
きつねうどん🦊
豆腐のごもくやき
みかん
麦茶
2023/01/24

きつねうどん🦊
豆腐のごもくやき
みかん
麦茶
2023/01/24
おままごとのエプロンやバンダナ…なんでも身につけてみたい れあちゃん。

『これもつけて』『これもつけて』と持ってきて、満足そうです。
2023/01/23

♪鬼はそと、福はうち〜、パラパラ、パラパラ、豆の音〜という歌の声が聞こえてくるようになりました。保育園での生活の特徴に季節感を子どもに感じてもらうということがあります。日常生活から感じる季節の移り変わりは自然が伝えてくれるものが多いのですが、日本独自の習慣や行事からも子どもが気づくことが結構あります。2歳児クラスの日誌に次のような記述がありました。
・・・・・・
節分についての話をするとFちゃん、Rちゃんの方から「オニのお面を作りたい」という声があった。顔や目のパーツをハサミで切れるように作っていると、Fちゃんが近くにあった鬼の絵を見ながら、自分なりにクレヨンで髭や髪の毛を描いて作り始めていた。
井形ブロックを組み立ててあそんでいたYくん、Sくんもお面を作っている2人の様子を見て、興味を持っていた。
Sくんもハサミの使い方に慣れてきて、自信がついてきたようで自分から〇の形を切りたいと言って、作っていく姿があった。
お面を作る中で、「次はどうやるの?」と大人に手順を聞いてくることがなく、自分なりにこんな風に作りたいというイメージを持っていることに感心させられました。日々の遊びの中で、わらすくみ(3歳以上の幼児)の制作の様子を見たり、子どもたち自身が道具や素材を使い込んでいくうちにどんなことが出来るのか、何が必要なのかと見通しを持てるようになってきたのかなと感じました。
・・・・・
子どもの作るものを定番化させず、普段からいろんなものを材料に使って、何かの形にしていくという遊びを十分にさせてあげたい。作っていく途中にその子なりの工夫や考える力、創造性が見られるでしょう。そして作った後でどうなるか、そこからまた何かに気づき、新しい展開が始まるかもしれません。お友達同士での刺激の中で、「やりたい」が重なっていくことで徐々に協同性に向けた展開も期待されるところです。

そういえば、節分で鬼が子どもを怖がらせることには、何の意味ないと思います。大人が本心から鬼や悪魔が心の中にあること、子どもの人権を遠ざけている心が鬼であることとつながっていることに無自覚なうちは、形骸化したイベントが続くのでしょう。
2023/01/22
姉妹園の新宿せいが子ども園(藤森平司園長)の保護者らが
1月29日(日)10時〜12時に、新宿せいが子ども園(新宿・高田馬場)で
「子どもが幸せに生きるための新しい教育と見守る子育て」と題するイベントを開きます。
ゲストに熊本市教育長の遠藤洋路さんをお招きし、新宿せいが子ども園園長の藤森平司さん
と併せて、お二人からの話を聞くことができます。
申し込み方法は、こちら。
https://forms.gle/cXvSqJsto8M619QWA
保育園にもチラシの掲示&配布あります。
会場は新宿せいが子ども園(定員30名ただしコロナなどで全てオンラインになることもあります)
自宅からZOOMでの参加も可能です。
また当日は、千代田せいが保育園の2階でもライブ配信上映する予定です。
千代田せいが保育園で視聴したい方は、26日(木)までにお知らせください。

