
サーターアンダギー
牛乳
2023/01/16

サーターアンダギー
牛乳
2023/01/16
保育園で感染性胃腸炎(お腹の風邪)が流行中です。
先週から嘔吐や下痢・軟便、発熱などでのお休みの子どもが、本日16日現在で18人です。
保健所へ連絡しました。感染の拡大を防ぐために対策を講じておりますが、下記の点にご留意ください。
(1)ウイルスの特定はされていませんが、潜伏期間は短く、うつると症状がすぐ出ます。
(2)体内の残留期間は長く、便などからの排泄物からも病原体は当分出続けます。
(3)嘔吐・下痢などの症状が治っても、通常の食事が摂れるまでお休みください。
(4)コロナ禍でもあり受診を必須とはしませんが、感染力が強いのでしっかり治療・療養をお願いします。
2023/01/16

アマランサスごはん
わかめのすまし汁
鮭の西京焼き
田舎煮
みかん
2023/01/15

15日の日曜日、「東京に新しい学校をつくる会」の初となるイベント「みんなで考える“新しい学校” Vol.1」は盛況のうちに終えることができました。以下、つくる会のメンバー、宮野祥子さんが書いた報告を紹介させてもらいます。

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会場に足を運んでくださった方々、YouTube配信をご視聴くださったみなさま、関心を寄せてくださった方々、本当にありがとうございました。
当日は、約350名の方々にご来場いただきました。
ご来場者は真剣なまなざしで熱心に耳を傾けていました。イベント終了後はほとんどの方々がそのまま会場に残って熱心にアンケートに記入され、また登壇者の前には長蛇の列ができました。
今までの常識や固定概念を一度全部粉々に壊して、「学校とは」「教育とは」というようなことを考えるきっかけがつくれたらという思いからはじめたこのプロジェクト。
当たり前だと諦めるのはまだ早いんじゃないか、こんなカタチもありえるんじゃないかと、かすかでも希望をもって帰っていただけなのではないかと思っています。
アンケートのご感想や意見や参加者の方々の声、イベント終了後の西郷孝彦さん、山西優二さんからの声なども近日中にお伝えする予定です。
改めまして、無事に開催できたのは、ひとえにご参加くださった方々、応援してくださった方々のおかげです。心より感謝いたします!
今回の企画でいただいたご意見やパワーを次につなげていくことが使命だと感じています。今後ともよろしくお願いいたします。
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主催してみて、私も学びの多いものになりました。新しい学校をつくるという「答えのない問い」を世の中に問うているのですが、その「問い」にこれだけの多くの方が関心をよせ、真剣にその答えを探そうとしている方々と出会えたことは、その問いが正統な問いであるからでしょう。
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私たちにとって、いったい、義務教育とはなんだったのか。その歴史と現在とを直視したときに、このままでいいと思う人はほとんどいないはずです。では、どうしたらいいのでしょうか。

その答えを求めて、すでに実践している多くの挑戦に、私たちが学ぼうとしないとしたら、それは学び方が足りないのでしょうか。あるいは、すでに挑戦している方々から生まれている、新しい問いを聞かないことは、私たちの怠慢ではないでしょうか。そしてこの「問い」を持つことをタブー視するものは、未来への問いもないことにすることに等しいでしょう。私たちは幸せを追求する自由があります。

幸福とは何か? 問いとは何か? そして学校とは何か?
今回の講演と鼎談の中から印象深い言葉をご紹介します。

西郷孝彦さん「一度でもナマで幸せを体験していれば 言葉の幸せの嘘に 騙されることはない(谷川俊太郎)」
山西優二さん「暮らしの中の問いを封じ込めてはならない。学校での学びはその問いの答えを探す場所であってほしい」
2023/01/14

