。初手から巻き戻して、戦局の節目で「どっちが良かったのか」を指し直してみるのです。実践では頭の中で数十手先までシミュレーションした上で、最善手を選んでいくのですが、それが本当にそうだったのか、もう一度盤上で再現してみます。

絵本も何度も何度も読んでいる時、子どもにとって初読と再読と再々読と・・そのたびに深まっていったり、別の観点に着目していたり、新たな発見があったりしていて、概ねその多面的な探索を経て味わい尽くしたら、いったん「おしまい」になるのかもしれません。そして数年経って、同じ絵本を見てみると、きっとまた新しい発見があるものなのです。

ただ、この時期の子どもたちの最大の特徴は、ここで何度も繰り返してきたことになってしまいますが、棋士の感想戦と同じように、遊びとして再現すること、つまり模倣遊びやごっこ遊びとして繰り返されるということです。絵本を何度も読みたいということが、模倣遊びの衝動と同じだということです。ですから、ごっこ遊びもまた、「きちんと」「ちゃんと」再現されていくことが楽しいのでしょう。

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