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園長の日記

鉄棒は、身体を使って考える遊び

2026/09/16

今日の午前中、年長のすいすい組4人がそろって、「鉄棒をやりたい」と言い出しました。

千代田せいが保育園には園庭がありません。そのため、開園当初から3階に運動ゾーンを設けています。

ここでは、ネット遊び、クライミング、ぶらんこ、赤い球を脚で挟んでぶら下がる遊び、ロデオ、トランポリンなど、都市の中でも子どもたちが多様な身体の動きを経験できるようにしています。

今日は、その一角に鉄棒を用意しました。

子どもたちは、つばめ、前回り、豚の丸焼き、コアラなど、自分たちが知っている動きを始めました。友達がやっている間は、順番を待ちながら、その身体の動きをよく見ています。

鉄棒というと、私たち大人は、前回りや逆上がりが「できるか、できないか」という結果に目を向けがちです。

しかし、子どもたちの姿を丁寧に見てみると、技が完成するまでの過程に、豊かな学びがあることがわかります。

ESさんは、鉄棒の上でつばめの姿勢を取ろうとしました。しかし、自分で跳び上がっても、鉄棒の上まで身体を持ち上げることができません。

すると、鉄棒の横の支えに足を掛け、そこを足場にして登る方法を考えました。自分なりの方法で鉄棒の上に身体を乗せると、腕を伸ばし、つばめの姿勢をつくることができました。

もちろん、鉄棒の支えを踏み台にすることには、安全上の配慮が必要です。今後は、安全に登れる踏み台などを用意する必要があります。

しかし、ここで私が注目したのは、ESさんが「できない」で終わらなかったことです。

「どうしたら、あそこまで登れるだろう」

そう考え、周りにあるものを見渡し、自分なりの方法を試したのです。

◾️探究としての鉄棒遊び

この姿は、まさに探究です。

探究というと、植物を観察したり、地域の不思議を調べたりする活動を思い浮かべるかもしれません。しかし、探究の対象は、自然や社会だけではありません。自分の身体もまた、子どもにとって大切な探究の対象です。

鉄棒を握った手の感覚。
腕にかかる自分の身体の重さ。
胸やお腹が鉄棒に触れたときの痛さ。
身体を丸めると、回り始める感覚。
足が床から離れ、再び着地するまでの感覚。

子どもは、こうした身体からの情報を受け取りながら、次の動きを調整しています。

それは、

「やってみる」
「感じる」
「考える」
「やり方を変える」
「もう一度やってみる」

という、身体を通した探究の循環です。

◾️ 10の姿から育ちを読み取る

今日の姿を「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」から見ると、中心にあるのは「健康な心と体」です。

ここでいう「健康な心と体」とは、単に体力をつけたり、技ができるようになったりすることだけではありません。

自分から身体を動かそうとすること。自分の身体の状態を感じ取ること。安全な動かし方を知ること。そして、自分なりの目標に向かって挑戦することまでが含まれています。

また、一つの姿の中には、ほかの育ちも重なっています。

ESさんが自分で登り方を考えた姿には、「自立心」と「思考力の芽生え」があります。友達の動きを見て、自分も試そうとする姿には「協同性」があります。「つばめ」「順手」「逆手」などの言葉を使って動きを伝える姿は、「言葉による伝え合い」につながっています。

◾️資質・能力の育ちをよみとる

三つの資質・能力で捉えてみることもできます。

鉄棒の握り方や身体の支え方を身につけていくことは、「知識及び技能の基礎」です。

「どうしたら登れるか」「どう身体を動かせば回れるか」を考え、実際に試すことは、「思考力・判断力・表現力等の基礎」です。

うまくいかなくても諦めず、友達の姿から学び、もう一度挑戦することは、「学びに向かう力・人間性等」につながります。

これらは別々に教えられるものではありません。一つの遊びの中で、互いに結びつきながら育っていきます。

◾️私の気づきは・・

今日、私自身にも一つの気づきがありました。

ESさんが鉄棒まで跳び上がることに難しさを感じている姿を見て、ジャンプすることや、両足で床を蹴ることなど、跳ぶ力につながる遊びをもっと用意してみたいと思ったのです。

