
ごはん
白身魚のフライ
むしやさい
豆腐の味噌汁
いちご
麦茶
2023/01/19

ごはん
白身魚のフライ
むしやさい
豆腐の味噌汁
いちご
麦茶
2023/01/18
先週末からノロウイルスと思われる感染性胃腸炎が私たちを脅かしています。集団生活の場である保育園のような場所は、病気をもらうリスクがあります。ポイントは、そのリスクをどれだけ低くするか、ということなのですが、「敵」の特性を知らないと、効果的な対策が取れません。そこで、共有しておきたい「基礎知識」を整理しました。

(写真はウイルスの模式図 『ウイルスと感染の仕組み』(サイエンス・アイ新書)より)
ノロウイルスはもともと牡蠣などの二枚貝をナマで食べるとおこりやすいと言われていますが、いまは感染経路は食中毒というよりも、経口感染によるものです。この寒い時期ににおきやすいです。小腸粘膜の細胞だけで増殖し、嘔吐物や糞便によって感染が広がります。水洗トイレも、いっぺんに汚染されます。感染者がウォシュレットなどを使ったら、その飛沫が飛んだところは十分あやしい、と思ったほうがいい。80度以上2分間をこえて加熱しないと死滅しません。
潜伏期間は12時間から72時間。発症までが早いとみるか、遅いとみるか。流行の波が一旦収まったように見えて、また症状が出るという波状型になるのは3日間、という潜伏期間の影響もあるでしょう。ノロウイルスに限らず、保菌する量は大人のほうが多いので、家族単位で防ぐ行動を取らないと移し合うということになりやすいのです。
ちなみに2002年にノロウイルス(Norovirus)と名付けられたそうで、知人が冗談で「ノロわれたウイルス」と言っていましたが、いろいろと調べてみると、最初はノーウォーク・ウイルス(Norwalk virus)と呼ばれていた病原体で、1968年にオハイオ州ノーウォークで集団発生したときの糞便から該当ウイルスが検出された、となっています。検出されたのはSRSV(小型球形ウイルス)で、その後1990年に全塩基配列がほぼあきらかになっているそうです。
それから持っておきたいイメージとして、もう一つ。専門書によると、世の中にいるウイルスは約5400種。細菌(バクテリア)は約6800種が発見されているそうです。コロンビア大学のスティーブン・モースによると、まだ見つかっていないウイルスは360万種になるのではないかという予想値もあります。コロナも変異を続けていますが、ウイルスは自分だけでは子孫を増やせない「変な生き物」です。
私は大学は生物化学(タンパク質合成)が専門だったのですが、生物学で言う「生物」の条件は、①遺伝子があって自己複製できる②細胞がある③代謝エネルギーで生きる、という3条件が備わっていないといけません。そうでないと「生物」に含めないことが多い。でもウイルスは遺伝子は持っていますが細胞はありません。しかも自律的には自己複製でき気ないので、他の生物(ホスト)に移って「生きる」と言う、非常に「かかわり」的な、共生主体的な、相互依存的な存在なのです。ヒトの身体もそうなのですが。
私が最も「面白い」と(言いうと語弊がありますが)思うのは、つまり生物学的にみて興味深いのは、代謝エネルギーももっていないのに、それでも「生きている」ということ。さらに今の私たちの進化の過程で、私たち自身の体がウイルスの一部を取り込んで、大事な役割を果たしてくれている部分もあり、身体機能的には共生してきてしまっているという事実です。
コロナの動向も、さらにワクチンの功罪も気になりますが、ここは感染症対策、手洗い清掃消毒、換気、滞りなくやっていきましょう。
2023/01/18

カードゲーム「レシピ」 を楽しんでいる子どもたちです。
正式ルールの前段階の、ご飯作りをしています。
このゲームは、自分が作る料理のレシピカードを見ながら、作るために必要な材料を集め、そろえるゲームです。 いらない材料を場に捨てて、新しいカードを手に入れるのですが、場に捨てられたカードはもらう事が出来るのです。「ください」「いいよ」とやり取りしている間に、次はだれの番だったかなど動きが目まぐるしく、あそびながら順番を守るというよりも、ゲーム全体がどう動いているのかを広く見ていく力が必要であることがこのゲームの面白い所です。 相手や自分を意識し続けるということは、社会の関係性に広い目で見ていく力ともいえて、とても面白く力が必要な事が分かります。 今日は、交代交代で午前中止まることなく遊び続けていた子どもたちでした。
2023/01/18