昨日13日(金)の夜、養成校が開いたリスキリングの研修会で、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」について検討しました。このいわゆる「10の姿」と私たちが呼んでいるもの。これを幼児教育に携わる者(主に保育者)と、小学校以降の生活や学びに携わる者(主に学校の先生)とが、深く理解して共有したい。具体的な姿を持ち寄って話し合い、理解し合いたい。その機会を作り出したい。そういう動機が働くためにも、それをやることが、子どもの人権を守っていくことにつながるのだということをよく理解したい。そんな気持ちで検討した180分の研修会です。
そもそも幼児教育とは、というところまで遡って考え直しました。幼児教育とは何をすることなのか。何がよい幼児教育なのか。どう考えることが質がよいと言えることなのか。育みたい資質・能力とはどういうことなのか。なぜプロセスの質なのか。それは、どういうことを過程として捉えるのか。かかわるとは、どういうことか。遊びというのはどう働いているのか。その上で主体性とは何か。人権をどう考えるのか。これらのことは世界的にはどう理解されているのか。園生活の中にそれが置いてあるのはなぜか。・・・このような、そもそものことを考えていくことがいかに大事なことなのか。
そうやって丁寧に一つひとつを、手にとって触り、確かめ、味わい、よく咀嚼すること。そういうことをちゃんとやっていく学びがないと、幼児教育が目指していることが、本当には「わかった」にならないんだということが浮かび上がってきます。わかっていないことを理解して、その不足を知りたくてまた学ぶこと。私たち大人の学びが自覚的に進んでいくこと。なるほど、と繋がっていく継続的な学び。私たちの保育が、私たちの探究でもあるような営みになるように、そんな時間になることを目指した研修をやってみました。
2023/01/14
ピッという感覚。
今日ほど、ピッという感覚に心を踊らせたことはないでしょう。
今日ほど、ピッという活動に魅力と憧れと、目標に置いたことはないでしょう。
交通機関に乗る際に、改札を通るという当たり前の社会生活の場面で、大人は無自覚、無感覚で「ピッ」と改札を通るでしょう。
でも、子どもは違います。子どもは「どう置こうか」「どうやってピッとなるようにおこうか」 ドキドキ、ワクワクしているでしょう。実際、赤く光ってエラーになった場面へのドキッと感や、そこからの入りなおしに安堵するといった心揺れ動いている子どもたちです。
その喜びを共有でき、共感できるのは、「子ども同士」でしか味わえません。 やった子も、やっていない子も、総じて「小児用交通パス」の活動には、子どもの時にしか感じない感動がたくさん入っている体験でした。
今日は、子どもの社会が広がった一コマのシーンになったでしょう。この一コマは誰しもが感じてであっています。でも、このシーンの感動や思考は、次第に薄まって無くなっていきます。大人が改札を通ることに感動しないのと同じように。。。
でも、これらすべての出来事は、決して否定も悪いことでもなく、成長や世界への広がりがそうしているのでしょう。
私たち保育者が保育で大事にしたい事は、子どもベースの感動や体験の質を大事にしているのです。 らんらん組にも、小児交通パスの用意を選択で広がっていくのもいいのかな。と想像しているのです。 今日は、子どもが成長した瞬間をしみじみと感じる今日一日でした。
2023/01/14
昨日の午睡明けのエピソードです。
さらちゃんが持っていた『おさるのじょーじ』の絵本が欲しくてたまらない まおちゃん。さらちゃんも「だ〜め〜!あとで貸すからぁ〜!」と涙の取り合いっこをしていました。
「今はさらちゃんが使ってるんだって、どうしようかねぇ、ほかのじょーじの絵本ないかなぁ」と、涙涙のまおちゃんとお話していると…
そのやりとりをずっと近くで見ていたかほちゃんが、少し離れたところに座っていたあまねくんのところへ向かっていきます。
あまねくん、ほかの「おさるのじょーじ」シリーズの絵本を2冊、抱えていたのです。
(💭いつも、お友だちの持っているものが欲しくなる子どもたち。さらちゃんとまおちゃんのやりとりを見ているうちに、かほちゃんも、じょーじが欲しくなったのかな?それとも・・・) 大人もこのあとの展開がどうなるのか!?っとじっと見つめておりました。
そして、「あまねくん、これいっこかして?」とかほちゃん。あまねくんも、一回「ダメ〜」と言いながらも、ちょっと考えたあと「はい」と1冊かほちゃんに渡してあげます。
そして、まおちゃんのところに戻ってきた かほちゃんは、「ハイ」とあまねくんに貸してもらったじょーじを、まおちゃんに渡してくれました。🙊
ぐんぐんさんの華麗なチームプレーに感激しつつ、このあとのかほちゃんの姿が、また素敵だなぁと思いました。
かほちゃんに絵本を差し出してもらったけれど、『いらないっ』と首を横にふって絵本を手でよけるまおちゃん。まおちゃんは、”さらちゃんの持っているじょーじの絵本”が良かったんですね。
すると かほちゃん、「いらない?こっち(さらちゃんの)がいいの?」とまおちゃんの顔を覗きこみながらやさしく聞きとってあげていました。
まおちゃんも、「うん」とかほちゃんの質問にこたえます。まおちゃんも、さっきより少し気持ちが落ち着いてきたようです。
せっかく借りてきてあげた絵本を いらないっ!と言われたら、しょんぼりすることもあるかもしれないし、「じゃあいいやっ」とそこで終わりにすることもできるけれど、でも、最後までまおちゃんの気持ちに寄り添ってくれるかほちゃんの姿になんだか心動かされるのでした。
お友だちに何か『やってあげたい』という自分自身の気持ちを越えて、まおちゃんの気持ちに心から寄り添おうとする姿。大人の私たちもハッとさせられるような子どもたちの世界があります。
2023/01/13

