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2019年 8月

アンガー(怒り)のコントロール

2019/08/20

わいわいとらんらんの遊びの様子を見ていると、こんなことに気づきます。以下は特定の子ではありません。どの子にも当てはまる特徴だと思ってください。

◆謝りたくない気持ちとは?

例えばAくんの手がぶつかって「イタッ」と思ったBくんが「痛い」と相手Aくんに訴えます。ぶつけた方のAくんが、その訴えに気づいて「ごめん」と謝ってBくんが「いいよ」となれば、仲直り成立で、また遊び始めます。ところが、Bくんが「痛い」と訴えても、Aくんが謝ってくれないときがあります。Aくんがそれに気づかないときもありますが、知っていても、ぶつけたことは「自分が悪くない」と考えて謝らないこともあります。その言い分をよーく聞くと、大抵は次の2つの「論理」がみられます。

そんなとき、ぶつけたAくんのような立場の子がいう理由でよく聞くのは「先にBくんが◯◯したから」というものや「わざとじゃない」というものです。話は長く複雑ですが、核心を要約するとそうなります。
◆先にやったのは自分じゃない
これは典型的な2つの正当化理論といえます。最初の理屈は「先に痛い目にあったのは僕の方で、そのときは見逃してあげたんだから、君だって文句言わず、それくらい我慢しなよ」という考え方です。「被害はお互い様なんだから、僕だけ謝ったら不公平だ」という気持ちがあります。この被った害の量が同じなら公正であるという感覚が、子どもたちには歴然とあります。やられたから、やり返すというのは動物もやります。
◆いまさら言われても・・
しかし、やっかいなのは、いま「痛かった、無視しないで、ちゃんと謝ってよ」と訴えるBくんにとっては、最初のことは自覚がないか、もう過去のこととして終わっている場合があって、「いまさら、そんなこと蒸し返されても」と感じる場合と「ああ、確かにそうかも」と思い出す場合があります。ただ、大抵は「今のこの痛さをなんとかしてよ」の気持ちの方が切実なので、素直にイーブンであると受け入れることは、まずありません。
◆わざとやったんじゃない
2つ目の理由「わざとじゃない」も、強力な理論です。子どもは9ヶ月ごろから人は「意図」をもつ存在であることが分かるようになります。意図してやったことは、より悪いとわかっています。なので「わざとじゃないもん」が、「自分は悪くない」とほぼ同じように使われてしまいます。意図したことか、それとも過失なのかで罪の軽重が変わるのは、大人社会の罪と罰の関係も同じです。
◆ハムリンの実験
最初の「先にやったのは自分じゃない」という憤慨は「よくないのはこっち」という判断に基づいており、1歳未満の赤ちゃんもできることが、わかっています。このホモ・サピエンスの強力な倫理観は先天的なのもです。この分野の研究で先鞭をつけた有名な研究者がハムリンです。次の動画をご覧ください。ちょっと脇道にそれますが、面白いのでみてください。協力的であることへ、赤ちゃんは共感します。
◆アンガー・マネジメント
 このような感情の噴出と鎮静を繰り返しながら、この子たちは、良心との葛藤を経ながら、倫理を学んでいます。どのように言えば、分かってもらえるか、どのように言われたら許そうと思えるか、そのような経験を子ども同士の中で繰り返しながら、感情のコントロールを学び続けています。とくに子ども同士のけんかは、怒り(アンガー)をコントロールする練習です。その正義の怒りを、自分の中の暴力に転化させず、ほかのエネルギーに昇華させることを学んでいく必要があります。この感情に負ける大人の犯罪が増えているのは、幼児期の自由遊びが足りなかったのでしょう。人は生まれたときから道徳的ですが、現代の社会では、子ども同士の関係がなくなり、子ども社会で育つ機会が奪われてしまっているのです。
◆私たちがやるべきこと
私たち保育士は、いざこざの中でどっちがいいか悪いかをジャッジして、謝らせることを優先しません。お互いの気持ちがすれ違っていて、子ども同士のやりとりだけでは手が出てしまうようなときは止めに入ります。気持ちや、考えをわかり合うためのサポートが必要なときは例えば「ホントはこうしたかったんだって」などと、お互いの気持ちや考えを代弁します。また言葉で伝え合う力があるなら、ピーステーブルに促したりして、考えを伝え合う機会を保障します。子どもが自分の感情を味わい、自らの内面からそれに打ち克つ時間を待つ必要があります。そして必要な時間は、個人差があります。
◆自律を育てる
できないところは助け、できるところは自分でやれるように援助します。自分でできるようにと言うのは、言われて謝れるのではなく、自分から悪かったなぁと思えるような心を育てることです。「ごめんね」と形だけ言えることではなく、仮にバツが悪くて言えなくとも心から「ああ、悪かったな」と思えることが大事です。形だけの行動よりも、相手をいたわったり、優しい心情が豊かなら、行動はついてくるものだからです。無理に謝らせても、自分から謝罪できる勇気や気概も育ちようがありません。反対に、いろいろなことを言って外からの働きかけでそのタイミングで「させて」いると、その働きかけがなくなると、やらなくなります。それは自律ではなく他律だからです。

