
レーズン蒸しパン
牛乳
2023/01/06

レーズン蒸しパン
牛乳
2023/01/06

七草粥
鶏のの海苔焼き
じゃがいもの甘辛いため
玉ねぎの味噌汁
みかん
麦茶
2023/01/06
~インフルエンザの感染が聞かれ始めました~
東京都感染症情報センターの発表でもありましたが、
インフルエンザの定点当たりの報告数が増加しており、
千代田区内保育施設でも園児・職員の感染が聞かれ始めました。
手洗い、うがい、マスク、換気等、
今後も変わらず感染症対策をお願い致します。
2023/01/05
今日は、和泉公園の遊具の広場で遊びました。
ネットの遊具に登り始めるぐんぐんさん。
いつのまにか、こんなにスイスイ登れるようになっていました。
かほちゃんは、「かほちゃん 前は登れなかったけど、上に登れるようになったよ」と言いながら、どんどん登っていきます。自分でも、『できるようになった!』を実感しながら、その変化をかみしめながら、楽しんでいるようでした。

かほちゃんに続いて、ゆうかちゃんやはるとくん、こうすけくんも…。
そんなみんなの姿を見ていた まおちゃん。やってみたいけれど、勇気が出なくて… “先生のぼらせて”と訴えます。
でも、先生はあんまりお手伝いしないのです・・・自分の力でやってみる中で、身体の使い方を工夫しながら身につけ、発達していきます。ここまでならできそう、と自分の力量も知っていくことができそうです。
一歩引いて見ていると、まおちゃん、少し勇気を振り絞って、挑戦!
子どものころ、少し難しそうな遊具に挑戦するとき、そのスリルにドキドキする気持ちと、挑戦してみたい気持ちの間で揺れることがあったなぁ、と、まおちゃんの姿を見ながら懐かしく感じました。
最初はネットに手をかけるのも躊躇していたけれど、まおちゃんの第一歩♪
スイング遊具も人気です。


列になって乗っている姿がかわいらしくて、ほっこり♪です。 さいごは表先生も一緒にご乗車〜
2023/01/05
お友だちの持っていた本が見たかったけれど、貸してもらえずに泣いていた しおんくん。。
すると、近くにいた りょうくんが、おもむろにほかの絵本を手にして、しおんくんに差し出します。

しおんくん、泣くことに夢中で、りょうくんの姿になかなか気がつかないのですが…健気に絵本を差し出し続けるりょうくんです。
そして、ふと、しおんくんが気が付いて絵本を受け取ってくれました。

ほんの数十秒間の出来事でしたが、お友だちの存在をしっかり感じながら、そして お友だちの姿をしっかり捉えながら やりとりしているんだなぁと感じる場面でした。
子どもたちの姿を見ていると、きっと大人が思う以上に、子どもたちはいろんなことを感じて解っているんだろうな、と思います。
りょうくんが、どんなつもりで、どんな気持ちで絵本を差し出したのか、その心意はわからないけれど、しおんくんの姿を見て、何かしてあげたいな、という気持ちが生まれてきたのかもしれないですね。
まだ言葉を交わさなくても、子どもたちなりのやりとりをたくさんしながら、その関係を深めているようです。
2023/01/05

1月4日の保育はじめは、初詣でした。保育園から柳原通りに沿って200メートルぐらい、毎日のように遊ばせてもらっている柳森神社へお散歩です。2回お辞儀(二拝)をして、2回パンパンと拍手をして(二拍手)、お願いをしましょう、済んだらもう一度、お辞儀(一拝)をしましょうね・・「〜ね、ディズニーランドに連れてってもらうの」だそうです。
この神社は、室町時代に、太田道灌が江戸城の鬼門除けとして建てたと言われている有名な神社(方除いなり)です。江戸城から見て、ちょうど東北の方向になります。入り口に大きな狸の石像「おたぬき様」があり、「たぬき」なので、他を抜く、他のものに競り勝つということから、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されています。ですから朝夕にはスーツ姿のビジネスマンらしい人たちが、商売繁盛の祈願と感謝に訪れる方も多い場所となっています。
ちなみにこの神社は江戸三森(この柳森神社と椙森神社と烏森神社)の一つで、観光名所にもなっています。京都の伏見稲荷大社を勧請して創建されたので、主祭神は倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)です。いなたま、と言えば稲の神様です。古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、日本書紀ではでは倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されているそうです。

【宇迦乃御魂命】
いなたま、だから稲の神様といいましたが、もともと食べ物を「うか」とか「うけ」と呼んでいたらしいく、農耕文化に根ざした神様は、キャンベルによると世界の多くの神話は女神です。日本も「うかのみたま」は、大地から命をうむ女神でした。写真は滋賀県守山市の小津神社が所蔵する「木造宇迦乃御魂命坐像」(重要文化財・平安時代)です。

