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園長の日記

人類進化から考える「イヤイヤ」の意味

2020/01/13

今年は「人類進化の『必然』を踏まえて生きる!」と宣言した意味について、今日、ある友人に聞かれました。「それって、ヒトだけが何かに否応なく仕向けられているってこと?」と。「そう、そう。人間だけがやることって、意味があるんだと思う。それがあるから、これまで生き残ってきたわけだから」。そう言って「ほら、イヤイヤ期ってあるんだけど、あれも人間だけなんだよ」という展開になって・・・

人類がチンパンジーの共通先祖から分かれたのは約700万年前。こんな数字はイメージできないでません。何世代になるか計算してみました。仮に25歳で子どもを産んで、その子も25歳で子どもを産んで、という間隔なら100年で4世代。1世紀100年で4世代なら、1000年で40世代、1万年で400世代、700万年で280,000世代(28万世代)になります。

これだけの回数の親子を繰り返してきた上に、今の私たちがあると考えるだけで、まず、よくもそんなに途絶えることなく続いている事実に驚きます。そして、なんと多くの「ご先祖」の必死の生存競争のおかげで、今の私たちの命が繋がっているいるんだろう!と感動します。

これだけの間に突然変異などを繰り返して、環境に適応した資質が形成されてきたと、現代の生命科学は証明してしまったわけですが、その資質の中で、人間だけが持っている重要なことは何かというと、「食物を分け合うことができたことと、共にあるという心を持っていること。核家族ではダメで複数の家族が近隣関係を作って子育てを担ったのです」(山極寿一)という話が原点になってきます。

「共にある心」とは、協力的であることです。人間だけが「協力的なコミュニケーション」をするのです。これは進化の賜物です。そのような社会的に助け合う方が、生き残った、優位だったというわけです。動物も広い意味での言葉(鳴き声やさえずり)を持ちますが、状況に応じて対応を変えて協力するためには使えません。言葉は表象ですから、その地域や時代によって異なります。「サピエンス全史」のハラリは、それを社会的な虚構だと言っています。その通りです。ヒトは共同幻想(吉本隆明)を創って生きているのです。

虚構ですから、小さい社会集団ごとに言葉や社会ルールは異なりました。これまでに確認された言語の数は6000以上、話し言葉は化石のように残りませんから、もっとあったでしょう。日本でも方言がこれだけ違いますから。

時代と地域に応じた異なる文化を身につける必要があるので、子どもの脳の中で、自分を作っていく時期がどうしても必要になります。持って生まれたものを基盤にして、その上にその社会の「虚構」と思わずに、心底信じて身につけていく必要があるのです。それだから、安心できて心を寄せあえる大人や子ども同士の中で、そこで使われている言葉や振る舞いを身につけることに夢中になります。

「・・・それがイヤイヤ期の現象なんだけど」と、友人に説明しました。もう少し続けましょう。

ここで大きなポイントがあります。大人はその社会に適応できているから、社会的に成功して今の自分があリます。勉強したり、社会人として勤めたりして、これまでの四半世紀の社会に適応できてきました。信じている社会的規範も強く持っています。大人はその考え方やルールがしっかり身についているので、子どもの試行錯誤の「イヤイヤ、そうじゃなくて、僕だってわかんないんだよ」という表現が「否定」のように映るのです。

と、そこまで友人と語り合っている時、ふと気づきました。「イヤイヤ」って日本語だなと。だから日本語を覚えていく頃から、感情コントロールの感受性もピークになるのか、と勝手に合点しました。

1歳半から2歳〜3歳の子どもは自分の心(脳)の交通整理が必要になって、とっても不安な気持ちになっているのかもしれません。今の自分にとって何が必要かわからないから、「そうじゃなくて・・・(でもわかんないよ)」を訴えるのです。それだけ、きっぱりと自分を作り始めることに踏み出せる力を持っていることを、大いに喜ばなければなりません。

では、その交通整理をどうやって助けてあげるといいのでしょうか。過去28万世代の親は、そんなことを考えて子育てをしたことはありませんが。そこには子育てを助け合う村があり、村中の人がほぼ親で、子どもは子ども集団の中で自分を創っていったという事実から考え直してみる必要があるのです。

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