2023/01/21

(青木尚哉さんのfacebookより)
公園に行ってきてどうだった?と聞くと、いろんな子どもの姿が報告されます。◯◯さんがどうだったとか、こんな時にこんなことがあったとか。出来事としての事実と、その事実から感じ取れる「よかったこと」が、よく語られます。子どもが楽しそうだったこと、面白がったこと、興味を持ってやったこと。見たり、聞いたり、触ったり、気付いたり、操作したり、そうした姿が日誌にも描かれています。そして、時々主任と話すのは、どこまでその意味を掘り下げて説明するといいんでしょうね、ということです。
ダンサーの青木尚哉さんと語ると面白い。一般的にアーティストの視点は学ぶことが多くて面白いということもあるのですが、青木さんの場合は自分がやっているダンスを習う人に教えるために、自分の表現ができるまでの過程を細かく分析して、そのダンスが出来上がるまでのプロセスで何が起きているのかを可視化しようとしているからです。その取り組みはまさしく保育の可視化に似ていると思い、語り合っているときに、これは、と思ったのは「解像度」という言葉でした。
青木尚哉さんのコンテンポラリーダンスは、常に即興的なので、変化する周りの環境との相互作用そのものが身体の動きになっていくので、そこには意識と自己の身体と空間の間にある無限の変化をモニターしながら、自身を動かすということをしています。頭から爪先まで、あるいは腕の指先から身体の中心まで、全身に数十箇所ものポイントを意識して、踊ります。
意識するというのは、そのポイントとポイントの線、面、図形、立体などの点や線(曲線や延長線も含めて)、図形の動き(とその軌跡を含めて)をその瞬間、意識して動かすようなことをイメージしていくのだそうです。ちょっと素人には想像できない身体感覚なのですが、その意識している内容の解像度を上げすぎると、ダンスとして意味のないものになり、解像度が粗雑すぎると、使い物にならないという、可視化のちょうどいいレンジがあるというのです。
保育の質は子どもの経験のプロセスを吟味して、何かの表象(ほとんどが言葉)で捉えることになるので、その時に「解像度」という概念が使えるかもしれないと思ったのです。テレビの液晶画面は、2メートル離れたところから見るなら、そこからの解像度で構わず、20センチほどから見るグラビア雑誌のインクのドットほど微細である必要はありません。
印象派の画家が描くときに、どの距離から眺めるのかということを想定して描くように、人の視力と脳の自動処理の関係から適当な解像度で描くことになります。子どもが身につけていくもの、世界を取り込んでいく内容は、生活という解像度にあった認識で構わないのでしょう。誰もがそこで了解しあえる言葉で、子どもの姿をとらえていく。
そうだとするなら、保育者が子どもの姿を捉える関係の網の目について、程よい解像度というものがあって、ある意味で写真のピクセル単位に相当するような、点や線や面や立体を想定してみたくなったのでした。すでにやっていることかもしれませんが、それなら、粗雑なもの、細くすぎるものとは、どんなものなのなのだろう? そんなことをふと、思ったのでした。
2023/01/21

保育園では協力ゲームを多く取り入れるようにしています。戦争の教訓からできたEUは移民受け入れを巡って対立が起きていますが、それでも「コーヒージョン」(粘着、団結、結束などの意味)を大事していることから、見習いたいことが多いのです。幼児教育でもそれがボードゲームのルールに反映さえていることがわかります。最後に誰が勝って終わりというゲームではなくて、勝者や敗者はおらず、いかに協力して何かが達成できたか、という競争よりも協同を育もうとしているボードゲームが多いのです。

