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TEL

2020年 10月

10月22日 昼食

2020/10/23

ご飯

カレー肉じゃが

スティックきゅうり

わかめの味噌汁

麦茶

歯みがきごっこ

2020/10/23

「ごっこ遊び」というとまず、お料理を食べたり作ったり…のおままごとを思い浮かべるかもしれませんが、この日のぐんぐんさんは、「歯みがきごっこ」が盛り上がっていました♪

ゆずちゃんが”歯ブラシ”を配り始めると、近くにいたれおなちゃんやながせくんも、歯みがきを始めます。


ご覧のとおり、おままごとのスプーンが”歯ブラシ”代わりです。

 

↑この黄色いカップが”歯ブラシ立て”のようです。細かい設定までよくできていますね。子どもたちのなかではその”歯ブラシ立て”の設定もまるで〈暗黙の了解〉のように、みんな使い終わった”歯ブラシ”をそのカップに戻しています。

 

磨き終わると「ぶくぶく〜ぺっ」とキッチン台のシンクで口をゆすいでいました!

 

一緒に歯磨きしていたら、「せんせいはみどりのコップ使っていいよ」と、ゆずちゃんがコップを渡してくれました。
みんなのごっこ遊びに少し入れてもらって、ちょっとだけ同じ世界を味わえた気がしました。
(もしかしたら、子どもたちの中にはもっと、色々なイメージや想像が広がっていたのかもしれませんが…。)
いつものスプーンも、もう不思議と歯ブラシに見えてしまいます。

ごっこ遊びを見ていると、生活の中で見たこと体験したことが、とてもよく再現されています。お散歩ごっこでは、「(柳森)神社に行こうか〜」といつも行く神社に出かけていました。
お料理もそうです。ボウルをオーブンレンジに入れたり、包丁で食材を切ったり…お家で、お父さんお母さんのお料理の様子を見ているのだろうなぁと思う動作があったりします。
こんなふうに、日々の生活の中で、色々なものを見たり体験したりすることが、ごっこ遊びを豊かにしていくのだと実感しています。そしてまた、子どもたちの発想を引き出して遊びを広げていくために、環境を作っていきたいです。

おめでとう!

2020/10/23

昨日はお誕生日会がありました!

「好きな食べ物は?」と聞かれると

「りんご!」と元気いっぱい答えるさくちゃん!

 

「好きな遊びは?」と聞かれると

「ブロック!」と元気いっぱい答えるゆうかちゃん!

 

『しあわせなら手をたたこう』の歌に合わせて

マラカスやカスタネットを使って、全身を使って表現しながら楽しんでいました♪

素敵な1年になりますように‥☆

学びの力

2020/10/22

おやつの時間です。
あやかちゃんが席に着くと、ぐんぐんのれおなちゃんがエプロンをつけてくれていました。

子ども同士の中だけで、自然とこんなやりとりが生まれています。最近、れおなちゃんはいつもあやかちゃんのエプロンをつけにきてくれます。

 

食べ終わると、ぐんぐんさんと同じようにコップとお皿のお片付けをしていました!


もう何も教えなくても自分でお片付けしにいきます。初めてなのに、手慣れた様子…!
さいごに、思い出したのか、座っていた椅子をしまいに戻ってきました。バッチリです!

 

大人が直接教えなくても、ここまで自分でできるようになっているのですね!〈自分の目で見て、真似て、学んでいく力〉の力強さを感じます。

こうして、「姿」として目に見える部分の成長もそうですが、目には見えにくい心の成長も含めて、人間は、赤ちゃんのころから、さまざまな環境や体験を通して自ら学んでいく能力(学習の力)を持っているようです。
赤ちゃんの成長の過程において、”生きていく上で必要ない”と判断された能力は失われていってしまうというのですから、その子が育つ環境や経験の豊かさがいかに大切なものかを考えさせられます。

子どもたちが本来持っているその逞しい「学習」の能力を十分に発揮できるよう、日々の環境や経験の機会を考えていきたいと思っています。

そして、目に見える姿はもちろん、目には見えにくい心の動きを、どれだけ拾い上げて大切にしてあげられるかも、その成長の支えとなっていくのかなと思います。

お家の姿と園での姿。。それぞれの場での生活に見えるかもしれませんが、子どもたちにとっては一つの大きなつながりがあるのだと思います。それぞれの場での姿を知ることが、子どもの心を探ったり、子どもの力を引き出していくためのヒントになるかもしれません。どんな小さなエピソードでも良いので、お家の方と情報交換しながら、色々な角度から子どもたちの姿を見守って成長を支えていけたらと思っています!

