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2020年 8月

再現遊びとしてのダンス

2020/08/24

今年の運動会は「コンテンポラリーダンス」のテイストを含んだ「親子運動遊びの会」になります。10月24日(土)の午前中に、和泉小学校体育館(昨年度と同じ)をお借りして、完全入れ替えの2部制で実施します。親子運動遊びにダンスを取り入れることになった経緯は8月8日付のこの「園長の日記」でご紹介しましたが、今日24日(月)は、青木尚哉さんを含むダンサー4人に来園していただき、2歳児にこにこ組、3歳わいわい組、45歳らんすい組に分かれて、体を動かして遊びました。三密を避けるために、それぞれ30分、40分、50分ずつ、2階と3階を使っての運動です。ずっと録画しながら見ていて、次のような感想を持ちました。

私たちは「ダンス」というと、音楽やリズムに合わせて、予め決まっている振り付けに合わせて体を動かすというイメージがあります。型があって、それを真似して身につけ、正確に再現できると「上手」となるようなダンスです。体がその振り付けやリズムに合わないとダンスが「下手」ということになってしまいます。これでは、それが「できる」子どもでないと楽しくありません。

青木さんのグループが目指しているダンスは、その真逆です。例えば、身体をマネキンのような素材として動かしてみるという「ポイントワーク」は、10 カウントの間に「10回だけ動かしてみる」型はあっても、その制限の中で、その子なりの自由な発想や想像力が引き出されていくような楽しさがあります。紙が丸められたり、くしゃくしゃになっていくのに合わせて、体を小さく縮めてみたり捻じらしてみたりするのです。先にイメージが動いて、そのあとで体が動き出すという順番です。そのイメージの想起力がこのダンスの決め手です。この心の動きは「再現遊び」と同じですから、ごっこ運動といってもいいかもしれません。

これを「お絵かき」に例えると、描く対象物にそっくりで写実的なら「上手」と評価されるような絵ではなく、それぞれの心に思い描かれた像(イメージ)を形と色で自由に表現してみるような絵です。その描きたいという意欲を大切にしながら、思い浮かべたイメージの通りに描きたいというモチベーションが結果的に表現スキルも高めていくようなアプローチです。

このように、保育の原理と同じだなと感じたのは、子どもの身体の動きは心の動きと連動しているが故に、まず子どもの意欲や動機に働きかけることから始まることです。動物の絵を見たり、録音された動物の鳴き声を聞いて、動物の動きを真似してみることが「ダンス」になっていきます。NHKの「おかあさんといっしょ」の「ブンバ・ボーン!」や「からだ☆ダンダン」などの「体操」と何が違うのでしょう。きっと、それは「振り付け」をみてただ真似するよりも、個々が思い浮かべる「イメージ」の想起が、動きの起点(スタート地点)になっていることです。つまり表象としてダンスなのです。再現欲求に働きかけるようなダンスと言っていいでしょう。

運動会では親子でこれを楽しみましょう。練習は全く不要。必要なのは柔らかい頭の方かもしれませんね。ところで今日は全国各地で2学期が始まりました。短い夏休みを惜しむように、今夜、東京でも花火が上がりました。

 

8月24日 昼食

2020/08/24

わかめご飯

みつばのすまし汁

とうふとえびのとろみ煮

かぼちゃのソテー

すいか 巨峰

麦茶

処暑から振り返る1週間

2020/08/23

今日23日は厳しい暑さの峠を超えるとされる処暑です。暑さは確かに少し和らぎました。屋上のひまわりは最盛期を過ぎて夏の終わりを告げています。

さて、8月17日から今日までの1週間は、どんな7日間だったというとーー。お盆休みが終わり子どもたちの数もほぼ定員に戻り、しかも連日30度を超える暑さがつづく「まなつのほいくえん」でした。月曜と誕生会のあった木曜を除けば毎日プールでの水遊びを楽しみ、昨日は初めて「プール開放」もありました。以前も感じましたが、テラスと屋上で水遊びができることで、暑さから解放されます。

◆20日の誕生会から

8月生まれの園児を祝う誕生会では、シルエットクイズを楽しみました。驚くことが2つありました。1つは子どもは「わかったら答えを言わないで黙って手をあげてね」が難しいこと。ハイハイと手が上がると同時に「スイカ!」とか「ちょうちん」とか言っちゃうんですよね。これはしょうがない。

