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地域連携(保育アーカイブ)

保護者主催の「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」

2024/02/17

今日17日午前中は姉妹園の「新宿せいが子ども園」で、その保護者と卒園家庭からなる「落四小学校区域の学童クラブを考える会」(代表・渡辺仁子)が開いたイベント「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」に参加しました。

まず「保育園を考える保護者の会」代表の渡辺寛子さんから、こども家庭庁の「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン)」が紹介されました。渡辺さんはその会合の委員でもあり「これから出されてくる色々な政策の大元はこの5つのビジョンに基づいているのになるでしょう」と。

続いて紹介された、この会に参加している方に事前にとったアンケート「子どもが大人に言われて・されて嫌だったこと」と「大人が子どもの時に言われて・されて嫌だったこと」の結果からは、本人からすると大人が過干渉になっている傾向が見られました。

それらを受けて、いわゆる「見守る保育」については、藤森平司園長から乳児保育における保護者の関わり方の話が、また元ソニー開発マネージャーで『パパだからデキる子育て術』の著者である鬼木一直・東京富士大学教授からは、見守る保育の意味についてのミニ講演がなされました(録画)。

さらに脳科学者でもある一人の保護者からの話題提供もあり、盛りだくさんの内容を踏まえてのグループディスカッションは熱のこもったものとなりました。

このイベントは、主催している会の名前から想像できるように、卒園したあとの学童のあり方を考える会ではあるのですが、子どもが幸せであるために、学校の在り方や学びのあり方も考えていこうという趣旨の内容になっています。就学前の学びと就学後の学びをつなぐ活動のあり方として、保育と学童の連続性を考えるための、いい機会になりました。

 

アイグラン保育園との交流

2024/02/14

近くなので少し交流が始まっている「アイグラン保育園東神田」の子どもたちと今日14日(水)の午後、和泉公園で遊びました。昨日配信でお知らせしたように、こちらの保育園さんとは、他の公園でも今までに、ばったり会って交流するということが数回ありました。さらに「就学に向けて少しでも不安をなくし、楽しみを持って進学出来るよう、交流を持っていけたら」と先生たちは考えています。

今日の交流では、そこから転園してきたSくんが前のお友達と一緒に遊ぶことができて楽しそうでした。

小学校にいくとまた一緒のの生活や学びが始まります。地域の保育園や幼稚園との交流はコロナ禍でストップしてしまっていましたが、子どもたちは地域で仲良くなっていると、就学へ向けての安心にもつながります。

グローバルキッズ神田駅前保育園と交流

2024/02/13

保育園からは少し遠いのですが、幼児になると「旧今川中」の校庭まで遊びに行くことができるようになります。千代田区が近隣の保育園に割り振ったスケジュールに従っているのですが、今日火曜日は「千代田せいが保育園」が優先的に使える日でした。

広い校庭に面して「グローバルキッズ神田駅前保育園」があるので、そこのお友だちとの交流になりました。ここのお友達は、4月からお茶の水小や千代田小に行きます。就学前に一緒に遊んだことがあるお友達との親近感は、学校そのものをきっと身近に感じさせてくれるでしょう。

千代田小の学校説明会は2月6日にありましたが、8日に子どもたちと訪問する予定です。和泉小学校は3月1日。昌平小の訪問は4日になりました。お茶の水小は調整中です。

子どもの「読書」をどう考えるか

2024/01/25

日本一の古本屋街を神田を有する千代田区。出版社も多く集まっています。ここに住む子どもたちにとっての「読書」を考える会合が25日、区役所でありました。会議の名前は「千代田区子ども読書活動推進会議」。令和6年度以降の第4次の五年計画を考える会議です。2年間の任期を任命されました。

第3次の計画は以下のように公開されています。

https://www.city.chiyoda.lg.jp/documents/6761/3dokusho-kekaku.pdf

 