幼児教育の根幹に「子どもの人権」があるということをよく考えるようになりました。一つは昨年末からの保育園の問題から。もう一つは小学校への就学を考える時期になってきていることから。そして千代田区の就学前プログラム策定の検討委員としての作業の中でも。また東京に新しく学校をつくるために考えていることの柱になるものとしても。人権は主体性が尊重されることであり、その具体的な姿が、さまざまな「かかわり」の中で共感と自律のダイナミックな動向として現れているという意味でも、幼児教育を捉え直すことにつながっています。

先生たちが描く子どもの姿が多面的になってきているのを感じます。屋上の花壇で遊び込む乳児の姿。花壇の傾斜を滑り台のように遊ぶ自分との「かかわり」、土を握ってはパラパラと投げて笑う面白さ。お友達の楽しそうな雰囲気に気づいて近づいていく姿。あるいは年長さんの御徒町公園へ電車で出かけることになった経緯にみられるグループの目標の会話による修正。公園で偶然であった保護犬がどうして人を怯えるようになったのかの話への子どもの共感。電車の改札を通るための「はじめてのピッ」体験へのワクワク感。

ちょっとした体験の瞬間を捉えては、それぞれの主体性が、自分自身や人や動物やものとの「かかわり」のプロセスそのものの中で、どういうことが起きていそうか、どう世界が広がっているのか、あるいは取り入れているのか、そのあたりのよさや面白さ、遊戯性の濃淡を捉えているくれているように感じます。
親子でご覧いただくための写真入りのドキュメンテーションは、クラスや廊下に掲示していますが、ホームページの他のクラスブログも、よろしかったらぜにご覧ください。

2023/01/13
今日は、初めてすいすい組が小児交通パスをもって、わらす組で御徒町公園へ行きました。用意いただいたパスを使いたいという子どもの姿もあったこと、「鉄棒、砂場、ブランコ、ジャングルジムがある公園」といったリクエストもあったからです。
がらっと話は変わりますが、
公園には、犬の散歩に来る地域の方々がいます。興味をもった子どもが近くに見に行くのですが、今日は「保護犬」と初めて出会いました。
この小型犬は、子どもが近づいてくると ブルブル震えるのです。飼い主の方は「保健所で殺処分されるときに引き取った。きっと、いじめられてきて、人を見ると怖がる。」とのこと。子どもが一歩動くと、ビクッとなって飼い主の後ろに行くのです。
飼い主の方は子どもたちに「生き物は最後まで大事に育てないといけないんだよ」といった事子どもたちに語り掛けてくれました。
ちゅんが大好きな女の子は共感したようで、「お世話しないといけないね」と話していました。
公園には、色々なねらいをもって計画をしている大人の意図もあるのですが、このような自然で偶発的な体験は昨今のコロナや人との関わりがダイナミックではなく、探ったり、少数でのコミュニティー化では経験できないなと振り返りながら、園外に出る機会は多様な体験の場になっていると深く感じた瞬間でした。
2023/01/12

子どもの体験というものを「かかわり」の変化、と捉えるとどんな体験であっても、その体験そのものが、よーく考えればプロセスに他ならないことがわかります。かかわりそのものが変化するのです。というよりも、変化しない「かかわり」はないといった方がいいのかもしれません。常に変化しないものは、この世にはないわけだから、そのことを本気でそう思いましょう、というのが実は幼児教育の前提になっている「体験観」なのかもしれません。変化というと、石など物質は変化しないじゃないか、と思うかもしれませんが、物的には動かないように見えても、微細に見れば物理学的に見れば動いているし、時間的にみれば劣化したり摩耗したり風化したりします。そういう物的現象とは別に、ものの「かたち」が、私たち生きのもに、届いてくる像、イメージ、内面に引き起こされる表象といったものが「かかわり」の要素だと考えれば、それはものによって、あるいはこちらのコンディションによって変化します。かかわりは常に変動し、揺れ動き、相互に作用しあっている関係の中にあります。
そんな風に関係やかかわりとして保育を見ると、ものがアフォードしてくるものを、発達によって受け取る子どもにとっての意味の違ってくるだろうし、そこに偶然に起きる出来事にも縁を感じてしまうし、そこに立ち会っている瞬間の空間に厳かさや神秘性を感じてもおかしくありません。もし昨日の鏡開きの後日談があるとするなら、現代あるいは未来における神聖さを探すとするなら、まさに人間性が発揮されている場所になら、どこにでもあるはずなのです。神社やお地蔵さんということではなく、私たち自身の中に、子どもたち自身の中に、あるいはその存在を含めた精神的空間のなかに、それを見出して豊かにしていく営みが保育であるべきなのでしょう、原理的には。仏壇に手を合わせる姿がなくなっても、私たちは人間そのものを見つめるまなざしの中に、それを見出していくことにしましょう。資質・能力には「人間性等」があることを忘れないようにしながら。