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2020年 8月

能は飛び出す絵本だった?!

2020/08/31

能や狂言は、大人の絵本だと思って見てごらん、と学生に語ったことがあります。物語の内容にそれほどの差異はなく、舞台芸術か紙媒体かという違いはあっても、能は飛び出す絵本のようなものだよ、そう思って見たら、とても面白いよ、と。

能の物語の中で、この世のものではない幻想性を背負って登場するのがシテであり、その物語を可視化してくれるものがワキの役割ですから、絵本はその製本と編集の中にワキと同じ役割があるのかもしれません。

そんなことを考えてしまったきっかけは、物語の中に潜む「日本らしさ」を調べていた時です。子どもに読んであげたい絵本を紹介しているものの中に、必ずといっていいほど登場する「さんびきのやぎのがらがらどん」と、柳田国男が日本のオリジナルな物語だと思い込んでしまった「大工と鬼六」が、実はどちらも同じ北欧の伝説に起源を持ちます。

論文「大工と鬼六」

子どもたちがお話の中に引き込まれていくのは、「次はどうなるんだろう」というワクワク感、ドキドキ感があるのが大きいのですが、大人になると「子ども騙し」では本気になれないので、大義や正義や手の込んだミステリーや圧倒的な力の張り合いなどを必要とします。

横浜で今、展覧会が開かれていますが、私はバンクシーの絵が、良質な絵本の物語のあり方に最も近いものを感じます。「あ、絵本を紙じゃなくてストリートにしたのか!と」。ちゃんと時間が止まっていて、絵を(言葉じゃなくて)読むことができて、その気づきまでの間が楽しい。

きっと印象派が登場した時のセンセーショナルな新鮮さは、こんな感じで当時のタブーに触れていたのかもしれないとさえ、感じます。そして、この新鮮さに似た面白さを子どもたちは絵本の昔話に感じてほしい。子どもは本来的に、そんな風刺的センスをもっていて、それを楽しんでいるなと感じるからでもあります。また、狂言のようなおかしみのセンスも持ち合わせています。そんな言葉と表現の感性をくすぐるような、絵本との出会いの時間があったらステキだなと、最近考え始めています。

胸がすくような経験を

2020/08/30

能にして能にあらず。そういうと「翁」だとお分かりでしょうが、新しい総理・総裁の誕生をこうして予め迎え祝っているように、個人的にみなして見ました。いや、もちろん偶然ですが、NHKの「古典芸能への招待」での、2017年公演の再放送です。日本の伝統的な精神風土の気脈を辿っていくと、このような神や翁や童が「舞う」ことになるので面白いですね。コロナで困っているこの世界を切り開いていただきたいものです。

ところで、日本の政治や経済や文化で起きている事柄は、ほとんどがメディアの一方的な加工品になっているように感じます。そうした受け止め方に、私たちの方が慣れてしまっているので、たまには伝統的な芸の中に息づくものから、感じ直す時間を創り出した方が精神衛生上もいいのでしょう。そうしないと、メディアが報じているニュースや解説だけを聞き流していると、まるで自分が洗脳されてしまっているような濁りを感じてしまうからです。たまには伝統の中にあって、胸のすくような経験が必要かもしれないと思いました。

さて、話は水についてです。屋上のプールで昨日29日(土)には10家庭の方に遊んでもらいました。乳幼児が水と接するというのは、意外とぎこちないものかもしれないと感じました。その理由は、水は可塑性が高すぎて、どこを握ったり、座ったり、押したりしていいのかわかりません。椅子だったら、教えなくても座ったり登ったりしようとします。ドアのノブなら握ろうとします。でも水はそれがわからない(水が持つアフォーダンスがわかりにくいのです)。

来週のプール遊びでは、小さい子どもの場合は、ぜひ親御さんも一緒に入れるようにしたほうが、子どもたちも自然に水の中で親子で心を通わせる体験がしやそうです。小さいうちは、プールで「泳ぐ」ということではないので、一緒に浸かって気持ちよく寛ぐというイメージでお過ごしください。

大人がやることを子どもが模倣できないという事情があります。大人が一緒に水に入っていると、子どもは大人のすることを真似しておけばいいので、安心します。子どもだけだと、大小のプールに貯められている水に向かって自分の体をどう「もっていく」といいのか、戸惑ってしまうものなのです。日頃から保育園の活動としての水遊びやっている幼児は、四つん這いになったり、水をかけあったり、潜ろうとしたりして水との関わり方の「型」を心得ている節があります。飛び込むことは禁止ですが、でもそうしようとしたくなる子もいます。それはそれでわかりやすい衝動の引き出され方でもあります。