ひと月に1冊も本を読まない人の割合を不読率といい、大人はだいたい50%。子どもは小学校、中学校、高校と学年が進むにつれて大きくなっていきます。保育園にいると絵本は大好きな子どもが多いのに、どこで嫌いになっていくのだろう。調査結果の資料を私なりに分析してみましたが、いろんな要因があるのですが、目についたのは、小学生は中学年以降になると一日のうちにに塾の時間が大幅に増えていることです。中学の私立受験率の高さがこういうところにも影響しているかもしれません。

ただ多く本を読めばいいということではないでしょう。少なくても気に入った本を何度も読むとことだったり、近年急増しているオーディオブックも広い意味で「読書」でしょうし、美術の画集や写真集などを「読書」から外していいとも思えません。若者文化の中には、すでに漫画や雑誌もデジタル媒体も、広く深く浸透しています。

そうするとそもそも「読書」と、そうでない「テレビやインターネットの視聴」や動画をみることと、「何がどう違うから、読書がどうなのか」ということについて、もう一度ちゃんと考え直すことから始めなければならないだろうと感じたのでした。読書活動というものの、発達的意味や現代的意味を捉え直す良い機会になりそうです。

師匠は寺尾親方という理事長との交流

2024/01/24

ある保育園から理事長と園長が今日24日、いらっしゃった。この法人は、当園の開園1年目の「親子運動遊びの会」で、若手のお相撲さんを派遣してくれた保育園です。階段の壁に展示してある行事パネルでお馴染みの、あのお相撲さんです。その保育園と、今後どんな交流をするか話し合ったのです。楽しい時間になりました。

理事長は錣山部屋に所属していた元力士です。師匠は昨年12月に亡くなった寺尾親方です。阿炎(あび)が西前頭二枚目で活躍しています。当園の運動会に来てくださった葵は、序二段東19枚目です。今場所は勝ち越しを決めています。番付は「勝ち越し」というラインが合格です。相撲はスポーツではなく本来、神事ですから、日本的な精神性がいろんなところに垣間見られます。どこか保育と似ているところがあって、ただ強ければいいというのではなくて、勝つという結果よりも、そのプロセスや儀式性にその魅力があると思います。

さて、どんな交流になるかわかりませんが、何か形になるときがあると思いますので、その時はよろしくお願いします。

千代田区の保幼小合同研修会

2024/01/17

千代田区の教育委員会は本日午後、番町小学校と番町幼稚園を会場にして、それぞれの研究実践の公開保育と、それに基づくグループ討議をメインとした「保幼小合同研修会」を開きました。テーマは「幼児期の学びとその学びを生かした小学校での学び〜3つの資質・能力、幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿を視点とした円滑な接続」です。講評を兼ねた講演は河邊貴子(聖心女子大学現代教養学部教育学科教授)先生でした。幼稚園の指導案(4歳と5歳)にはそれぞれの小学校1年生での教科のこの辺りの単元などに主につながるだろうという示唆になる矢印や欄が設けられており、小学校の指導案には、4歳児や5歳児の時の10の姿から捉えた経験や活動の具体例が例示されています。

公開された4歳児クラス(さくら組)の遊びは、獅子舞ごっこ、餅つきごっこ、制作コーナー、ポップコーンごっこ。玄関にはティッシュボックスで作った獅子頭を抱えた子が3人、私の頭を噛んでくれ「おひねりください」というので、口の中に入れてあげました。おもちをついて振る舞ったり、獅子を製作している子がいたりと、正月に実際に経験したことが再現遊びとなっているようです。5歳児クラス(うめ組)は遊園地ごっこ「ゆめランド」。複数人のグループごとに、鬼遊びや鉄棒、的当てなどの遊びを考え、異年齢児や保護者を招待するもの。このような公開保育は楽しいものです。 

