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2023年 1月

【みんなで考える”新しい学校”Vol.1】

2023/01/12

「東京に新しい学校をつくる会」からのお知らせです。

【みんなで考える”新しい学校”Vol.1】✨
(1/15@早稲田大学戸山キャンパス)

世田谷区立桜ヶ丘中前校長の西郷孝彦さんをお迎えし、
これからの学校のあり方を考えます。

映画は有料(25歳以下無料)で、
午前と午後の2回上映します。

講演会と座談会は無料です。
(YouTubeでライブ配信もします)

<タイムテーブル>
10:00〜映画「夢みる小学校」
13:00〜映画「夢みる小学校」
15:00〜西郷孝彦さんの講演
16:10〜座談会は以下の3人

西郷孝彦さん、山西優二さん(早大教授)、宮野祥子さん(教育学者)

質疑応答ありま〜す。
ぜひ会場までお越しくださいね。✨

【みんなで考える”新しい学校”Vol.1】のお申し込みはこちらから⭐︎

https://tokyo-school-0230115.peatix.com/?utm_medium=web&utm_medium=%3A%3A%3A0%3A3429289&utm_source=results&utm_campaign=search

#東京に新しい学校をつくる会
#夢みる小学校
#オルタナティブスクール
#西郷孝彦
#山西優二
#宮野祥子

鏡開きをめぐって

2023/01/11

割ったり、切ったりというと、神様によくないから、神様がここからお戻りになるように開くというんですよ。・・・こんな言葉遣いの配慮や、縁起をかつぐことにこだわることは、とても根強いものが残っています。二人をお祝いするときに2分されないように「3」や「5」の奇数にするとか、今なら受験シーズンなので、滑るや落ちるは使えない雰囲気さえあるでしょう。喪中は年賀状も出さないし、おめでとうとは言わない、祭事だった相撲をみれば悉く所作に意味を持たせていることもわかります。鏡開きをしました。さて、何を大事にすることが幼児教育に相応しいのでしょうか?

一つの考え方として、ずっと伝統的に守られていることには、きっと大事なことがあるんじゃないか?そういう発想が一つ。でも人権感覚や宗教観も変わってきている中で、どこまで何を大事にしたらいいのでしょう。また、地域社会や家庭の風習や習慣の中で、失われているからこそ保育園が担った方がいいという考え方と、サンタクロースの話ではありませんが、いつからか変形されていった経緯の要因への評価みたいなものも検討範囲に入ってきます。それも直感的なよさの判断が働いていくものかもしれませんが。

細部にこだわると、ああでもない、こうでもないとなるのが、私の経験であります。お餅つきを保育園でやるとすると、人手が足りずに親や地域の方と一緒に行うことになるのですが、そのとき昔は「船頭さん多くて船が進まない」ということがおきがちでした。餅米の蒸し具合、火入の加減、臼と杵で腰でこねる作法など、いろんな伝統的な知恵があって、だんだん、そうしたこだわりも減ってきた気がします。まあ元気よく、どっこいしょ、と楽しめばいいのでしょうから、と。

お供えした時、柔らかかったのに固くなっているだとか、ヒビが入った、割れた、中は柔らかいとか、青カビとか、さらに遡ってお米からお餅になる変化などに注目させることだってできるし、冒頭で触れたように言葉のことや、人間関係のこと、つくとか叩くとか運動面も色々あります。でも鏡割りでそうした分析的な五領域の話に還元しても、あえてやる意味としては何かピンときません。

私の中学の時の国語の先生が(私が12歳の時ですから半世紀前のことですが)「最近は仏壇が減ってきているらしい。朝夕に親が手を合わせている後ろ姿を子どもが見ることは減った」みたいなことを言っていたことを、なぜかよく覚えています。日本の住宅から畳が消えていったことに合わせて、神の居場所も減っていったというのです。朝夕のそうした時間と空間の喪失。

ふと、そのような気配を感じる空間というものを、園環境の中で作り出すといった発想に近いものは、茶室だったり絵本ゾーンだったりするかもしれませんが、ちょっと違います。人が何を精神の拠り所として生活しているか、そのためにふさわしい空間がどこにあるのか、そう考えると高層マンションからは消えてしまっても、ちょっとした街角に神社やお地蔵さんが、そうした空間を守っているようにも感じます。

土ってたのしいね

2023/01/11

1月とはいえ、太陽の光が降り注ぐ園の屋上はなんだかポカポカしていました。
今日は、花壇での土遊びが盛り上がったちっちさんでした。
(屋上の反対側は人工芝になっているので、なるべく足の裏の感覚も使ってほしいなということで、靴下で遊んでいたのですが、後半にはすっかり花壇で土まみれに…!)