2つ目は、ピカチュウなどのキャラクターへの反応が凄いこと。その人気の根強さがわかります。

あと、もう1つありました。このシルエットを当ててしまうのです。みなさんわかりますか?答えは子どもに聞いてみてください。

◆すいすいの「筆アート」

「とても味がありますね」と保護者の方の感想です。3階に向かう階段の展示スペースに飾っている年長組すいすいさんたちの「習字作品」です。すべての「かたち」には、それが「図」だとしたら、その背景となる「地」が必要です。地によって図も見え方が変わりますが、ひらがなという「かたち」にも、余白とバランスが美を生むという体験を子どもたちに味わってもらうつもりです。これは感覚的に「いいな」という体験を積み上げておくことが大事。

この感覚をすべての生活圏に広げていったらどうなるか?・・そもそもそんなことが可能なのかどうか?面白いテーマだと思いませんか?

◆絵本の誕生と進化

旧石器時代からの口承文化から「文字」が生まれ、日本ではもっぱら墨と筆で記録され、近年になって紙に印刷されるようになり、そこへ挿絵が入り、雑誌や本が編纂され、神話や民間伝承から「昔話」が独立し(「昔話」という言葉は柳田国男が作った学術用語です)、編集者と児童文学者(物語作者)と画家による三位一体の造形作業としてつい最近になって「絵本」が成立しました。そして、その絵本の記念すべき到達点は、奈良美智の絵本「ベイビーレボリューション」だと思います。理由は文(詩)が浅井健一で、同名の名曲が先にあって、それが絵本になっているのです。今日はミュージシャン坪井コレクションから借りた「baby revolution」を聴きました。これまでにない絵本体験です。ザ・クワガターズの「ベイビーロード」に通じるものがありました。

さてさて・・

お泊まり会以降、どんな絵本を選んだらいいのかしらん?その問いの延長として、ここでは絵本を通じた保育を語ってきました。

◆子どもにとっての絵本の意味を探る営みはこれからも続く

凄い時代です、本当に。全体を見渡している人がいないくらいの広がりです。絵本のこの爆発的な膨張の只中で、つまり、同時に、文明社会の歪みを一気に「お母さん」に押し付けている事実に無自覚な「日本の子育て事情」の中で、どうやったら窒息しないで生き延びられるか?という<切羽詰まった感>が解消されないままの子育て事情の中で(何度も言い換えて申し訳ありませんが)、この1ヶ月ほど、その「剥き出しの生」が干からびないように、少しは<元気の出る絵本>を紹介してきたつもりです。

その歴史的到達点の「しるし」になっている代表作を並べてみたのですが、その背後には、もちろん無数の絵本があって、たまたま「あれが北斗七星だよ」というようなもので、その背景に広大な銀河が広がっています。そこにどう切り込むか、どんな天体望遠鏡を持ち込むか、福音館書店と相談することになっています。

◆誰も否定できない空論はいらない、もっと方法論を!

「コロナ禍の影響」として教育実習生の受け入れ拒否問題が議論されました。マスコミは1つの事例をもって大上段に「差別しないように」などと精神論を展開しますが、これも空論に近いおかしな話です。現場をつぶさに取材していないことが多いですね。例えば保育者養成校のほとんどは、学生に発熱などがあればPCR検査をして陰性を確かめたあと、期間をおいてから送り出しています。

◆感染のピークは7月下旬だった

政府の専門家分科会は感染のピークは7月下旬だと分析しました。

この日記で7月24日に、その頃報道されていた「K値」(感染数の増加率)を紹介しましたが、その予想が大体当たったことを記しておきます(マスコミはある理由で無視していますが)。

問題は「どうして減少するのか」です。それを明らかにする手法が、政府と日本感染症学会から、まだ出てこないことが最大の課題です。その根本の問題は、サーベランスが足りないので(都のやっているモニタリングは、本当の意味でのモニタリングになっていない、ただの行政検査結果です)、第一波の時から今でも感染の全体像のデータが足りないので、肝心のところで議論が二分してしまうのでしょう。

◆私たちのそばに動物たちがいる意味は?

