MENU CLOSE
TEL

2022年 9月

9月26日昼食

2022/09/26

鶏肉の小松菜のクリーム煮

野菜スープ

豆乳

ゼリー

 

都市を歩きながら国葬の意味を考える

2022/09/25

台風17号が過ぎ去って青空が広がった25日の日曜日。午前中は、オンラインでダンスを楽しもう!のイベントが開かれて、職員の親子も参加してくれました。ダンサーのいづみさんが出演しています。私は家族との用事で別のことをしていたのですが、晴れた空の下で都内を歩きました。

東京は、地上を歩いてみると区内も意外と起伏に富んでいて、多く残っている江戸時代以降の地図と重ね合わせながら、大名屋敷の名残を見つけたり、その当時のわらべ遊びを想像したりして、庶民の暮らしを思い描きます。そのような光景を思い浮かべてみると、これからの持続可能性を探るヒントになります。日本が近代に入る前の時代の生き方に、いろんな知恵を学ぶことができるからです。

週が明けると「国葬」が開かれますが、国を挙げて誰かを弔うという行為は、まさしく近代国家が国民を統べるために編み出したものなので、必ず国旗を掲げた武装した軍隊がその主に敬礼をします。軍が介在しない国家の歴史はないところに、政権が決定する国葬の特色が滲み出てしまいます。一方で、日本の場合の朝廷の権威は、別のところに根拠を置くので宗教の歴史が精神的な背景を支えた習わしになります。国家の重みと集合性は、こちらの方にあるのかもしれません。

いずれにしても、庶民の歴史と近代国家を必要としてきた歴史の両方を学ぶことが、これからの社会を生きていくための道標としては不可欠なものになります。都市を歩くと、それを伝えてくれる展示物や博物館や建物が色々ありますね。

正しい道があるという感覚に頼りながら

2022/09/24

私は何につけても基本的に、現代の近視眼的な対処の仕方について、根本的な懐疑を持っています。本質的なことを棚上げして、しょうがないから、現実的な対応を繰り返して生きていくことが、現代の病理的な様相を作り出しているように思えて仕方がありません。どうしてそうなってしまうんだろうと考えると、変えようと思うことを、早々と断念することが賢明だと思い込まされているからかもしれませ。できない可能性が高いので、挑戦することすらしない、ということに近いのでしょうか。確かに人生は不可解、とわかっていても、その不条理を受け入れてしまった方が、なんとかなる人生だからなのでしょうか。なんとかなっていると思っているうちに、なんともならなくなるかもしれないことを、切実なものとして予想する力が、私たちに乏しいからでしょうか。

何の話かというと、人生における「根拠なき直感の優位性」という話です。科学はエビデンスを求めてきます。物事の根拠です。確かな理由です。誰もが納得する答えや証明です。でもそれが提示できないものは多くて、保育の質もその一つかもしれません。なかなかエビデンスを示せないことが多い。でも実践している当事者には、経験的にも直感的にも、こっちがいいだろうという判断が働いているものです。その判断に至るプロセスにある「落とし穴」には気をつけながらも、それでいい、と思えるものが確かにあるものです。

仕組みがよくわかっていないものの最たるものは、人間です。肉体も精神も霊魂も、宇宙の中でどうやって誕生したのかも、どこへ向かっているのかも、そもそも自分の生体の仕組みさえ、よくわかっていない、だから、健康であることや発達すること、感染症から守ること、そのほかコロナのことやワクチンのこと、自然食のことや地球環境のことまで、人間が考えてデザインして作り出している生産物のあれもこれも、今後どうなっていくのか不透明です。

では、確かな地点を確保することができないのか、というとそうでもありません。確かなものはあります。それはこうのように考えていること、それ自体は疑いえない自明性を持つと思うからです。こうやって時の刻まれていく流れの中にあって思考していること自体を、全くの幻想と退けることはできそうもないからです。この確かにあるという存在の手応えさえも、幻想でしかないとしてしまったら、きっと私たちのたどり着いた意味さえも、不可視の中に胡散霧消してしまうからです。ここから、一歩ずつ積み上げていくことが、私たちの直感が正しいと感じる生きる道だと思います。

0歳からの入園をお勧めします

2022/09/23

全ての赤ちゃんが、0歳児クラスに入園してほしい。育児休暇が長く取れるようになったから1歳児クラスからでいいと思わないで、0歳から子ども同士の関わりを体験してほしい。そう思うことが、保育園をやっていると、強く思います。その理由はいろいろあるのですが、最も大きい理由は、子どもの成長、発達には満1歳前後からの、子ども同士の関わりが、とても大切な体験になっているからです。それは脳の発達からも人類の進化からも、自然なことになっているからです。そのようなことの積み重ねを、小さいうちから行っていくことがいかに大切なことかを、日本全国の子育て家庭に強く訴えたいという衝動に駆られます。

たくさんあるエピソードの中で、昨日のちっち組(0歳児クラス)のエピソードは、それをよく表していますので、いかにそのまま載せたいと思います。名前はイニシャルに、写真はイラストに加工しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タイトル「取り合いっこも大切な経験に」

