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TEL

2020年 8月

8月21日 昼食

2020/08/21

麻婆丼

ほうれん草のナムル

春雨スープ

巨峰

麦茶

進め!子どもたち。

2020/08/20

子育ての長い旅の途中には、思いもよらない出来事があるものです。例えば、今日も遊んでいるときに、子どもが列を作って並んでいました。子どもたちは、早くそれをやりたいから、順番を競ってケンカになったり、涙さえ流します。またある時は、大人の目から見たら、とるに足らないような小さなことなのですが、当事者にしてみれば、絶対に譲れない大事なことなんだろうと想像できることがありました。

子どもたちのこの「切実さ」たるや、大人には決して「かなわないな」と思えます。その時は私は「もう勘弁してよ」と降参気味だったり、あるいは「ハア、どうして、そうなちゃうのかな」と諦めモードになったり。でも、こうやって今振り返ると「子どもって凄なあ」と本気で感心していまうことだらけです。私たち保育者も、個人差はありますが、そういう感情の揺れ動きを味わいながら、自分とも向き合って子どもと接していることになります。

ただ、どんな大人にも、こんな幼少の頃の時間があったに違いなく、みんな自分のことは、きれいさっぱり忘れてしまっているだけでしょう。自分の過去のことは棚に上げておいて、大人が生きている世界の価値観やら、待ってくれない刻まれていく生活の流れの中で、子どもの行動の結果を問題にしてしまいます。昔からきっとそんなことが繰り返されてきたのでしょうね。それにしても、子どもの切実な願いは、どうやったら理解できるのでしょうか。

ただ泣くばかりの子どもを相手にしている時は、なおさらでしょう。その状況の中に放り込まれたら、誰だって平常心ではいられません。今日も私は、そんな出来事の連続の中で、自己との対話を繰り返しています。というと、ちょっとかっこいいですが、要するに、今日も悩んだり困ったりしていました。しかし、それをなくそうとも思わないし、またそうあることが自然なことでもあるのです。

私はこう思うようにしています。子育ての大前提としての心構えは、こうです。

「子どもはまだ数年しか生きていない。だから、自己中心的だし、失敗もするし、他人のいうことなんか聞けない。それが当たり前なんだ。これを裏返せば、こんなに自分というものをしっかり持ち、伸び代がいっぱいあって、はっきりとやりたいことを自己主張できる。最高じゃないか!」

「もし、これが反対だったら、もっと困ることになる。まだ数年しか生きていないから、自分というものがなく、何事も興味がなくて挑戦もせず、相手のことばかり優先して自分を抑えていい子になっている。こうなったら大変だ!」

時代は止まってくれません。忙しいこの世界の中で、未来の可能性をどこに見出すことができるでしょう。それはやっぱり子どもたちなのでしょう。子どもたちのパワーがどこから来るのか。その「しるし」を表しているなあと思うのが奈良美智の描くベイビーです。8月15日に取り上げようと思っていた絵本ですが、これは大人向け絵本でもあるので、こんな文脈の日記での紹介となりました。進め!子どもたち。

8月20日 昼食

2020/08/20

ご飯

いため納豆

チンゲンサイのさっと煮

豚汁

みそきゅうり

オレンジ メロン

 

 

うんとこしょ、どっこいしょ

2020/08/19

今日は朝から大根3本、サツマイモ4本、ゴボウ2本を引き抜きました。とても大きく育っていて、なかなか抜けないので「うんとこしょ、どっこいしょ。それでも、ゴボウは抜けません」と、何回かやって、やっと抜けるのでした。抜けた野菜はその場で洗って、生のまま「むしゃむしゃ、美味しいなあ」といって、いただきました。根菜は洗われるときも、食べられる時も、ケラケラ、ぎゃあぎゃ笑って幸せそうでした。

朝9時ごろから3階で運動遊びをしていると、いつの間にか子どもたちは野菜になっていて、私に「引っ張って」(抜いて)というのです。うつ伏せになって、床のマットの端を両手でしっかり握って、私が両足を持って引っ張るという「野菜抜き遊び」なのですが、抜かれるもんか!と必死でしがみついているので、最初はなかなか抜けないフリをしてあげるのですが、徐々に力を入れて「うんとこしょ」とやると、スコーンと抜ける時、子どもたちは、それが嬉しいのです。もう一回!といって、またうつ伏せに寝転がります。

「うんとこしょ、どっこいしょ」

何気なく、調子のいいリズムで、それでもかぶは抜けません。とやっているのですが、もちろん、そうさせているのは1962年発行の『おおきなかぶ』があったからです。私たち保育者と子どもたちは、知らず知らずのうちに、日本ならではのこの児童文化に浸っているという事実に気づきます。さらにトルストイのおかげかもしれませんが。

このロシア民話を訳したのは、1928年東京生まれの内田梨紗子さん。私が前いた保育園ができた年の1997年に亡くなられていたことを後で知ります。早稲田大学露文科を卒業しているので、さすがロシア・東欧の児童文学にすこぶる詳しい方で、東欧の昔話や民話を日本に多数く翻訳して紹介してくださいました。ロシア語では、なんと発音するのか分かりませんが、よくぞ「うんとこしょ、どっこいしょ、それでも〜」と訳されたものです。この『おおきなかぶ』をはじめ『てぶくろ』や『ちいさなヒッポ』そして『しずくのぼうけん』も、内田さんです。