探索基地の形成と学び

2019/08/10

心が安定すること、つまり「情緒の安定」は「学び」に直結します。それは、どういうことでしょうか。発達や学びの辞典に紹介されているような有名な仮説をもとにすると、こうなります。
(屋上で育てたスイカを収穫。翌日、食べました)
◆「興味・関心」が「生きる世界」の窓になる
9日金曜日の見学者の赤ちゃんは4か月で、案内中、ほとんどお母さんの胸の中で寝ていましたが、後半は目覚めると、話し声がする私の方へ首を振り、私の顔を見つめます。乳児は生後2ヶ月くらいから周りの人の目に視線を集中させるようになります。これは遺伝的基礎に基づきます。この赤ちゃんは私という「未知」の対象に関心を向けています。関心が向かわない限り「生きる世界」は広がりません。関心が生きる世界の窓になっています。私の声と聞き慣れた母親の声を区別し、時々、2人が笑う声に反応したりしていました。
◆子どもの探索基地
この赤ちゃんを眺めながら、私はこうお母さんに話しました。「あー、Aちゃん起きましたね。話を聞いてますね。しっかり私を見つめますね、知らないこのおじさん誰だろうって(笑)」と。この場合は赤ちゃんは「目線」だけですが、身体が自由になる状態なら、興味があるものに手を伸ばして触ろうとしたり、それを口に持っていって確かめようとするでしょう。
(ちっちの子どもたちも、先生が安全基地になっていろんなことをやって楽しんでいます)
そのようなことを盛んにする心理状態は情緒が安定している時です。不安だったり、お腹が減っていたり、眠かったりすると、泣いたりして、まずはお母さんという愛着対象に依存して安心を得ようとするでしょう。そして安心や安全が確保されるとまた「探索活動」が始まります。信頼する人を安全基地や探索基地にしながら、持って生まれた好奇心が世界への学びへと向かわせます。「情緒の安定」が「学び」に直結するとは、こういうことです。
(お友だちとの関わりも盛んです。ちっちのブログをご覧ください)
◆社会的スキルも学習
月齢が上がっても同じことがいえます。ハイハイして、あるいは歩いて目新しいもの、面白いものを求めて探索します。ちっちやぐんぐんの子たちも、探検家のように毎日が発見の連続です。
(にこにこ組の外の通りがよく見える場所。先日の模様替えで作りましたが、とても好評だそうです。子どもたちにとって新奇なものは、大好きだからです。ちなみに、通りからは子どもの顔があまり見えないように、フィルムが貼ってあります)
模様変えした、にこにこの子たちは道路側の観察コーナーが、車や人が見えて人気のようです。わいらんすいも仲間関係の学びがたくさん起きています。「入れて」「いいよ」などの社会的技能を身につけています。また遊びが目的志向的な遊びが見られるようになってきたり、感情のぶつかりあいを通して情動抑制も徐々に(小学校期も含めて)うまくなっていきます。
(スイカの白い種と黒い種があるのに気づいたJ君が、と「どっちも芽がでるのかな?」と疑問をもった。早速、白と黒に分けて土に蒔いてみることになった)
◆情緒の安定と学びは表裏一体
このように保育は家庭でも、この大人の愛情、保護、学びの要素から成り立っているのです。このような心理的機序があるからこそ、私たち保育士は「保育とは養護(生命の保持と情緒の安定)と教育が一体的におこなわれるもの」だということを大切にしているのです。
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