これらの遊びや活動を見ていると、獅子舞のお出迎えというおもてなしに喜んでいる見学者たちの反応を、その子達も感じていたはずで、言葉での伝え合いの経験の幅も広がっていく体験になっていたでしょう。獅子舞や餅を振る舞ったり、棚に並んでいる制作物を見ると、その子なりに感じていることの表現の中に、旺盛な好奇心を感じます。子どもの能動性や自立、協同性、言葉での伝え合いなど、10の姿の要素がたくさん混ざっていることがわかります。

小学校の公開授業(1年生)は国語と算数でした。国語は述語の「いる」と「ある」の使い分けを学ぶことがねらいで、〜の中に「いる」か「ある」か、班で「がようしの中にはうしがいる」のようなクイズを作って楽しみます。言葉遊びの面白さを楽しみながら、友達の書いたものについて「クイズになってない!」と笑ったりして言い合う姿の中に、生き物はいる、ものはある、と使い分けていることや、〜の中にを使った言葉選びの思考が働いていたように思います。

算数は四角い画用紙の「どちらがひろい」かという課題を自分なりの探究方法を見つけ出すというもの。黄色と緑の長方形の画用紙で比べます。さかねて折ってみて、まみ出した部分の大きさを見比べたり、さらにはみ出した部分を定規で何センチと測ったりする子が発表していました。思いついた方法をノートに書き、それを電子黒板に投影してもらい、みんなに見てもらいながら説明します。国語はグループでの話し合いがありましたが、算数はそれぞれの方略探求の後での共有が混ざっていました。

見ていて面白かったのは、最初に机に出ていたツールは、各自が持っている筆箱だけで、鉛筆や定規やけしごむは机に出ていたのですが、そのほかのものは机の引き出しに入ったままです。先生が「何かの何個分」という話をして、消しゴムを使ってみせ、そのあとで、引き出しにしまってあった「グロック」を出させて画用紙の上に並べて数を数えるという方法へ話がつながっていきました。

私が授業を見ていてとても強い印象を受けたのは、数人の子が前の授業に「あった、あった」と思い出して嬉しそうに、弾けるような笑顔を見せた瞬間があったのです。先生は何かの何個分、という「単位あたりの数」という概念を子どもたちに気づいてもらいたいと思ったからでしょう、考えを発表し合っても出て欲しかった方法へ、消しゴムを使った方法から、「もっと何か小さいものないかなあ」とヒントを出してみたのですが、ブロックを使えばいいというところへ結びついた子がいなかったのです。あるのは「長さじゃなくて(広さでも)いいんだ!」みたいなことを呟いた子がいました。ここに架ければならない幼児教育との架け橋があるのかもしれない、と思ったからです。

よし、保育園ではいろんなものを単位にしていろんなものを「何個分」という遊びをいっぱいやっておこう。そう思いました。それが数と文字を使った記号操作が増えていく学びへの大事なアナログ遊びのポイントの一つなのでしょう。

ダンスで多様な体の動きを楽しむ

2023/08/30

保育の質を高めるためのアプローチの一つに、外部の専門家との協働があります。近所の海老原商店はアーティストの活動拠点になっていますが、そこで出会ったコンテンポラリーダンスの第一人者、青木尚哉さんのおかげで、保育にダンスを通じた活動が増えました。子どもは基本的に、体を動かすことが好きです。子どもたちが「十分に体を動かす楽しさを気持ちよさを体験し、自ら体を動かそうとする意欲が育つように」(要領・指針の「内容の取り扱い」)してあげたいと思います。

今年も7月から青木さんのダンスグループZERO(ゼロ)のメンバーが、来てくださり、全てのクラスで「多様な動きを経験する中で、体の動きを調整するようにすること」(同上)に広がりをもたらしてくれています。何よりも、私が感じるのは、プロの体の動かし方、なめらかな美しい身のこなしは、子どもたちにも伝わっていく気がします。今日は身体的なふれあいと併せて、赤ちゃんと見つめあったり、心のふれあいも楽しみました。今日のドキュメンテーションを、以下に紹介しましょう。