子どもの姿に保育者が気づき、その気づきによって環境が変わる。そして、変わった環境の中で、子どもの新しい姿が生まれる。

保育とは、この繰り返しなのだと思います。

園庭のない本園にとって、3階の運動ゾーンは、運動不足を補うだけの場所ではありません。

子どもたちが自分の身体と出会い、友達の身体の動きから学び、「できない」を「どうしたらできるだろう」に変えていく場所です。

鉄棒は、身体を鍛える道具であると同時に、身体を使って考えるための探究の環境なのです。

民主的社会の基本的資質を育てる (ウ 協同性)

2025/11/05

11時4日(火)の様子がホームページのクラスブログ「わいらんすい」に今日、紹介されています。子ども同士の関わりの中で、主体性が育ってきた姿かよくわかります。民主的社会の基本を、こうやって身につけていくのです。

・・・・

今日は、わいわい組の子どもたち8人が屋上で過ごしました。
部屋と屋上のどちらで遊ぶかを自分で選び、屋上に集まった子どもたちは、それぞれがやりたいことを見つけながら、思い思いに遊びを広げていました。

屋上に出てまず印象的だったのは、子どもたちが自分たちで空間を分けようとしていたことです。
「緑のマットのところは鬼ごっこをする場所」「青いマットのところはコンビカーを走らせる場所」といったように、遊びの内容に合わせて屋上を2つのエリアに分けていたのです。
誰かが「ぶつかっちゃうから分けよう」と言い出したのをきっかけに、自然と子どもたち同士で話し合いながら決めていく姿がありました。自分たちでルールを作り、みんなで守ろうとする気持ちは、この年齢の子どもたちにとって大きな成長のあらわれです。

鬼ごっこでは、「どうやって鬼を決める?」「スタートはどこからにしよう?」といった相談をしながら遊びが進んでいきました。
こうしたルールづくりや話し合いの積み重ねの中で、子どもたちは“みんなで一緒に遊ぶために大切なこと”を少しずつ理解していきます。社会の中での約束や思いやりを守ろうとする芽生えとなる大事な学びが、遊びの中で自然に育まれていることを感じました。

一方、コンビカーを使ったグループでは、「パウパトロールごっこ」が始まりました。子どもたちは「ぼくはマーシャル!」「ぼくチェイスね!」とそれぞれ役を決め、パトロール隊として屋上を走り回ります。悪者役を引き受ける子もいて、みんなで協力しながら物語を作り上げていました。アニメの世界を再現しながらも、自分たちなりのストーリーを加えて展開していく姿は、とても生き生きとしていました。想像の世界を共有する中で、「こうしよう」「それいいね」と友達の意見を受け入れ合う場面もあり、協調性や共感する力が育っていることを感じます。

また、ほったらかしゾーンでは「パーティーをしよう!」という声をきっかけに土のケーキ作りが始まりました。土や砂を集めながら「もっといるね」「こっちに持ってくるね」と協力する姿が見られ、ひとつの目的に向かって一緒に取り組む楽しさを味わっていました。
遊びの中では砂がかかってしまったり、手が当たって痛がる子がいたりといった小さなトラブルもありましたが、そのたびに「大丈夫?」「ごめんね」「気にしていないよ」とやりとりが交わされ、思いやりや優しさがみられました。

 

4月の頃には、それぞれが思い思いに動くことが多かった子どもたちも、今では友達と相談したり、ルールを作ったりしながら、みんなで遊びを楽しむ姿が見られるようになりました。
屋上でのびのびと身体を動かしながら、友達との関係を深め、遊びを通して生きる力を育んでいる子どもたちの姿が、とても頼もしく感じられた一日でした。

スポーツ鬼ごっこにハマる子どもたち

2025/10/28

数ある鬼ごっこのなかでも、チームを組んで宝を取り合う「宝鬼」というゲーム性の強いものがあるのですが、それを敵味方に分かれてたたかう「スポーツ鬼ごっこ」というものがあります。園長の私と主任はそのインストラクターの初級をもっているのですが、当園でもそれが流行り始めました。

基本的なルールは宝鬼と同じです。違うのは鬼に捕まらない安全地帯があったり、宝を囲うエリアがあって、そのなかでのタッチはアウトにならないなど、安全に遊ぶためのルールが工夫されています。