Yくんが、鏡を手に入れて遊んでいると、Rちゃんがやってきて、鏡をのぞいています。

するとだんだん、ふたりとも鏡で遊びたくなって…

『ちょうだ〜い〜‼︎』

でも、Yくんもまだ使っているので、再びしっかりホールドしています。

ゲットできなかった悔しさで大人のひざに顔をうずめにくるRちゃんでした。

「Rちゃんも、ほしかったのねぇ。。」
最近のちっちさんは、こんなふうにお友だちと玩具を引っ張り合いっこしたり、取り合って怒ったり…という姿が見られるようになってきて、春のころの小さい”赤ちゃん”から、だんだんと、ぐんぐんさんらしい姿も出てきたなぁと成長を感じています。自分の気持ちを思い切り主張し合えるようになってきたようです。

これからきっと、もっともっとたくさんケンカして、怒って泣いて、悔しい思いをして葛藤して…といろんな体験をしていくでしょう。
そんなときに、まずは、お互いの子どもの気持ちを言葉にのせて伝えてあげることを大切にしています。大人がジャッジしたり解決したりしようとするのではなく、あくまで、子どもたち自身が自分の気持ちや相手の気持ちに少しずつ気付いていくことができるよう・・・そして、子ども同士の気持ちのやりとりの橋渡し役となれるよう、支えていきます。
大人が「良い、わるい」…を判断して押し付けなくても、ほんとうは、子ども自身がよく分かっているのではないかな、と感じます。
実は、この取り合いっこの場面でも、Rちゃん、もう少し引っ張ったら鏡を取ってしまうことができたと思うのです。でも、すぐ引っ張るのをやめて、手に入れられなかった悔しさを大人に受け止めてもらいにきました。
こうやって、子どもたち自身、自分なりに(どうしようか)と選んでいるんだなぁと感じました。

気持ちを受け止めてもらったり寄り添ってもらったりしながら、その経験を重ねていく中で、子どもたちは少しずつ友だち同士でやりとりしていくことを学んでいきます。それは、とても時間のかかることですが、一つ一つが ちっちさんの頃からの積み重ねなのだと考えています。
そう思うと、ちっちぐんぐんの時期は、お友だちとのやりとりや関係を学び築いていくための、最も大事な時期とも言えそうですね。

このあと、にこにこ組のAちゃんとRちゃんが、ふたりでおしゃべりしながら鏡を覗き込んでいました。


この場面はこの場面で なんだかほほえましい光景ですが、このふたりも、これまで何度も何度もケンカして気持ちをぶつけ合ったり気持ちを通わせたり…という経験をちっちさんの頃から繰り返してきたはずです。

にこにこ組(2歳児クラス)の頃になると、こんな風にお友だち同士の関係もますます深まって、一緒に使ったり、取り合いになっても相談し合ったりできるような姿も見られます。
それは、ちっち組のみんなの数年後の姿でもあるのかもしれないですね。そんなことを考えながら、いまこの時期を、丁寧に大切に過ごしていきたいなぁ、と改めて思ったのでした。

取り合いっこも大切な経験に

2022/09/23

ゆたかくんが、鏡を手に入れて遊んでいると、れあちゃんがやってきて、鏡をのぞいています。

するとだんだん、ふたりとも鏡で遊びたくなって…

『ちょうだ〜い〜‼︎』

でも、ゆたかくんもまだ使っているので、再びしっかりホールドしています。



ゲットできなかった悔しさで大人のひざに顔をうずめにくるれあちゃんでした。

「れあちゃんも、ほしかったのねぇ。。」
最近のちっちさんは、こんなふうにお友だちと玩具を引っ張り合いっこしたり、取り合って怒ったり…という姿が見られるようになってきて、春のころの小さい”赤ちゃん”から、だんだんと、ぐんぐんさんらしい姿も出てきたなぁと成長を感じています。自分の気持ちを思い切り主張し合えるようになってきたようです。

これからきっと、もっともっとたくさんケンカして、怒って泣いて、悔しい思いをして葛藤して…といろんな体験をしていくでしょう。
そんなときに、まずは、お互いの子どもの気持ちを言葉にのせて伝えてあげることを大切にしています。大人がジャッジしたり解決したりしようとするのではなく、あくまで、子どもたち自身が自分の気持ちや相手の気持ちに少しずつ気付いていくことができるよう・・・そして、子ども同士の気持ちのやりとりの橋渡し役となれるよう、支えていきます。
大人が「良い、わるい」…を判断して押し付けなくても、ほんとうは、子ども自身がよく分かっているのではないかな、と感じます。
実は、この取り合いっこの場面でも、れあちゃん、もう少し引っ張ったら鏡を取ってしまうことができたと思うのです。でも、すぐ引っ張るのをやめて、手に入れられなかった悔しさを大人に受け止めてもらいにきました。
こうやって、子どもたち自身、自分なりに(どうしようか)と選んでいるんだなぁと感じました。