しかし小さい子どもにとっては、水が手足を濡らし、体全体を濡らし、そして自分の顔や頭が濡れていくことを受け入れいてく時、大きなバードルとなるのはどうしても「目」です。はしゃいで水をかけあったりしている間に、知らず知らずのうちに、顔に水がかかっても平気になっていくものです。そうして水と目の関係が仲良くなる術を覚えると、水がグッと身近なものになります。別に、あえてそこまで踏み込む必要もなく、ただ足が濡れたり、水をチャプチャプしたりして、感触を楽しむだけでも十分です。

 

 

いい絵本やお話が想像力を豊かに

2020/08/29

私たちは、この子どもの想像力が作り出している物語に気づくことができるといいのですが、そばにいてもそれがわからないことが多いものです。そばにいる子どものことでさえ、紡ぎ出している「物語」の内容を知ることが難しかったりするのですが、さらに知ることが難しいかもしれないのは、私たち自身が、知らない間に、大きな物語の中の「役者」になっていることです。

◆ライフサイクルの物語

たとえばーー。自分や家族のために努力して生きてきた人たちが、我が子の子育てを終えて、自分の仕事もリタイアしたとき、次世代を担う後継者の育成に力を入れたり、あるいは孫や他人の子どもの教育に「人生最後の情熱」を傾けようとする姿に出会います。

この世代間のバトンタッチもまた、人間だけが見せる「文化」の一つかもしれません。しかも世代から世代へと後戻りしない前進です。それまでの功績や遺産を後世に受け渡していくので「文化の累進的進化」といわれています。

紐を締める工具に「ラチェット」というのがあります。カチャカチャとハンドルを回すと紐がピーンと締まるのですが、手を離しても歯車は戻りません。そこから、後戻りしない前進を「ラチェット効果」といいます。これが人類の文明の前進力になっています。

現役の時は同世代と熾烈な競争を演じるのに、その戦場から退くと、次世代には今の世代を乗り越えていってほしいと願うようになるのは、面白いですね。

ところで、競い合いの舞台から降りて初めて、自分を客席から眺めてみて気づくことがあるのです。「あのガムシャに勉強し、競い合わざるを得なかった市場原理とは、いったい何だったんだろう?」と、今になって冷静さを取り戻すわけです。ただ、もっと早く、その市場から撤退して生きている人も増えている気がします。私たちは経済成長という物語から逃れられる方法を発明しなければなりません。

◆いい絵本やお話が子どもの想像力を豊かにする

文字がまだない時代。旧石器時代から伝わる口承文化には、人生とはなんたるものか、ということを物語で語り明かしてくれます。人生の大先輩が子どもに語り聞かせておきたいと願ったものが、綿々と受け継がれてきたもの。それが昔話でした。人生の最後の情熱が昔話を語ることだったと考えると、その内容に目を凝らしたくなります。

そうだったからこそ、言葉を聞いて意味が分かり始めるころ、昔話を聞かせてもらうことは、再現衝動の中で生きる子どもにとって、紡ぎ出す遊びも豊かにしていたはずです。絵本を読んであげたい理由はこの辺にもあります。

昨日、2歳の子どもたちが取り合ったウサギの話をしましたが、それに投影された子どものイメージがあるはずで、そのイメージは、良質な物語に接することで、また違ったストーリーになっていくのでしょう。子どもたちのウサギが必要になった物語を想像しながら、どんなお話で彼らが生きる世界を用意してあげたらいいのか。それを考えることも「環境を通した保育」に違いないのです。彼らにふさわしい昔話というものがあるかもしれません。

物語の中で「気」が躍動する

2020/08/28

園だより9月号「巻頭言」の続きです。

このところ、絵本や昔話に関する話を語ってきましたが、次のような物語に、似ているものを見つけました。2歳の子ども同士の「人形の取り合い」を生じさせる物語と、ライフサイクルの最終段階になって気づく人生の物語です。

◆2歳の子どもの物語

25日(火)のことでした。午後2時過ぎから30分ほど、午睡中の2歳児クラス「にこにこ組」で担任とミーティングをしていました。そのとき、子ども2人が、私たちのそばで、パズルをして遊んでいました。傍らで見ていると、仲良く遊んでいた2人ですが、突然、お気に入りのウサギの人形を独り占めしたくて、取り合いになります。

なぜ、ついさっきまでは誰も気にとめてもいないその人形が、突然、2人にとっては、一歩も譲れない「わたしのもの」になるのでしょうか。

それは一重に「想像力」の力なんだと思えます。

想像力とは、目に見えないものを思い浮かべることができる力のことですが、そのウサギの人形が、それまでの人形ではなくなり、それぞれの子どもにとって、何か特別な、魅力的な、といってもいい、それじゃなくちゃダメな、何かに変貌したのです。その「何か」は、それぞれの子どもの想像力によって生まれたものです。

◆「気」が変幻自在に物語を動き回る

これを興味や関心が「向いた」という言葉で語りたく「ない」のは、自我と対象を律儀に遠ざけてしまうような言葉遣いに感じるからです。そこで日本語は、「気」という言葉を上手に使い分けます。2人はウサギが「気に入った」のだと説明します。この「気」は子どもからウサギに入ったのか、それともウサギから子どもへ入ったのか、どっちなんでしょうか?