りょうくんは、草をかき分けて花壇の中の探検です。

花壇の端っこが、坂道のようになって、まるで、土のすべり台。よいしょ、と登っては、おしりをついてずるずる坂を下って…を、何度も何度も繰り返していました。


そんなりょうくんの姿を見ていたゆたかくんも、りょうくんに倣って挑戦です。

↑なかなかワイルドな状態と化した花壇なのでした。



そして、向こうのほうでは、れあちゃんとしおんくんがなんだかたのしそう…。

『なにしてるの〜?』というふうに近づいていき、ゆたかくんも気になったようです。

ふたりで座り込んで、土をパラパラ〜っ。撒き散らしてみては、ケラケラ笑っています。土の感触をたっぷり楽しんだね。

 

夢中になって遊ぶ姿や、嬉しそうな笑顔を見ていると、やっぱり、どんな人工的な玩具よりも、土や葉っぱや水…といった自然のものは、子どもたちにとって何より魅力的で、五感を研ぎ澄まして遊べるものなのだろうな〜と、感じました。


そこから得られる一つひとつの感覚を、じっくり味わっているかのように、長いこと同じ場所で遊ぶちっちさんでした。

屋上でこんな遊びができるのか…と気付かなかったのですが、子どもたちは面白いことを見つける達人ですね。
保育園のまわりは、けして自然豊かな場所とは言えないけれど、そのぶん、こうして身近にある自然物に触れながら、全身でめいっぱい楽しんでほしいな、と思うのでした。

自然物との関わりが増えると、その分お洋服の汚れも…。
遊びのなかでは、靴や靴下、上着やお洋服が汚れてしまうこともあるかと思います。いつも汚れ物のお洗濯ありがとうございます。
思いっきり遊ぶ子どもたちを見ていると、(あっ、汚れちゃう…!)と思う瞬間もあるのですが、子どもたちの「やってみたい!」「おもしろい!」という気持ちに溢れた体験は、それだけ価値があるものだとも感じています。お家の方もお忙しいなかで洗濯などのお手間をおかけすることがあるかと思いますが、どうかあたたかく受け止めていただけたら有り難いなと思います。(もちろん、何かありましたらいつでも遠慮なくお声がけください!)
園でできる部分はなるべく綺麗にしてお返ししたいと思っていますので、引き続きご協力のほどよろしくお願いいたします。

 

前半には、こんな姿も…。↓

小さな植木鉢を見つけてきて、大事そうに抱えていたれあちゃん。ゆたかくんにも『どーぞ』。

そして、最後は、葉っぱや草をひとつずつ摘んで、ゆたかくんの髪に飾って、ヘアアレンジしていました。

 

今日のおまけショットは、お昼寝の時間、ゆたかくんをトントンして寝かせてあげようとするちはるちゃん。

ゆたかくんも、安心した様子で、だんだん目がトロンとしていました。

1月11日 昼食

2023/01/11

ごはん 手作りふりかけ

かぼちゃの味噌汁

ぶり大根

ほうれん草の磯和え

いちご

「なんかいい感じ」にできていく

2023/01/10

最近、幼児特に年長さんが段ボールをよく使うので足りなくなります。「大きな箱」の特性からの遊びです。中に入ってみる、乗り物に見立てる、積み上げてみる、中には乗って潰すなど。何を目指しているのか、どこに向かっていくのかとみていると、それぞれに作りたいものがある時と、そんなに明確なものをイメージしていないときがあって、それでも試行錯誤しながらやっていく推進力に驚くばかり。どこで飽きてしまうのか、続く遊びはどんなことか、そういう要素を見つけたいと思いながら見守っています。

自ら手を加えて変わっていくことの手応えや面白さなのでしょうか、手を加えて変わる結果からもっとこうしようと続けていこうとする。その作用のようなものはなんだろう?と感じる時があります。カイヨワの遊びの4つの分類に重なる要素(模倣)もあるのですが、幼児には村井実さんの善さの4要素の核に美があると思ってみてみると、なんかいい感じになってきた、というよさの感覚から、それをよりもっと、と続けさせているように見えなくもありません。

そうしたこだわりは、箱にテープを貼る場所、箱を載せる向きなどの瞬間瞬間に働いているのかもしれない、なんてことも感じたりしながら。というのも「やって〜」と頼まれたから手伝うと「ちがう!こっち」と理由がよくわかない「指導」をもらうこともよくあるものですから、「失礼しました」と。探究の原動力は、好奇心のようなことを発動させているその奥だか手前だかに、いいね!と感じるものが動いているのかもしれません。それを感じることができるのも、子どもの側にいる役得かもしれません。

 