抹茶と小豆のケーキ
牛乳
2023/01/18

ミートソーススパゲッティ
わかめのスープ
ブロッコリーのサラダ
ゼリー
2023/01/17

朝の玄関周辺は、その日の調子がよく伝わってくる面白い空間です。一目散に駆け込んでくる子、お父さんに段ボールを持って来させている子、サッカーボールを抱いたままの格好でお父さんに抱っこされてきた子。いろんな表情を見せてくれるのが保育園の朝です。
朝は7時半から9時半までの、2時間の幅があるのが保育園らしさでしょうか。出勤する時間に合わせて、生活のリズムにあった登園、そしてお迎えの時刻になっています。東京都の場合は、たいてい最低11時間開いているのは、勤務時間、通勤時間の多様化に合わせるように、という強い決まりがあるからです。その11時間を超えるところからが延長保育になります。まあ、こんな長時間保育を平気で続けているのは、先進諸国でも減っているはずですが。
それはともかく、忙しいのが働く保護者の皆さんの朝の時間。「お願いだから、早くして。もう行かないと」「お約束したでしょ、今日はやるって」こんな会話が聞こえてきます。ある種の微笑ましい保育園の朝の光景です。9時半ぐらいから、登園が一通り終わると、私は園内をぐるぐると回って、子どもたちの顔色を見て回ります。遊びに夢中で、こちらを見向きもしない子たちがほとんどです。なかには私とひとしきりおしゃべりをする子もいます。あるいは不安げな子がいたら、近寄っていくと、私の膝の上で抱かれてしばらくくつろぎ、自然と離れてくこともあります。
さて昨日16日の月曜日。コロナで延期になり2月下旬からくる実習生の2人に、オリエンテーションでこんな話をしました。実習Ⅱはできるだけ同じクラスに連続して入って、子どもの生活や学びのつながりをよく見てほしい。興味や関心から何がどうつながって発展していそうか。そのつながりの中で、こんなことが体験できたら、もっとこうなるんじゃないか、そんなひらめきが指導案の種になるんだよ、と。
また子どもにとってのお友達が安心できる拠り所になっていることが多いことも気づけるといいね、と。ほら、あそこにいる子たち。遊びに夢中で、こちらを見向きもしない子たちがほとんどでしょ。そこで何が起きているのか、よく見てみてください。その子ども同士の関係の中で育っているもの、学び合っているものを、遊びの中から見出せるといいよね。
そして子どもの保育だけではなく、保護者支援もあるから、朝夕の受け入れや連絡のやり取りをどうやっているか、保護者の子育てをどう支えるかも大事だよね、と。・・・・といった話です。
いろんな家族が寄り集まって一つの社会を作っている保育園。子どもだけが家族と保育園という両方の場を行き来して体験して育ちます。大人は片方しか知らないのですが、実は保育者の方が、保育園だけしか知らないのに、そこの体験だけで育ちや学びを捉えようとすることは限界があります。だからこその生活の連続性の把握が大切になります。お互いに、家と園の様子を伝え合う、理解し合うということです。
そう考えれば、就学前施設でも、あるいは就学先の学校でも、就学の前後の縦のつながりだけではなく、家族単位の横のつながりや家庭と園・学校の横のつながりが、架け橋の縦のつながりと併せて大事で、そのつながりが相互に重なり合っていくように、保育園時代の親御さん同士の関係を紡いでいくことも、保育士の仕事だなぁ、と思うのでした。
2023/01/17
ちっち組の末っ子ゆたかくんですが、使いおわったエプロンタオルを手渡すと、いつのまにか、お片付けもこんなふうに自分でできるように・・・



袋にシュートすると、お部屋のほうへ戻っていきました。自分でできることもだんだん増えていきますね。いつもお友だちの姿を、ハイテーブルからよく見ているのですね。頼もしいです♪
(おまけショット📸)

“手をつなごう〜”とりょうくんを追い続け、やっとその思いがりょうくんに伝わって、手をつなげて満足そうなちはるちゃん。
ふたりで手を繋いでいたら、かほちゃんも!とぐんぐん組のかほちゃんもやってきて、3 人で手繋ぎです。
2023/01/17

チョコチップスコーン
牛乳
2023/01/17

プルコギ丼
キャベツ
卵スープ
いよかん
麦茶
2023/01/16
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私たちが保育や教育のあり方を考えるとき、どこに焦点を当てれば冷静で建設的な議論になるのだろうかと、思うことがしょっちゅうありました。そうでない議論に出会うと、私は急速に興味を失ってしまいます。それはそれで大切なことなのですが、学ぶ本人にとっては、脇道の話であり、本人が本当に求めている学びとはずれてしまうように思えるからです。では、どこに焦点を当てるべきなのでしょうか?
私たち人間の学びは、文脈に依存しています。すでに知っている知識は、体験する中で再編集されながら、新しい知識に作り替えるようなことを、私たちは繰り返しています。それは子どもも同じです。すでに知っていることを使わずに、あるいは関連しない形で、何かの知識を学んだとしても、それは自分の関心や問いとは関係のないものとなってしまいがちで、あまり身につかないでしょう。それを覚えておく必要があるまでは暗記できたとしても、大抵は試験があるからとか、入試に出るからとかで覚えていても、その知識を再現させて使う機会(試験や試験のための塾や家庭教師など)がなくなったら、使い物にならないのが普通でしょう。
それは知識そのものがおかしいのではなくて(おかしいのもあるのかもしれませんが)、その人の学びの道筋の中に、必要に迫られて使う知識の獲得の仕方ではないからでしょう。この文脈に依存している知識の身につけ方、世界の取り込み方は、その人がそれまで経験してきたありようと知識などの依存するのでしょうから、その個別の多様な学びの道筋を用意しましょうというのが、本当の個別最適な学びなのでしょう。そうすると、就学前の保育が、そうなっている場合となっていない場合、その中間のどこかにあるとして、できればそうなっている場合を増やしたいのと同じように、小学校以降の学びもそうなっている場合に近づけていく必要があるのでしょう。それを近づけあって、その重なりを多くするようなことが、架け橋なのでしょう。
それをつくることと、私がいま「新しい学校」をつくろうとしていることは重なっています。それができたら、どんな学びになるのかというと、一人ひとりの学びのリズムを保障した冒頭のような、継続的な学びができることになります。そんな学び、つまり学習と教授が展開される学校をつくりたいのです。さて、やることがたくさんあります。用意しなければならないことがたくさんあります。でも、ここから始めるしかないのでしょう。だからやるのです。