気持ちを受け止めてもらったり寄り添ってもらったりしながら、その経験を重ねていく中で、子どもたちは少しずつ友だち同士でやりとりしていくことを学んでいきます。それは、とても時間のかかることですが、一つ一つが ちっちさんの頃からの積み重ねなのだと考えています。
そう思うと、ちっちぐんぐんの時期は、お友だちとのやりとりや関係を学び築いていくための、最も大事な時期とも言えそうですね。

このあと、にこにこ組のあやかちゃんとりょうちゃんが、ふたりでおしゃべりしながら鏡を覗き込んでいました。


この場面はこの場面で なんだかほほえましい光景ですが、このふたりも、これまで何度も何度もケンカして気持ちをぶつけ合ったり気持ちを通わせたり…という経験をちっちさんの頃から繰り返してきたはずです。

にこにこ組の頃になると、こんな風にお友だち同士の関係もますます深まって、一緒に使ったり、取り合いになっても相談し合ったりできるような姿も見られます。
それは、ちっち組のみんなの数年後の姿でもあるのかもしれないですね。そんなことを考えながら、いまこの時期を、丁寧に大切に過ごしていきたいなぁ、と改めて思ったのでした。

子どもは自然栽培の味噌の「おいしさ」がわかる

2022/09/22

今日の給食のお味噌汁は、自然栽培で作った味噌を使いました。すると、ある子どもが「おいしい」と言って、おかわりをしました。どうも子どもは、この「おいしさ」の違いがわかるようなのです。子どもの身体はまだ自然に近いので、この違いをキャッチするセンサーがあるのでしょうか。この辺りの人体をめぐる科学は、非常に遅れており、身体についてはわかっていないことが、山ほどあります。この今日22日(金)のエピソードを聞いて、次のような話を思い出しました。自然栽培で作られた作物やその発酵食品(この場合は味噌)は、私たちの人体を自然の生態系の一部に戻してくれるという話です。ちょっと長くなりますが、人体と自然との関係を考えると、うちなる自然環境は、実は胃や腸だという話に遡ることになります。

私たちの体の<内部>はどこか?というと、胃や腸は<外部>であって、内部でないと考えることができます。口から肛門までは筒になっていて、外の環境に開かれています。口から物を食べて、肛門から排泄する。その途中で色々なものを体内に取り込んで、体内から不要なものを外の出すわけですが、この通り道の筒は、体の内部ではなく外部だと考えることができます。私たちの人体を大きな一つの筒、トイレットペーパーやサランラップの芯のようは円筒だと思ってください。

その人体の円筒模型は、もっぺらぼうではなくて、ビオトープのような生態系になっています。口と肛門という蓋がつているので、空洞部分の中身は、私たちの意志で開けたり閉めたりできます。ただその円筒の途中にも、幾つも開け閉めできる門があって、その部屋は閉じられています。口腔、胃、小腸、大腸、直腸などの部屋に分かれていると思ってください。その生態系は、例えると、口腔は石畳の庭の入り口のようなもので、食道は草むらの細長い道のようなもので、その先の胃は、洞窟になっていて中はうねるような林です。

さらにその後の小腸はまるで密林のようです。その中には、色々な液体が雨のように降っているジャングルのように湿っており、いろんな生き物が棲んでいます。乳酸菌やフェカリス菌、アシドフィルス菌、ビフィズス菌など、有名なものから、聞いたこともないような不思議な菌類がいっぱい棲んでいます。

私たちは自分の胃や腸を内部だと思っているので、ちょっと見当はずれなことをたくさんしてしまっています。私たちの本当の内部から見たら、この外部である胃や腸の中を、もっといい環境にしてあげる必要があるのです。それは棲んでいる部屋の空間をよくするのと同じように、外部である胃や腸の中をよくすることが大切なのです。最近、よく言われるようになった腸内環境を良くしようというのは、このことです。

すると、腸には口から入れても実は胃のところで強酸で分解されてしまうので、ほとんどの菌はそこで死んでしまいます。先ほどの羅列した菌たちは、腸のビオトープまでは辿り着けません。では、どうやったら腸内環境が良くなるのかというと、腸内環境を含めた円筒模型の中身を、自然の生態系に戻すことが必要になります。そのために、私たちは筒の中だけを問題にするのではなくて、筒の厚さの部分、つまり私たちの肉体、身体そのものを、内側から自然なるものに作り替えていく必要があります。その方法は、自然栽培の世界と私たちの身体を繋いでいくことなのです。

 

9月22日昼食

2022/09/22

ごはん

白身魚のフライ

キャベツのマヨネーズ和え

ナスの味噌汁

麦茶

おうちでダンスを楽しもう!

2022/09/21

楽しく踊ろう 〜ハンデがあってもなくても〜サニーフラワーダンス

9月25日(日)午前10時から12時まで

ズームでおうちで参加できます(無料)

ダンサーのしばたいづみさんも一緒だよ!

最初の1時間は、お絵描きもするよ

親子でぜひ、ご参加ください。

(9月はコロナもあって、スタジオの参加はありません。

時間も10時からに変更しました)

お申し込みは、ここ↓からどうぞ。

ハンディがあってもなくても楽しく踊ろう♪ 無料オンラインダンスイベント

 

top