チュンちゃん 子どもの手に乗る

2023/01/09

年末年始を職員の自宅で過ごしたセキセイインコのチュンちゃんが、保育園に戻ってきました。いつの間にか、手に乗るようになったチュンちゃん、子どもも鳥も、その間に「信頼関係」成立です。動物が人に懐くというのは、警戒心が解かれていくことでしょうから、そこには学習があるのでしょうが、きっとそこには生まれながらの傾向と、これまでの経験からのものとがあるんでしょう。それまでの経験の中には、園児たちの大事にしてあげようという優しいケアも含まれると思います。何らかの形で鳥にもそれが伝わっているのでしょう。そう思うと、金魚やカメとの間にはなかった、気持ちの通い合いのようなものを感じやすいと言えるのでしょうか。インコは警戒と信頼の差を見せてくれる性質を持っているから、人気があるのかもしれません。人は自分に懐いてくれることを嬉しいと思うものですものね。そこに愛情の通路ができるからでしょうか。

春の七草をお粥にして

2023/01/07

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、おとけのざ、すずな、すずしろ これぞななくさ。

語呂合わせで覚えているものが、結構あります。

言葉の豊かさ、というものを保育士ならその専門性として考えざるを得ないのですが、あるだじゃれが大好きな方は、言葉遣いの名人でもあり、「ああ、そんなふうに説明できるのか」と、簡潔にしてポン、と私の方に意味が飛び込んでくるような語り方をします。あのね、それはね、昔日本人はね、と、まるでボールがゆっくりと投げられて、見ていたらヒューッと戻ってきて、私の手の中にあるといった感触があって心地よいものです。

五七調の調べに乗せると、なぜか覚えやすいのは、そういう文化に慣れてきたからなのでしょうが、子どもたちにもそういう言葉の環境を用意してあげているかというと、どうでしょうか? 日本の言葉の調子というものを、子どもが気づき面白がる時期があって、先日もやたらと「いちじゅうひゃくせんまん」と呟いていたので、何?と聞くと、それきた!とばかりに、その子が「クーイズ、クイズ」と始めたので、気前よく私が「な〜んのクイズ?」とやると、「一番大きな数はな〜んだ?」というので、さっきからぶつぶつ言っていたから答えはわかっていたんだけど、あえて「じゃあね、100億!」とでまかせに答えてあげたら、「ブッブー、むりょうたいすう」でしたあ〜。

園生活には落語のじゅげむが流行ったり、出会い頭に必ず「やろう!」と誘われてアルプス一万尺をやらされたりすることがあります。早口言葉とか回文、かるた遊びで俳句と出会ったりもします。これぞ七草のように、こうでもしないと覚えられるものじゃないというものがたくさんあって、何度も口にしているうちに、忘れられないものになります。ちはやぶる〜も、遊んでいるうちに覚えてしまったということであって、和歌や短歌を忘れないのは、よくよく考えると面白い脳の記憶方法になっているのかもしれません。

ちなみに、秋の七草は「萩すすき、桔梗かるかや、女郎花、ふじばかま葛、秋の七草」です。

せっせ、せっとと・・

2023/01/06

子どもがせっせ、せっせと何かやっていると感じるとき、そこにささやかな幸せを感じます。昨日5日(木)はお昼ごはんを屋上で食べることになって、トレイに乗せた昼食をこぼさないようにそ〜っと運んでいました。年末からよく晴れて気持ちがいい日が続いています。風もなく明るい日差しが降り注ぐ屋外で食べるごはんが特別なのを知っているようです。ぼくもわたしもと、ぞくぞくと屋上へ集まってきます。やりたい子だけがそうしているのですが、そのきっかけは今月28日(土)に行う予定のお楽しみ会(パート2幼児編)に向けての話し合いから偶然そうなったものです。

「お父さんやお母さんに楽しんでもらうために、何をしようか」

この問いかけかけから、いくつかの活動が生まれています。その一つが「クッキングをして食べてもらう」というのが生まれました。何を作るかの候補が決まり、どこで食べてもらうかを考えていたら、「屋上がいい」という案が出て、いつも二階で食べているダイニングのテーブルを屋上へ運ぶことができるかどうかを検討することになり、それを運んで並べてみたら、「うん、これでいいね」となって、そこから「すぐやってみたい」が始まって・・・せっせ、せっせとが始まりました。

テーブルを拭くタオルや手洗い用のハンドペーパー、必要と気づいたものを「あたし、とってくる!」と、われ先に動き出す子どもたちのはつらつとした顔つきがいい。お代わりにいかなくてもいいように「いっぱいもらっておくの」と、いつもより多めによそってもらったご飯が、日に照らされて輝いていました。

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