ちっち組(0歳児クラス)。二人のダンサー「いづみさんとももかさんの温かな関わりに心を許した様子の子どもたち。タッチしたり、どうぞをしてあげたり、ぎゅっと手を握り返したり…触れ合いを通して、心を通わせていました。」

ぐんぐん組(1歳児クラス)。「いづみさん達のダンスは決まった形や表現があるのではなく、子ども達が音楽と触れ合い、お友達や大人との関わりの中で自然と身体から溢れ出てくる表現を周りにいる人と共感しながら・・体を動かすことの楽しさを感じていけたらと思います」。

2歳児クラスのにこにこ組。「今日はいづみ先生とももか先生が来て下さり、ダンス表現遊びを楽しみました。 グーパー体操、ペンギン歩き、トンネル遊び、飛行機、お馬さん、走って抱っこ、ゴロゴロ遊びと、いろいろなメニューを楽しみました。少し緊張気味の子も、その様子を一緒に見たりしながら参加することができました。」

3歳児クラスのわいわい組の日誌には「Sくんは朝登園すると「ダンスやだ」と言っていたが、「やらなくてもいいよ、一緒にみてよう」と誘うと前向きにダンスに向かっていた。Rくん・Sさん・Lくんは「やりたくない」と初めは階段の所で見ており、その後はお部屋の中で見ている、端の方で参加してみる、と少しずつ近くで参加していた。Yくんは初めてのダンスだったが、前でやることを希望する等、積極的に参加しており、「合体トンネル」という新しい遊びを生み出した」とあります。

4歳らんらん組・5歳すいすい組の日誌。「今日は、いずみさん、ももかさんがきてくれて、らん・すいさんでダンスを楽しむ。気持ちが高揚していたのでダンスが始まる前は、わらすみんなでイス取りゲームを楽しむ。イスの取り合いでらんすいさんたちが、ヒートアップする場面もあったがリズムに合わせて存分に身体を動かせていた。ダンスでは、二人にリクエストする、らんすいさんが「マネキンやりたいー!トンネルやりたいー!」とやれる喜びを感じていた。」

子どもたちの運動はできるだけ毎日、全身的で、偏りのないバランスのとれた動きを大切にしています。ダンサーの方々との運動は、音楽やリズムも心地よく、頭から足先まで、美的なセンスも配慮した動きになっているのが子供たちにとっても魅力的なようです。

新しい共同保育の形を模索

2023/08/09

昨日までの研修会で、次のようなテーマが話題になりました。当園の保護者の方はよくご存じだと思いますが、入園案内のときに保育園は社会的親の役割があるという話をさせてもらっていますよね。近年の人類学によると「人類の子育ては村で担い合っていた」という、あの話です。いまでいう核家族が空間的に離れた場所で独立して子育てはしてこなかった、せめて大家族、ほとんどは家族が集まって村単位で子どもを育て合っていた」という、例の話です。保育園は現代版の子育ての共同体ですね、というあの話です。もっと知りたいという方には、ジャレド・ダイヤモンドの「昨日までの世界」の一節をコピーしてみてもらったり、山極寿一さんと探検家、関野吉晴さんの対談の動画を見てもらったりしてきました。

ダイヤモンドはその本のなかで「アロペアレンティング」といい、山極さんは「共同保育」と言っていますが、生物学的親だけで子育てを担うということをホモ・サピエンスはしてこなかったといいます。またある研究者は「一人の子どもがよく育つには村中の人が必要」という、ことわざがアフリカにあるという話を紹介していました。私たちは核家族で子育てをするのが当たまえと思っているところがあります。そう思うのはこの時代の中に生きているからで、長い歴史の尺度に照らし合わせると、変わった子育てをしているのは今の方なのかもしれないと思うことがよくあります。