いまNHKの「Hot spot 最後の楽園」(ダイジェスト版)を見ながらこれを書いているのですが、地球上の生物のすごさには本当に目を見張るものがあります。これは、泳いでいるゾウです。

絵本の主役に動物が多いのは、そもそも「昔話」のジャンルとして「動物昔話」があることに遡ります。最後の楽園とは、人間が追い詰めた余白のことですが、それにしても、この映像から感じる「畏敬の念」を感じるように、古代の私たちの先祖も同じ畏怖の念を動物に感じていたに違いありません。

最近の遊びの姿

2020/08/22

入園したころを思い出すと、日々の遊びも変化していることを感じます。

最近の遊びの様子を少しのぞいてみましょう。

 

ぐんぐんのゆずちゃんのおままごとを見つめるあやかちゃん。

そして、あやかちゃんも ぱく〜っ!スプーン使いも上手です。こうして、生活の中の場面が遊びの中でも再現されていくようです。

ゆずちゃんは、りょうちゃんに「どーぞ」。

自分でスプーンを持って食べたいのかな!?りょうちゃんも、最近スプーンを自分で口に運んでご飯を食べるのが上手になっているのです。

 

こんな場面も。あやかちゃんが、ティッシュで床を拭く仕草をしています。似たようなシーンをどこかで見たことがあったのでしょうか。

 

こちらは、ぐんぐんのれんくんと絵本を楽しむゆいとくん。れんくんが絵本を読み始めると、そばにちょこんと座りにいく姿がかわいかったです。なんだか惹かれ合うものがあるのか、ゆいとくんは、ぐんぐんのお兄さんたちとよく楽しそうに遊んでいます。

 

そうたくんは、はじめてのトンネルに挑戦!

最初は様子を伺っていましたが、一回やってみたらこの通り!笑い声を響かせながら向かってくる姿に、思わずつられて笑ってしまいます♪

 

引き続き、水遊びもそれぞれに楽しんでいます。

 

 

これからどんな風に遊びが広がっていくのか、楽しみですね。

初めてのプール開放

2020/08/22

今日22日(土)は保育園で初めての「プール開放」だったのですが、8家庭の親子が水遊びを楽しみました。プールで遊んでいる子どもたちの動きを見ていると、四つん這いになってワニなったり、ゾウになってホースに水を長い鼻で飛ばしたりしています。

暑い時に水で体を冷やす動物は多くて、陸上動物でも大抵は水浴びをします。ゾウもキリンもライオンもやります。もともと海や川にいるクジラやカメやカバやワニも、子どもたちには身近な存在ですが、それらが身近なものになっているのは絵本の影響も大きいかもしれません。

 

 

 

 

スイカの制作

2020/08/22

スイカの制作をしました🍉

のんちゃんとかえちゃんは反対の指まで‥(笑)

始めてのスタンプ制作でしたが、とっても楽しかったようで、次の日もみんなでスタンプ遊びをしました!

 

周りにお絵かき等出来るスペースがあるので、続きはおうちでお楽しみ下さい♪

寄り添っている今

2020/08/22

先日の朝こんなやり取りをする姿がありました。

火曜日
親「○○!!じゃあいってくるね。今日イルカ(プール)グループを選んだから楽しんできてね」 と声を掛けてお別れしていました。

保「(今日も自分のやりたいことを選択していたんだね。きっと、自分で「これ」と伝えたり、親と一緒に考えて決めたんだろうな)」

~朝のお集まりにて~
保「それじゃあ。今日のかにグループはだれかな?イルカグループは誰かな?」と聞く中で、朝保護者と話していた子が「僕、やっぱりカニにしようかな・・・」と言い始めたのです。保「わかった。そしたら、かににしようか。」すると「あっやっぱり、イルカにしようかな」「いや、かにに・・・」こんなやり取りがあったのです。 時間にして3分もかからないやり取りではあるのですが、最後に「カニにする」と決めて自分の選択したグループで水遊びを楽しんでいました。 木曜日にこの子は「イルカグループで水遊びをしました」
帰りに保護者とこの出来事を話していると「お盆前は、かにグループを選んでいたのですが、先週はイルカにすると言っていて、でもお盆中はお休みで「ずっとイルカで入る」と決めていたようです。」とのお話を聞きました。

 