また白川静によると、神という字の「申」は稲妻の形です。稲光は天にある神の威光のあらわれと考えられたので、金文では「申」をカミの意味に用いていたそうです。ですから神の元の字は「申」でした。ピカリと稲光が天から差してきたとき、それは神様のお告げと感じたのでしょう。そこから神を祀るときに使う祭卓の形である「示」を合わせて「神」の字となったと考えられています。注連縄(しめなわ)や紙垂(しで)も稲光のイメージから来ているのでしょう。
2023/01/05

たらこパスタ
2023/01/05

たらこパスタ
2023/01/04

さあ、仕事が始まりました。体と精神がいつもの生活に戻っていきます。そして、こうして1日を振り返るたびに、二つの世界の往還の周期の中を歩んでいるという感覚が鮮明になります。もっとあの「精神世界」の中で魂の認識を深めたかったのに、とりあえず、それはもう棚上げして「現実の世界」でやらないといけないことをやるしかないという、山から降りてくる感覚。そしてきっとこの「現実の世界」に没頭していくと、またより大きな自由を感じる精神世界へ戻り、思索を深めたいという衝動に駆られて山を登っていくに違いないのです。
この行ったり来たりのリズムは、明かに精神世界から現実世界へとエネルギーをもたらしており、両方の世界のバランスが崩れると、よくありません。現実の世界はいくら体験や学問を深めていっても、それだけでは解明できないと感じる事実の前で、それ以上の思索方法が見つかりません。感覚的な認識では把握できないような世界です。たとえば宇宙や素粒子の観測データが示すような科学的な仮説(ダークマター、ビッグバンなど)です。脳科学にしても、そういうものだと、受け入れるしかなく、体験からくるものとは違うので自己の納得レベルは浅いものにしかなりません。
一方で、生身の欲求を制御して意志する力を感じる時、あるいは体験から直感的に納得するものは、そこに自由な精神を感じます。しかも、私にとって、その自明性は論理的認識の向こう側からやってくる感じのものです。例えばピタゴラスの定理の証明なら、辺の比率が3:4:5の直角三角形を使って、短い方の2つの辺の二乗の和(9+16)が、最長の辺の二乗(25)に等しいということを、正方形が並んだ方眼紙による展開図を書いてみれば、直感的に照明など入らずに、自明のこととして納得できます。この「明らかさ」と同じ「確かさ」を、自己の体験として求めているのです。数学的証明の確かさです。
ところが数学と違って、生物、とくにその存在が謎である人間について、しかもそのより良いあり方といった事柄については、どういうことがそうなのかを解明していくことは、極めて複雑で困難極まりないものだということがわかります。人間や人生の謎について、自然科学と人文科学、社会科学が総がかりで取り組んでいるわけですが、科学的エビデンスの積み重ねが明らかにしてくれている説明は、それを読んで理解することさえ、難しいことが多いので、それの要約や解説に頼るしかないというもどかしさと不自由さを抱えています。
それでも保育や教育は「現実の世界」として、一時も待ってはくれず、その歩みを止めるわけにはいきません。そしてまた同時に、生きる力の源泉に立ち返りたいという強い衝動があるのは。「現実の世界」に生かすことに中に、その意義を見出したいし、そこに自由を感じたいからなのでしょう、きっと。
2023/01/04
年末年始休みが明け、保育園にも日常が戻ってきました。
休み明け、大きく崩れる子もおらず、保育園が、子どもたちにとって もう一つの生活の場所になっているのかなと思うと、ホッとします。
今朝の朝おやつ後のエピソードです。
朝おやつのエプロンを、そのままお部屋に持って戻ってきた さらちゃん。どうやら、汚れ物の袋の口がうまく開けられなかったようでした。「先生やって〜」とお部屋に持ってきました。
ですが、ほかのお友だちのお散歩の準備の最中で手が離せなかったので、「ちょっと待ってねー」と伝えると…
近くにいたあまねくんに「あまねくん、やってー」。
さらちゃんにお願いされたあまねくん、自分で上着を着ようと奮闘していた最中でしたが、すぐにさらちゃんのエプロンを受け取り、汚れ物袋へ。

さらちゃんの汚れ物袋にバッチリしまってくれました。
その様子をさらちゃんもじぃっと見つめています。

(ほかのお友だちのタオルが忘れられておきっぱなしになっていたので、「◯◯ちゃんのもお願いして良い??」と聞くと、さらちゃんも、サッと、お友だちの袋にしまってくれました。)
お友だちに頼ったり、頼られたり。大人がいなくても、子どもたち同士でいろんなことができるようになってきています♪
持ちつ持たれつの関係が、素敵です。
日中は、佐久間公園へ。
にこにこさんと、中村先生がかくれんぼしていると、ぐんぐんさんたちも一緒になって「みーつけた!」。

楽しいことへのセンサーがするどい子どもたちです。