そんな遊びに親しんできた園児たちは、競争の面白さに加えて、年下の子のやろうとしていることを大目に見てあげたり、協力し合うことを好む傾向も育ってきたと感じる場面が今週ありました。それは本来、早く揃った人が勝ちである「レシピ」というカードゲームを、年少、年中、年長が混ざって遊んでいたときです。作りたい料理のカードには、カレーだったらそのカードの下の方に、肉やじゃがいも、にんじんなどの材料の絵と名前がかいてあって、それをみながらテーブルに他の子が捨てた食材カードと交換していきます。その競争ゲームを始める前に、どんな料理を揃えて「ごはん」にするかをカードで確かめ合っていたそうです。その様子を、担任がクラスブログに書いているので紹介しましょう。
・・・・・・・・
カードゲーム「レシピ」 を楽しんでいる子どもたちです。
正式ルールの前段階の、ご飯作りをしています。
このゲームは、自分が作る料理のレシピカードを見ながら、作るために必要な材料を集め、そろえるゲームです。 いらない材料を場に捨てて、新しいカードを手に入れるのですが、場に捨てられたカードはもらう事が出来るのです。「ください」「いいよ」とやり取りしている間に、次はだれの番だったかなど動きが目まぐるしく、あそびながら順番を守るというよりも、ゲーム全体がどう動いているのかを広く見ていく力が必要であることがこのゲームの面白い所です。 相手や自分を意識し続けるということは、社会の関係性に広い目で見ていく力ともいえて、とても面白く力が必要な事が分かります。 今日は、交代交代で午前中止まることなく遊び続けていた子どもたちでした。
・・・・・・・・
全部の食べ物の材料カードの中には一枚しかないものがあり、それだけで料理との1対1の対応になっているものがあります。例えば、その絵の「豚肉」は酢豚の材料だとすぐわかるので、「ください」といっている子は酢豚を作ろうとしているとわかってしまうのです。そこで、何を作っているかがわかると、交換したいけどどうしようかな、他の子は何を作ろうとしているのかな、と「考える」ようになります。駆け引きのようなことがおきます。そして「ください」「いいよ」はランダムに起きるので、本来の順番とは別です。
その本来の順番が「次、誰だっけ」とわからなくなったとき、ちゃんとわかっているのが年長の「KくんとKさん」だそうです。その子たちは、年少の子たちが作ろうとしている料理も作らせてあげるために、持ち札を捨ててあげたりしているあたりに、本来の競争ゲームではない段階での配慮というか、優しさのようなものが見られたらしいのです。発達の異なる子どもたちが一緒に遊ぶ時に昔よくやった気がします。異年齢保育のよさかもしれません。
随分前ですが、協力遊びの重要性を学ぶために、オランダから講師の方を招いて複数の保育園が集まって研修を受けたことがあります。いくつもの活動や遊びを学んだのですが、象徴的だったのが全員が勝つ「椅子取りゲーム」です。普通の椅子取りゲームは、最後まで残った人が勝ちですが、講師のアナマイケさんでやっているものは、だんだん椅子が少なくなっていくと、どうやったら狭いスペースにみんなが譲り合って座れるかを協力し、一番少ない椅子はどれがを競うのです。今で言えば持続可能な共生社会のためにいかに協力できるかを、子どもの頃から学ぶのだというのです。協力型のボードゲームが日本製にはあまりありません。そこで海外ブラントのものを取り寄せて購入しています。
2023/01/20

レーズン蒸しパン
牛乳
2023/01/20

ごはん
とりののりやき
じゃがいもの甘辛いため
味噌汁
みかん
麦茶
2023/01/19

「みてて、ねえ、こうやって食べたら美味しいんだよ。お箸で食べるから、みてて」と、年長の女の子Sさんが私を呼び止めて見せたがります。そこまで言うならと、私は彼女の隣にしゃがんで「どれどれ、何よ、何が始まるのさ」と、みていると、お昼ご飯の白身魚のフライを白ごはんの上に乗せて、フォークとスプーンを突き刺してフライをほぐして、ご飯と混ぜ、どんぶりのようにして、お箸で食べられるところを見せてくれました。「ね!っ」と。

そうしたい経緯がよくわかるので、私は見ていて楽しいし、Sさんも満足そうです。この「瞬間芸」のようなことについて、彼女から伝わってくる印象は次のようなものです。お箸を巧みに使いこなせるようになったらしく、そのことを見てほしいという気持ちがあるのは間違いない。当園の昼食とおやつは、1ヶ月ごとに変わるのですが、同じメニューが2回でます。今日のは2回目なので、白身魚のフライの美味しい食べ方を、1回目の時に発見しているようなのです。

それをまたこれからやるから、それを知らない私に(周りのお友達は知っているだろうから)、伝えたくなったのでしょう。どうなるか、食べる前からわかっているので、「ほら、これからこうするから、見ててね」という、素晴らしい結果になることを予期しているからこそ、やる前から誇らしげに伝えてくる、ニヤニヤした感じの表情。その優越感さえ漂わせた、大袈裟にいうと勝ち誇ったかのような仕草で、自分が見出した発見の喜びを、ワクワクしながら見せびらかすことができる喜び。だから「今からやるんだから、ちゃんと見ててよ」なのです。

彼女と私の関係、よく知り合っている仲良しの関係でありながら、ルーティーンまでは知らない関係。知らないだろうことを教えたい、伝えたいから、私を選んだあたりはとっくに心の理論は通過しており、伝えて驚いてくれそうな他者がいるという、程よい関係の他者がいるという役割が私にあるんだな、と気付いたのでした。これは親子関係でも、起きてそうだけど、きっと「まあ、せっかくのフライが!」となりかねないかもしれません。
2023/01/19

たらこパスタ
麦茶