さて「うんとこしょ」が終わると、子どもたちは今度は野菜から動物になっていました。というより、私がエンチョウライオンにさせられていたのですが、ライオンは高いところに登れないから、小猿たちが枝振りのいい大きな木(ネットやクライミングウォール)に登って「ここなら捕まらないよ〜」とか「ここまでおいで!」などと囃立てるのです。私はライオンだったりワニだったりして、見守る保育どころか、まだ遊びの相手をしているのですが、どうやったら子どもたち同士で遊びへと発展していくのか、その見通しを想像すると楽しくなります。

そうなるには、子ども同士が再現したいと思う「物語」を共有することが必要なのです。子どもたちが再現したがるお話が、まあテレビのアニメやレンジャーものであってもいいのですが、そこには繰り返し味わえる心情やリズムが乏しい。呼吸を合わせて、ハラハラドキドキできるような物語、例えば北欧民話『三びきのやぎのがらがらどん』(1959年)のような世界を楽しみたい。私がトロルをやらされている時、きっと子ども同士での遊びが作られていくことでしょう。

「がらがらどん」は、これを手掛けたのは日本の児童文学の大御所である瀬田貞二。あのトールキンの指輪物語を訳した人です。「こどものとも」でも、ダントツに多いのですが、福音館書店の絵本をホームページでざっと拾い上げてみると、「あふりかのたいこ」「かさじぞう」「 ねずみじょうど」「三びきのこぶた」「ふるやのもり」「おんちょろちょろ」「お父さんのラッパばなし」「きょうはなんのひ?」など、よく知られるものばかりですね。岩波書店の「わらしべ長者」も瀬田貞二の再話です。

子ども同士の遊びの中でも、年中、年長ぐらいになると、登場人物を演じ合う<物語遊び>を楽しめるようになっていくのですが、そのためにも絵本による物語が大きな力を持っていることになります。内容が楽しく、それを再現したいという衝動をもたらすアート性、つまりごっこ遊びが表象になるということですが、これは「こどものとも」が発刊される頃にはびこっていた「童心主義」の絵本では、できなかった遊びなのです。

童心主義とは子どもの感性を絶対視して子どもの世界を理想化するような傾向のある、一種、センチメンタルな物語です。これらの絵本は教育臭くて子どもが再現したいという衝動になりにくいのでした。

8月19日 昼食

2020/08/19

ひやしたぬきうどん

カレイのパン粉焼き

じゃがいもの煮物

巨峰 メロン

麦茶

水遊び

2020/08/19

お盆が明けての水遊び。子ども達は夏を満喫中です!!

幼少期の実体験が心を豊かに

2020/08/18

今日も一冊の絵本を4歳の男の子とよんだ。いわむらかずおの「ねずみのかいすいよく」。いま大きめの書店にいくと「夏の絵本特集」をやっていて、1986年に発行されたこの絵本も並んでいるから、かなりのロングセラーだろう。いわむらかずおといえば、「14ひき」の方を思い浮かべるはずですが、ねずみの7つ子シリーズの方も、あの自然と家族をあったかく描いていて、同じ世界が展開されています。

彼の絵本は、見開きの絵を、じっくりと味わえるのが楽しい。1匹ずつのやっていることを、確かめながら、次の展開をワクワクしながら進んでいく。先にお話があって、それに理解を促すために挿絵が付いているようなものとは次元が違うんです。絵のクオリティがすごい。一枚一枚の絵とその世界が深い。本人も雑木林に住み、農作業をしたり、丹念に取材して生き物を深く理解していないと描けない世界だから、ずっと大切にしておきたいと思える絵本ですね。

ところで、彼の描くどうぶつは、みんな純粋でいい人(動物)ばかりで、野ネズミたちが、自然界の厳しい現実や生活の知恵に目を見張る姿に、こちらまで共感してしまって、大人も心を動かされるのですよね。それにしても、このねずみたちが驚いたり、心配したり、ほっとしたりしている気持ちを、7ひきにしても14ひきにしても個性的に描ききる表現力はすごいですね。点で描いた目があんなに豊かな表情を描き出すというのは、見事です。

1939年生まれの本名、岩村和朗が、どうやって絵本作家になっいったのか、そこで何を大切にしてきたのか、どうして美術館の活動をしているのか、そうした経緯を辿っていくと、ちょっと話は長くなるのでやめますが、ただ保育と絵本の関係を考えるとき、彼が大切にしている1つの信念を紹介しておきましょう。実に平凡な結論なのですが「自然の体験が心を豊かにするもとになる」ということです。

「絵本だけではなく、自然の実体験をたくさんもつことは、心を豊かにするもとなると思うんです。音楽を聞いたり、絵本や小説を読んだときでも、そこに描かれたことが心を揺さぶるのは、そういう自然の体験がもとになっていると思うんです。ふーっと風に吹かれた時の感覚が、ある表現と接した時によみがえるような、何かそういう体験をたくさん持っているといいんじゃないかなあ」(「別冊太陽〜絵本の作家たちⅢ」2005年)

 

 

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