この遊びは奥が深くて、守ったり攻めたりするときに、作戦を考えたり、話し合ったりすることで、より〜にしたいという意欲が芽生えるタイミングがたくさんあるのです。そのあたりに、テレビやスマホの「ゲーム」と似た面白さがあるようで、おもっきり体と頭を動かすテームとして優れた遊びになっています。

宝鬼は、宝が子どもの位置にあり、鬼役が攻める方、親役が守る方ですが、アウト!やセーフ!などを判定する審判も交代でやりました。審判目線でしか見えてこないことも多くありそうです。

 

親子運動遊びの会の意味について

2025/10/11

当園はいわゆる「運動会」がありません。似ていますが、趣旨も内容も全く違うものです。正式名称は「親子運動遊びの会」です。略して偶然「うんどうかい」ですが、本来の乳幼児の運動会とはこういうものなのですが、いかがだったでしょうか?

第一に大切にていることは、子どもが楽しいと思えることです。大好きな親と一緒に体を触れ合いながら、運動を楽しむという体験は、子どもが幸せになる経験です。心と体に残る幸せな経験になるのです。いつまでも忘れられない親子の絆として思い出すことでしょう。

親子運動遊びは、体を動かす楽しみを家庭で共有してもらいたいのです。子どもの嬉しいと思う感情に気づいてくださったでしょうか。子どもは体を動かすことの楽しさを、最も好きな人であるお家の人と分かち合いたいのです。ほらね、こんなに楽しいでしょ、と。子どもはその喜びをパパ、ママに味わってほしいという願いをもっているのです。

第二に大切にしているのは、子どもだけを頑張らせる対象となる大人のための観賞会にしないことです。子どもが練習して頑張る姿を親や大人が応援するという構図を、幼児教育に持ち込みたくありません。

あるとしたら、子どもが楽しいからやりはじめたことは、もっとやりたい、もっと上手になりたいと思うようになります。そのために自ら工夫し、努力します。年長さんぐらいになると、話し合って知恵を出し、成し遂げようとします。ちょうどいまの縄跳びのようにです。それが次第に、見てほしいという気持ちになっていくのです。その延長に位置づくのが「お楽しみ会」です。

ちなみに、多くの学校がいまも踏襲している運動会は、その歴史を遡ると軍隊のレクリエーションに辿り着きます。ですから騎馬戦とか棒倒し、組体操やマスゲームが編み出されていったのです。

研究者によると、中世から近世にかけての専門的戦士がもっぱら行う「戦争」が、国民総動員の近代的な国民国家の戦争に変貌していく中で、国民の行事として地域で開かれる運動会が広がっていったのです。

平和を希求する時代にこのような歴史をもつ運動会をやめる運動もあったのですが、「学校の運動会はそういうもの」という戦後の習慣がいまだに続いていることに、私は違和感をもちます。やるなら上の第二大切していることを守ってもらいたいと思います。

いろんな紐で「なわとび実験」よく回るには?

2025/10/07

最近なわとびに夢中な子が多いすいすいさん。そこで今日のステム保育は「なわとび実験」になりました。制作ゾーンにある「いろいろな長いもの」で、縄跳びができるかどうかの実験です。たこ紐、紙テープ、麻ひも、すずらんテープで「まわしてみました」。だいたい想像は着くと思いますが、こういう紐では、うまく回りません。

そこでタコ紐から順番にやっていくことにしたのですが、縄跳びに慣れている子たちなので、うまく回らない理由をきくと「軽いから」「重くする」という言葉がでてきました。

そこで、「じゃあ、どうしようか?」というのが今日の実験テーマになりました。「りんごをつける」「バナナ」などと、おふさげ気味の問答を楽しんだ後で、「ひもを通して重くしたいんだけどな」というと、トイレットペーパーの芯などを紐に通してみることになりました。

ここで保護者のみなさんに感謝です。お家から持ってきていただいている素材が大活躍しました。

やってみて面白かったのは、あんなに細いタコ紐でも結構うまく回るものなのです。回していると自然と「筒」が紐の中央あたりにずれて止まるので、それが錘になってよく回ります。トイレットペーパーの芯一つで、回し方を覚えたのか、跳ぶ人、回す人が順番に交代しながら楽しみます。一人なわとびもできるかどうか試し始めます。

