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園長の日記

こんな心理状態を続けてはいけない

2020/07/26

 

人間はこういう社会を求めてきたとは思えない。そう感じる瞬間というものが時々あります。昔よりも、今の方が断然いいに決まっているのに、どうしてそう思うんだろう。あらゆるデータは過去よりも今の方が幸せである。それは確かなのに、将来に対する不安の方がなぜか大きい。その答えがこの数日の「自粛生活」で見つかりました。これはあくまでも個人的な「感慨」なので、他人にうまく説明することはできません。でも「そうか、そうだったのか」と、自分では妙に納得しています。

それでは、そんな個人的なことを、どうしてここに記すのかというと、ちょっとだけ仕事が関係があるからです。その気づきは例えると「不確かなものが見えてしまった不安」に似ているからです。変な言い方ですが、不確かなことだけがはっきりしてくるという分かり方は、心の健康によくない。

昔の方が、将来のことはよくわからなかったに違いないのです。今の方が将来予想が立ちやすい。いろんなことを過去からも学んでいるし、リスクも計算できるようになった。ところが、わかることが増えたから不安材料もよく見通せるようになってしまった。百年前のスペイン風邪の記録を読んでいると、わかっていないぶん、今よりも呑気だったことがわかる。今の方がいいに決まっている。読んでいると「え、そんなことしちゃってたの!」ということがある。でも、今の方が、わかっている分だけ「まだどうなるかわからない」こともわかってしまった。この「どうなるかわらかない」ことが多すぎると、心理的に結構しんどい。

類人猿から700万年もの間、あるいは旧石器時代の200万年の間、あるいはもっと短くして縄文時代1万年の間、私たちの先祖は、昨日も今日も明日も、ずっと同じ安定した盤石な生活が続くことを願って、努力してきたはず。でも、現代はそういうことを考えることが、まるで、非常識で呑気なヒト扱いされてしまいそうです。みんなが心理的なサバイバーになっています。こんなに豊かでありながら、どこか生き残りをかけて生きているような精神状態を感じてしまうのです。

多くの人はもっと、ノホホンとしていても大丈夫なような、寛いだ社会にならないものなのでしょうか。みんながノホホンと暮らしていい社会にしたい。こんなこというと「何、呑気なこと言ってんだ!」って、やっぱり怒られそうですね。昔から、そんな呑気な時代なんてなかったんだと。ずっと生存競争や戦争があったんだと。でも本当にそうでしょうか。狩猟採集民族の人々の暮らしには、私たちが見失っている考え方や知恵がありました。そこから真剣に学ぶことが結構あるように思えます。大きな価値観の転換に、多くの人が気づく時代が早く来るといいのですが。子どもの成長というものは、結構早いものですよ。(と、考えるから、またよくないのに・・)

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