どんなときにそう思うかというと、保育園が共同保育の場だからこそ、子ども同士の関係に子どもの育ちを見出すときや、私たちの身体の特徴と環境のずれを感じるときです。産前産後のオキシトシンの変化に伴う夫婦間の感情変化や、ワンオペと子育ての孤立感や負担感の関係、増加に歯止めのかからない児童虐待の問題、食事から睡眠まで一日の生活リズムの中での母親の役割など、それらの話題に触れるたびに、共同保育をとりもどしたくなるのです。

最近では就学後の学びを支え合うネットワークも、それに似た新しい言葉が必要だろうと感じます。いわば「共同教育」というようなものです。でも言葉を変えたい。学校、学童、塾、社会教育などが有機的につながるフィールドとしての「新しい村」のようなものとセットで。もちろんAIや仮想空間なども含めて。今後の新しい学校とは、きっとそういうものに変わっていくでしょう。行政の縦割りももっと大胆につながらないと、個々の仕組みがもたらす作用線が分断あるいは断片化されているように感じます。めざず方向性はみえています。子どものいる場を起点に、その場にすでにある仕組みをつなぎ重ね合わせてみたい。もちろん課題となる壁もとてつもなく硬く厚いけれども。

手持ち花火ができる近所の公園はどこだろう?

2023/08/05

打ち上げ花火の大会が各地で開かれている今年の夏。大混雑の中、小さな子供を連れて行くのもなかなか難しい。でも、線香花火など手持ち花火を楽しむ事なら小さな子供もできます。そこで、都内でできそうな場所はどのあたりなんでしょう。

https://natura-plus.com/archives/11268#toc23

東京都内で花火ができる公園と検索すると出てきました。他にも確かなサイトがあるかもしれません。内容確かめたわけではありませんので、あくまでも参考まで。

しずくの会から、こんなサイトもあるという情報をいただきました

https://www.wakamatsuya.tv/toy-fireworks/app/

ゼミ生たちと実践を語り合う

2023/08/02

今日はある大学の先生と保育所を目指しているゼミ生4人が見学にいらっしゃいました。午前中見学をしていただいた後、午後、主任を交えてディスカッションをしました。学生さん達をいろんなところに見学に連れていかれているそうです。

保育を見て感じたことを話し合う。他者の考えに触れ、自分の考えを振り返る。子どもの姿、園の環境、保育者の様子、子どもとの接し方、そこに流れている考え方、いろんなことが話題になりました。それは私にとっても勉強になる時間です。

目の前に展開されている光景の中から、どんな事例を拾い出して話し合うことになるのでしょう。それは、そこに集う、当事者たちの関心や印象的な出来事が話題の輪郭を作り上げていくことになります。

例えば園のパンフレットには「保育目標」として、子どもの姿が4つ書いてあるのですが、3つ目には「自分を好きになれる子ども(自尊感情を持てる子ども)」とかいてあります。

学生さんの1人から「どうやったらそうなるのか」と聞かれました。この保育目標を作ったのは私ですが、さぁ、改めて聞かれるとどう説明するか。私の代わりに主任がエピソードを交えて説明してくれました。それを聞いていて「なるほど」と感心しました。このような会話は、いつもいる園のメンバーだけではなかなか生じません。見学をしあったり、公開保育を行ったりすると、このようなことがよく起きます。

今週は屋上でのプールの入り方を変更しています。基本はカニやラッコ、イルカなど、いわば「習熟度別」に子どもが選択するのですが、今週は子どもの姿から3歳児だけクラスで入るようにしたのです。水遊びやプールが好きなはずの子どもが入りたがらないのを不思議に思ったからだというのです。これは、ざっくり言うと、子どもの姿に基づく環境の再構成です。

その話を聞いていて、人間関係の再構築ために選択の方法を変更したことになるのだなと想像していたのですが、主任の話は、もっと柔軟で微妙な広がりのある話し方をしていました。そこに、生き生きとした実践の深さのようなものが脈打っているのです。

それでも、言葉で語ることを放棄せず、実践に迫り続ける語りを積み重ねあうことの大切さを確認できた時間になりました。ありがたいことです。

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