〇選択は大事。でも、どのように選択させているかの環境も大事
朝の会で「カニ」「イルカ」の選択に迷っている姿に似た場面がきっと家庭の日常の中であるでしょう。 「どれにする?」「どれ食べる?」といったときに「ん~」と子どもが決めかねていたり、考えている中で、「(まだ決まらない?)(これにすればいいのに)」そんな風に子どもの選択や決定までを「待つ事が難しい」事や、「待ち続けてしまう」といった極端な関わりをしてしまう事があるように思います。 保育をしていて ①「この子は、周りからちょっと急いで、まだ?など言われてしまっているのかな。それが逆に決められなくなっているな」 ②「この子は、選択肢を上手く整理したりすることが苦手だな。ヒントを示したり、自分の考えを整理する関わりをしてあげるといいな」 など色々と見えてきます。家庭の関わりも子どもの姿から感じ取れることもあります。 上手く選べたことがすべて正解という事ではありません。 どのように関わっているかの周りの人的環境も重要であるという事です。

 

〇生活を自ら作り出す
子ども一人一人が自らの生活を作ることを保育の目標のひとつに置いています。その上で「君がどう生きたいか」という選択は生活を豊かにしていく上でとても大切です。しかし、好き勝手自分勝手でいいという事ではありませんが、選択をする難しさに、私たち大人も知っておいてあげて、より大らかに、余裕をもってかかわることが大切になってきます。 「カニにしようか。イルカにしようか」この選択は、とても価値があると思うのです。 日常の当たり前のやり取りにこそ本質的子育てや教育的な意味が込められているのです。

絵本を何度も繰り返しよむ意味

2020/08/21

「こたえ、いっちゃダメだよ。つまんなくなるから」と年長のSさんが言います。お友達が絵本のページを開くと、すかさず「これとこれと・・」と答えを言ってしまうからです。絵本を楽しむ流儀というものが、子どもたちなりにあって、ちゃんと楽しみたい、という感覚を求めていることが伝わってきた場面でした。

私は今日夕方、3階の絵本ゾーンの整理をしていたら、二人が私の両隣に座って「これよもう」と誘ってきたのですが、何冊目かの絵本が「トリックアートおばけやしき」だったのです。見開きページの左側に、クイズのように「○○はどこにあるでしょう?」のような「問い」があって、その問いにしたがって「だまし絵」や「錯覚図」など楽しむ絵本になっているのです。

私が、その絵本の文章を読み終わってから、Sさんは「髑髏(ドクロ)はここだよ」とか「コウモリはここ、とここ」とかやりたいのです。なのでSさんはフライング気味のお友達に「まだ、言っちゃダメだよ」と嗜めるのでした。

この言葉というか、その時の仕草や口調、雰囲気には「自分がやりたいんだから邪魔しないでほしい」という感じもあるのですが、それよりも「ちゃんと手順を踏んで楽しみたいんだから」というニュアンスの方が強いのです。二人とも何度も読んでいる絵本だけに、答えは9割がたわかっていても、面白いからまたやりたいという、その気持ち。ちゃんと最初からやりたいという感覚。これ、なんだから、よくわかります。この感覚は「きちんと」とか「ちゃんと」とかの言葉で表す何かなのですが、鑑賞や探究や学びの質と似ていてる、あるとても大切なプロセス感覚だと思います。そういう姿勢を育て、引き出す力があるのは、絵本がアートになっているゆえんでしょう。

何かをよく味わい尽くすとき、ある種の方法や手順が重視されるということがあります。例えばプロ棋士は将棋の勝負が終わると、感想戦というのをします。初手から巻き戻して、戦局の節目で「どっちが良かったのか」を指し直してみるのです。実践では頭の中で数十手先までシミュレーションした上で、最善手を選んでいくのですが、それが本当にそうだったのか、もう一度盤上で再現してみます。

絵本も何度も何度も読んでいる時、子どもにとって初読と再読と再々読と・・そのたびに深まっていったり、別の観点に着目していたり、新たな発見があったりしていて、概ねその多面的な探索を経て味わい尽くしたら、いったん「おしまい」になるのかもしれません。そして数年経って、同じ絵本を見てみると、きっとまた新しい発見があるものなのです。

ただ、この時期の子どもたちの最大の特徴は、ここで何度も繰り返してきたことになってしまいますが、棋士の感想戦と同じように、遊びとして再現すること、つまり模倣遊びやごっこ遊びとして繰り返されるということです。絵本を何度も読みたいということが、模倣遊びの衝動と同じだということです。ですから、ごっこ遊びもまた、「きちんと」「ちゃんと」再現されていくことが楽しいのでしょう。

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