 

今日のおまけショットは、モリモリ食べるちっちさんです♪

 

いい絵本は子どものことをよくわかっている

2020/10/22

エルマーの冒険を読んであげていると、この本は子どものことがよくわかっているなあ、と感心します。子どもの反応をあたかも予想しているかのように、文章が展開して行くのです。私の話に聞き入っているのは年長さん数人。お昼寝をしない子どもたちにとって、午後1時から3時ごろまでは、活発に体を動かすことはせず、比較的静かにして過ごしているのですが、10月から週2回、物語絵本などを読み聞かせています。先週が「おしいれのぼうけん」だったのですが、今日22日は「エルマーのぼうけん」の途中までです。この大ベストセラー絵本のストーリー展開は、子どもの「次どうなるんだろう」と「きっとこうじゃない?」を強く刺激します。船で密航して「みかん島」まで行くのですが、小麦の袋に隠れて歪な形になってしまい、船員に見つかってしまうのではないかというハラハラする場面では、船員がエルマーの「ひじ」を触って「枝のついたとうもここし」だろうと勘違いすると、すいすいさんたちは、安堵とおかしみと痛快さの混じった、なんともいえないため息を漏らしました。「こういう場面が子どもたちにとってはたまらないんだなあ」と感心します。今日は「どうぶつ島」まで渡りきり「いのしし」に疑われるところまで読みました。空を飛んでみたいエルマーは、子どもの恐竜を助けることができるかどうか、すいすいさんたちの夢見る物語は来週も続きます。

ジレンマを抱えていることの専門性とは

2020/10/21

先週から今週にかけて、園の先生たちと少し深い話をすることが続いています。保育の話ですが、テーマは色々です。それでも個々の話題の背景にあって、共通していることがあります。それは「子ども主体の保育」における「先生が抱える葛藤」です。平たくいう、仕事の悩みです。結論から言うと、保育に悩みは付きものであり、悩みのない保育はありません。保育が楽しいに越したことはないのですがそれでも、その楽しさは「味わい深いもの」であって、単にファン(楽しさ)であるという意味ではありません。苦労もあり、悩みもあり、葛藤もある上での楽しさです。

毎月届く雑誌や広告の中に、子育てや保育を、まるで魔法かマジックのように「こうすればうまくいく」みたいなノウハウを紹介しているものがありました。それを読んでいて、「これは保育とはいえないな」と思いました。高い専門性を持った保育者ほど、意味のあるジレンマを抱えているものです。真っ白な洗い立てのワイシャツのように、眩しい白さしか感じない保育者ほど、子ども理解は浅くテクニックに走っていたりします。そんな風に感じる保育は、大抵が保育者主体の保育なのです。

しかし一旦、子ども主体の保育を目指してやり始めたら、子どもの多様性や不可解さを前にして、そんなマジックのようなわかりやすさが通用しないことはすぐにわかります。子どもも人間である以上、情緒の海の中で呼吸しており、彼ら彼女らも自分でも計り知れないところから湧き立つ欲求に突き動かされるようにして生きています。その心の声と対話しながら傍に立つのが保育者であり、何人もを前にして大きな声で語ったり、分からせたりことが保育ではありません。それは理解していても、なかなかそうできない状況で事を進めざるを得ないジレンマがつきまといます。

個々との会話と心の通い合いからしか、保育は成立しないものです。しかも一人ひとりの心としっかり向き合うことがスタート地点です。子ども一人ひとりに向かって「あたたは本当は何をしたいのだろう」という、子どもの願い(本人も自覚していないことが多い)を知ろうとすることが、保育の起点になるのです。大人がやってほしいことを言って聞かせて、子どもができたり、できなかったりすることを、保育の成果と勘違いしてはいけません。それは大人主体の上辺だけの結果でしかありません。子どもが自ら歩き出し、そして切り開く世界が育ちです。その世界を自ら歩いた足跡だけが本物の育ちだからです。

例えば、わらすの昨日20日のブログ「やりたい」をご覧ください。「やりた〜い、の意欲はどんな理由があるのかな?」と問うています。この分からなさを抱えて進むのが保育におけるジレンマです。「わからないってことが、その子らしさ、それぞれの力ということなんでしょう」。この実践的な告白に保育の真があるのです。

こんな「子ども観」や「保育観」がベースにないと、見せかけの成果に目を奪われてしまい、心の育ちが見えなくなってしまうでしょう。自分らしく生きて行くことができるように、一人ひとりの子どもの持っている可能性を最大限引き出すこと。そのために何が必要なのか、改めて保護者のみなさんと共有しておきたいと思います。11月に保護者会をクラス別に開こうと計画中です。

砂場でお料理つくりと冒険広場

2020/10/21

佐久間公園へ行くと、砂場に入っていく子ども達。

「あぁ。砂場のセット忘れちゃったね。今度は持ってくるようにしよう!」と話しました。「でも、こんな風にすると遊べるよ」「道具がなくても、みんなの手が道具だよ」と砂場遊びがスタート!

★出来上がったのは「パパ山」(他にママ山、じじ山、あかちゃん山、お姉ちゃん山)

★お花のケーキ(ケーキの周りの土を削って、お皿のように模様を作っていました)

道具(スコップや型抜き)がないと遊べていなかった子どもたちが色々とチャレンジする姿からも育ちを感じるとともに、経験の重要性も身をもって感じる場面でもありました。。。(屋上の計画進めないと!!!お力添えお待ちしております。)

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