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園長の日記

福祉の構造的改革が残した負の遺産

2020/03/09

▲Uくんが私にくれた手紙「えんちょうせんせい

ころなういるす だいじょうぶですか」

 

今日9日は、ある人に「福祉の構造的改革が、いかに深刻な悲劇を残してしまったのか」レクチャーしてきまた。その内容は、保護者の皆さんにも、ぜひ理解してもらいものなので、少し詳しく説明します。

人類の歴史を紐解くと、協力する資質を持っていることが、今私たちが存在している精神性の根拠であることがわかります。協力的であることに離反する行為は集団から指弾されるので、他者から、つまり所属する集団の仲間から認めてもらうという承認がとても重要なことでした。その資質を私たちは先天的に根強く持っているのですが、残念なことに、生活コミュニティを喪失し、生活の生業が人工的なルールのもとに分業化してしまった現代社会では、その承認欲求が家庭や仕事先などで満たされない時、人にどういうことが生じやすいかというと、優越性の誇示に走ってしまうのです。言い換えると、潜在意識の暴走に歯止めをかけることができない人が出現してしまうのです。これが「クレーマーの暴走」という、人間関係におけるメタ認知に乏しい野蛮で美しくない人間性の出現を許してしまうのです。

日本の福祉サービスを提供している施設に課せらているルールは、本来は「愛」と「心の通い合い」と「共感」に基づく「協力」によるものでした。人の文化はこれによって豊かに創られ、支えられてきたのです。この構造や歴史的背景を知ることはとても大切です。そこに「人間性」があるからです。

そうでなければ、人が生きていく上でとても大切なものに気づけないのです。ここが分からないと形式的論理の罠に陥りっている自己の惨めさに気づくことさえできなくなるのです。無意識のうちに自己の優越性を誇示する行為は、本質的なコミュニケーションを欠く人間関係しか構築できず、相手を傷つけていることにすら気づくことができなくなる危険性さえあります。

形式的論理を振りかざす知性は、いかに人を「幸い」から遠ざけてしまうのか、そのことを悟ってもらいたいと願わずにはいられません。この無自覚が何を引き起こしているのか。それは人生における本質的なもの、つまり人と人が「信頼し合い」、「心を通わせながら」、「人は不完全で誤ちを犯さざるを得ない存在であるがゆえに、改善の仕組みと同時に、寛容と許しが必要」なのです。

ですから人生において「人間同士が助け合い、寛容な心でお互いを認め合いながら内発的な学びを続けていく喜びを賞賛し合う」ことが尊いのです。

私たちはロボットのように生きることはできません。それに似たことを求められても、千代田せいが保育園が求めている「理想」とは違いすぎます。児童福祉のルールが立ち上がってきた経緯の理解は大事です。日本の福祉サービスの歴史において、措置から選択へ転換していった福祉構造改革のメリットとデメリットを理解しておくことは大事です。日本で「選択」と「直接契約」にふみきったときに生じた弊害があります。それは「利用者」が「サービス」の享受者であると位置付けたことで、サービスの質が「自己中心的で市場主義的な満足度」で支配されていく悲劇が始まったのです。サービスの提供者は、市場経済の奴隷になっていきます。賢明なる保護者の皆さん、この福祉の歴史と構造をぜひ勉強していただきたいと思います。

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