子どもと物との関係を「気」で表す日本語。このテーマに深入りするのは避けますが、ここでは、その気にさせたものはなんだったでしょう? 私はそれは「物語」だと考えています。ウサギが二人に想起させたもの、それは二人が何かをストーリーの中を生きている時に、そのウサギと出逢ってしまったのでしょう。

こんなことができるのは、人間だけなのですが、そばで見ていて、それは一瞬で終わってしまったショートストーリーでした。そして、2人がどんな「物語」の中を生きていたのかわかりませんが、それぞれの遊び始めたストーリーの中で、どうしてもそのウサギには登場してもらわないとならない主役に変わったのです。だから「取り合いになった」のでしょう。

8月28日 昼食

2020/08/28

パン

ミートローフ

ツナサラダ

やさいのスープ

すいか

麦茶

自分の顔、見つけたよ

2020/08/27

少し早めにお昼寝から目覚めたゆいとくん、お部屋でゆったりした時間です。
お友だちの顔の載った本を眺めながら、自分の顔を見つけると、ツンツンと指さしていました。

「はやみずゆいとくん」と呼ぶと、「あーい」と手を挙げて返事をしてくれました♪

入園した頃から、気になったものを見つけては指差して教えてくれていたゆいとくんでしたが、こうしてやりとりをして応えてくれるようになった姿に成長を感じています。

人は物語の中で生きている

2020/08/27

園だより 9月号 巻頭言より

子どもが物語の中で生きるようになるのはいつ頃からなのでしょう。

この数カ月間、子どもがどのように言葉を獲得していくのか、そのプロセスをいろいろ調べてみて分かったことは「多くの謎はまだ解明されていない」ということです。人間はなぜ言葉を操れるのか? どうやって言葉を使いこなすようになったのか? このことは、まだ分からないことがたくさんあるということがよくわかりました。私たちは、子どもが話せるようになることなんて、当たり前のことだと思っていますが、「どうして」とか「どのように」を解明しようとすると、今なお謎だらけなのです。

その上で、さらに当たり前のように見えて、子どもたちが「絵本」や「お話」に目を輝かせて見入る、聞き入る姿を見ていると、「物語」というものが持っている力の凄さを感じます。子どもたちが、こんなに物語の世界に没頭できるのは、どうしてなのだろうか、と。言葉の獲得と同時に「ものがたる」ということができるようになって、さらに絵本などのお話の世界が面白くてしょうがないといった子どもの姿に接していると「物語のある生活」というものが、保育の大きなテーマとして浮上してくるのです。

ところで、人生という言葉は、すでにそれが物語であると宣言しているように聞こえませんか。人生は旅であり、生きること自体が物語です。人はそれぞれ、どんな物語を生きるのでしょうか。その長い人生航路の船出が幼少期だとしたら、彼らはこれから青年になり、大人になり、大海原で荒波に遭遇し、幾多の試練やドラマの果てに、年老いてまた港に戻ってくるのでしょうか。保育園の子どもたちは、まだ港に泊まっている状態でしょう。出航を夢見るようになるまで、先人の経験談をたくさん聞いたり見たりして、憧れている時期なのかもしれません。こんなに物語を好むのは、これから起きる出来事を先取りして楽しんでいるかのようです。

児童文学者によると、昔話もそうですが、児童文学の物語には2つの基本形があります。1つは主人公が出発して帰ってくる「出発・帰還型」(たとえば「うらしまたろう」や「スターウォーズ」)と、もう1つは見知らぬものがやって来て、しばらく滞在して最後に消えていく「来訪・退去型」(たとえば「かぐやひめ」や「未知との遭遇」)です。大抵の物語はこの2パターンを踏襲しています。このパターンは人生そのものです。私たちは生まれ、冒険し、成長して帰ってくる(行く)のです。どこから、どこへ?それだけは永遠に謎のままです。もしかすると、物語はその謎の答えを、例示してくれているようにも見えます。いろいろな絵本があるように見えて、実は人生の縮図が物語なのかもしれません。

そうだとしたら、冒頭の問いは、質問の仕方を間違っていました。私たちは生まれる前から物語の中を生きており、始まりと思えた地点は、実は別の物語の終わりだったのかもしれません。ネバーエンディングストリーはファンタジーではなく、ノンフィクションなのかもしれませんよ。

園だより 9月号 発行

2020/08/27

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