面白のは「実験の仕方」に慣れてきたようで、順番に試すという構えが育ってきました。回してみてどうだった?と話をして、じゃあ、今度はどうする?二つにしてみようか?というと、「うん!やってみる!」とノリノリです。

子どもたち自身で二つの場合、三つの場合と段々とふやしていき、その都度「どうなるか」と子どもたちが試していきます。それが楽しそうでした。最後は10個つなげてみました。

紐の種類を変えておなことをやってみました。サランラップの芯もやってみました。最後は本物の縄跳びの縄を使って回しました。途中から普段やっているチャレンジになって、MSくんが大縄跳び120回越えの新記録がでたり、汗をかくほど体を動かす「なわとび実験」でした。

 

 

試そうとする思考と判断と表現に探究がある (ア 健康な心と体)

2025/09/04

「こう跳んだらもっとよくなるだろうと色々試しながらやっています」。縄跳びに励んでいる子どもたちの姿について、先生たちは、こう話しています。失敗しないで跳び続ける回数が増えていくということは、何度も同じことを繰り返し行う「練習」があるわけですが、そのプロセスを「資質・能力」の育ちとして捉えると、こうなるでしょう。

縄が足の下を通過するときにピョンと跳び上がり、縄が頭の上を回って戻ってくるまでの間に、1回チョンと小さく跳んで、チョン・ピョン、チョン・ピョンとリズムを刻んでいきます。その跳び方や身につけていくスキルを「知識・技能」だとすると、頭で覚える知識ではなくて、身体的なスキルと一緒にに取り込んでいく「身体的知」のことであることがわかります。つまり、幼児期の知識と技能は身体的に一体化したものであり「身につく」ものだといういい方がぴったりきます。

その知識・技能を使って、もっとたくさん続けて跳びたいという目標に向けて、跳び上がる場所がだんだんずれていかないように同じ場所で跳ぶようにするとか、同じリズムになるように跳ぶとか、どうやったら縄に足がひっかからないように足を地面から浮かせるかなど「考えながら」いろいろと「試している」ことがわかります。

そこには、こうやってみたらこうなったから、じゃあ、今度はこうしようという判断が行われていて、結果的により長い時間とべるようになっていく姿としての表現が表れていきます。「思考力・判断力・表現力」の基礎になります。

そう考えると、目的に向かって試行錯誤したりする問題解決プロセスは、探究する姿と重なってきます。とくに、こうだったから、じゃあ、こうしてみようと工夫するところに探究の姿があるように思えます。

この原動力となるのは、目的に向かって諦めずに最後まで成し遂げようとする「学びに向かう力」と呼ぶ非認知的能力になります。長く続けて跳ぶことが楽しく、その達成感がうれしく、そのような心動かされる心情が、もっと続けて跳べるようになりたいという意欲を引き出し、それを繰り返すながで、挑戦し続ける態度が形成されていきます。心情・意欲・態度が育っていくのです。これが探究を続けていく原動力になります。

なわとびは体育、算数、音楽、国語のはじまり

2025/09/03

いま幼児クラスで縄跳びが大変流行っているのですが、その様子をみていると、総合的な学びだな、と思えます。小学校の教科学習のはじまり、として捉えてみると、体育、算数、音楽、国語の「はじまり」が入っています。体育はわかりやすいと思います。跳躍力、体幹の強化、リズムにあった体の動き、手足の協応運動・・などが育ちます。

算数は、数を数えることをカウンティングといいます。縄跳びは、跳ぶたびに一枚、に〜い枚、と数えていきます。その度に数唱(数を唱えること)を自然と覚えています。ひゃくいち、ひゃくに・・と100を超えて数えることも多くなりました。

また掲示することで、そこに数字が書かれています。その数字をよむという体験にもなっています。

音楽は「郵便屋さん、落とし物、人〜つあげましょ・・」とわらべ歌を歌いながら遊ぶので、音楽にもなっています。みていると国語にもなっているのは、言葉のやり取りがいろいろと起きているからです。どうやったらうまく跳べるようになるのか、こうしてみるとか、こういうふうに回してとか、友達同士の会話も盛んです。

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