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園長の日記

この判断に追い込まれてしまった古い体質

2020/04/16

全国に緊急事態宣言を広げるという今日16日(木)の政府の判断。それから人との接触を80%減らすという方法。このように、犠牲の大きな方法を採用せざるを得ないとき、後で振り返ると、長期的な備えの有無が大きな差になることがわかるものです。今回の場合は、感染症に対する防疫・封じ込めが突破された後の対策ですが、治療薬の開発に数ヶ月、予防接種の用意までに1年かかるということは、それまでの準備時間をいかに短縮させるか、国際的な協力体制をいかに構築しておくということになります。

今回の緊急事態措置の全国拡大策は、たとえとしてふさわしいかどうかわかりませんが、人のどこかにがん細胞があることだけはわかっているからといって、全身に放射線を浴びせる治療をしている感じです。さらに、その効果が上がらないからと放射線の強さを強くして癌を抑えようとしているように見えます。しかし、それでは副作用が強すぎて、癌が退治できても、後遺症がひどくて死んでしまうのではないでしょうか。

「人の命か経済か」。その二つを天秤にかける、という例えを使わざるを得ない状況に追い込まれてしまったことが実に悔しい。命を助けたつもりでも、これが長く続いてしまうと、経済的な自殺者や、児童虐待、DV、躁うつ病、精神的疾患者などが増えるでしょう。そうだとしたら、もっと的を絞った方法が必要です。

検査体制の不備は報道されている通りでしょうが、それ以外で言えば、例えば、新しい病原体が発生したら、それを防疫体制で防いで時間を稼ぐ間に、その病原体にあった検査キットを速やかに用意できる体制を構築しておくこと。それは罹患しているかどうかや、抗体を持っているかどうかを簡便な方法でできるようにして、自宅に配るなら、そうしたものに税金を使いたい。また、そうしたものが近くのドラッグストアで手に入るようになるといいのですが。

次回への宿題だと前にも書きましたが、国立感染研の歴史的体質から抜け出すための、現代にあった感染予防体制を作り上げること。「クラスターさえ防ぐことができればいいので、検査数を増やす必要を感じない」というのが、クラスター対策班の考えでした。これは世界の非常識でした。感染研からのメンバーが差配する専門家会議からの対策は、どうしてもクラスター対策を突破されたらお手上げなのです。あれは体質が調査体制だからです。疫学や治療の発想ではないのです。ですから全面的な経済停止に追い込まれてしまいました。昔ながらの結核予防調査を基盤とした防疫体制だけでは、機動的な戦略が出てこないことが今回の反省点でしょう。

なぜ、このことを繰り返し思い浮かべるかいうと、家庭に引きこもることは、現代の核家族化した家庭と個人にとって、精神的にダメージが大きすぎるからです。経済もそうですが、人間関係や心が受けるマイナスが大きくなってしまうことが明らかだからです。専門家会議に精神医療の専門家もいません。本当に、そのことが心配です。保育園の閉園や学校の休校は、子どもたちのためにも、本当は避けなければならないものだと思うからです。ステイホームなら、ステイ保育園ができるような対策を講じることが、感染症対策の根幹になって欲しいと願います。

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