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園長の日記

舞踏の思い出

2020/08/10

人の意識の中には、その人にとっての「伝説」のようなものがあるんじゃないかと思って、そんなことありませんか?と尋ねてみたいと思う相手と会うと、返ってそんなことを聞くのが怖くて、聞くのをやめてしまいます。お互いにガッカリしてしまうのが嫌で、それが通じそうな時が来るまで大切にしなきゃ、と思ってしまいます。そして、なんとなく、良かれと思って、お互いにそっとしておいて触れないままにしていると、大抵はそのままになってしまいます。

ただ今頃になって、きっとこの人なら、私が抱えている憧憬に似た喪失感を分かちあえるんじゃないかと思う人と出会うと、ちょっとドキドキします。そういう人は、ほとんどがアーティストです。これは昨日までのダンスの話の続きのつもりなのですが、私にとっての舞踏との出会いは、20代の学生時代に仲間が企画してキャンパスに招いた山海塾の公演でした。それを見た時でさえ、すでに私には極北の「伝説」となっていたのは土方巽であって、もちろんその暗黒舞踏を生で見たことはなく、それだけに、こんな燦々と明るくて、なんでもあからさまな時代になってしまうと、「伝説」どころか、さらに「伝説の彼方」になってしまっているようなイメージについて、正座しながら思い巡らしたくなったのでした。

石崎ひゅーいを聞いていたら、なぜか1960年代の眩しい昭和の時代(新幹線が走り東京オリンピックが開かれる高度経済成長時代)と「暗黒舞踏」という対比について考えてしまうのでした。「アーティストはものごとを斜めにみますから」。これは青木尚哉さんの言葉です。これは誰もが抱えている意識のコントラストなのでしょうが、子どもの方が本質的にこの暗さを抱え込んでいるので、す〜っと受け入れてくるものです。スポーツやアスリートの演技や肉体も美しいのですが、じっと目を凝らして息を呑むような身体の魅惑ということも、子どもはどこかで憧れているはずなのです。そういえば、お化け屋敷ごっこって、やらなくなったなあ。そういう経験ができないからかもしれないですね。夏の怪談話でもやりますか。

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