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アート(保育アーカイブ)

日本人の心理的な総括を経ていない終戦

2019/08/13

保育士は子どもと毎日心を通わせます。今日はこんな気持ちのやり取りをしたなぁ、と実感します。それがないと保育ではなくなります。そして「あ、あの時、こうした方が良かったかもしれないなぁ、ああするべきだったかなぁ」と毎日、振り返って反省します。
◆犠牲から学んだ人類の知恵
今日はベランダで収穫したゴーヤが熟れすぎて、食べるのを諦めたのですが、見た目だけなら、色鮮やかだったので「先生、食べてみようかな」というと、HSくんに「食べちゃいけないんだよ」と注意されました。担任の先生たちの判断で「今日はこれは食べない」と決まったあとの私の呟きだったので、子どもたちにとって私は「決まったことを守らない人」になっていたのでしょう。子どもは「食べる、食べないのルール」を厳しく守ろうとします。そしてルール違反者には厳しく接します。これはきっと、遺伝的なものがそうさせているのかな?とさえ思います。ホモ・サピエンスは自らの生存のために、先祖の犠牲の上に、毒を「食べない/食べさせない知恵」と「伝達力」を発達させて来たに違いないからです。苦いものには要注意、と。
◆動機がすべての判断基準に
ところが、味覚と違って「心」については、まだまだ学習が足りないようです。例えば、心が動かされることが、無条件にいいこととは限りません。感動を与えるものなら何でもいいとは限らないのです。そんな当たり前のことなのに、意外と騙されてしまうのが「世論」というものなのでしょう。これはほんとに、怖いです。全体のためなら例外的に個が犠牲にされることを受け入れてしまいます。『天気の子』では「人柱」という犠牲を、『アルキメデスの大戦』では「戦艦ヤマト」という犠牲を、世論は求めるのです。犠牲の美学が「理」さえも飲み込んでしまう恐ろしさ。「動機よければすべてよし」になっていまう怖さ。
◆長崎出身の私が夏に毎年思うこと
毎年この時期になると日本が真珠湾攻撃して長崎に2発目の原爆が落ちるまでのことを考えます。俳優で歌手の菅田将暉が映画『アルキメデスの大戦』で「数字は騙されない、数字こそ真実を語る」と叫びながらも、昔舞踏家で今俳優の田中泯に「それは表面的な真実に過ぎぬ。現実はもっと深い真実で動く」と静かに反論されます。理と情の戦いで、日本は情に負けたのでしょう。情は空気と言っても構いません。戦後の心理学的な総括が終わっていない終戦記念日は明後日です。

「天気の子」をめぐる10代の心情

2019/08/12

ニュースで台風10号の進路を気にしながら、園の防災計画を確認しました。「豪雨や強風で送迎が危険と予想できるときは行政と連携して、送迎時刻の変更などの措置をとる」。今週水曜、木曜あたりは要注意ですね。天気になってほしいですね。
◆子どもにとっての切実さ
台風10号とは関係ないのですが、ちょうどテレビに映画『天気の子』の新海誠監督が出ていました。ぼんやりと、テレビを見ながら朝ごはんを食べていたら、語っている内容の重さにもかかわらず、平易に語るので、ちゃんと見てしまいました。
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「大人の目からみたら些細なことも、10代の子どもにとっては切実だった」
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・・・みたいなことを言っています。テレビのボリュームを上げます。そう言えば、昨日の同窓会でも20歳になったSY君が同じようなことを言っていました。大人は子どもに「正しいことと大事なこと」ばかりさせようとして、子どもにとっての「日常のリアル」を想像できなくなっているのが、私も含めて大人であると。
◆新海誠自身の体験からの視線
団塊ジュニア世代の新海世代が15歳だったころ「いちご世代」と呼ばれていて、私は彼らの文化を追ったルポルタージュを手掛けたことがあります。この世代は雑誌『ムー』創刊時の読者層でもあり、当時、他の世代と比べて神秘現象に高い関心を示していたことを思い出しました。彼は今9歳の子ども(子役の新津ちせ)がいるお父さん。彼が手掛ける表現の新しさが話題になっているので、観てきました。
◆10代に共感を呼ぶところ
映画の主題歌を歌うロックバンドのRADWIMPS(ラッドウィンプス)の歌詞もまた10代に届いています。
再生回数1700万回を超える主題歌「愛にできることはまだあるかい」にでてくる「荒野」という言葉に注目したい。
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「愛の歌も歌われ尽くした/
数多の映画で語られ尽くした/
そんな荒野に生まれ落ちた僕、君」
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と「失われた世代」でもある彼らの閉塞感を漂わせる心情。
「それでも/愛にできることはまだあるよ/僕にできることはまだあるよ」
と歌う。映画もここでグッときました。
◆10代が大河ドラマを見ない理由
「やり尽くされたあとで、まだやることがあるだろうか?」まだやったことのない時代なら、目指す目標は見つけやすかっただろう。大河ドラマが描く東京オリンピックも、朝ドラが描く北海道十勝の酪農やアニメも、その時代なら、まだ誰も踏み入れたことのない未知の大地が広がっていた。しかし現代は違う。何をやっても、きっと過去になされてしまっているだろうという「想像できる既視感」を感じる時代だからでしょうか。それでも「やれること」は愛であり、愛する者への祈りでした。新しく感じるのは自然現象のパワーと一体化している美しさです。
◆細部に潜む自然の美の描き方
長野育ちの新海監督は少年時代に朝暗いうちから凍った湖面でスケートをしていたそうで、日が昇ってくると、山の端から陽が差してきて、真っ暗で青かった湖面がだんだんと縁の方から銀色に輝き始めるのをみるのが好きだったらしい。この監督の映像が美しいのは、そんな感性があるからなのでしょう。

シンカリオンを見てみる

2019/08/07

「子どもが興味や関心を持っているものは、大人も見たり体験してみよう」。私は保育士養成校で学生によくこう言っていました。「子どもがなぜ、それが好きなのか、どういう感じでそれを楽しんでいるのか、実際に感じてみよう!」と。
そこで今朝、シンカリオンを見てみました。一部の男子に人気のテレビ番組です。新幹線がロボットに変形して大怪獣と戦うのです。いまや日本アニメの代表として世界的に有名な「マジンガーZ」と同じタイプの操縦ロボものです。「E5はやぶさ」「E6こまち」「E7かがやき」「E3つばさ」「N700Aのぞみ」など、実際の新幹線の名前がついたロボットを、小学4年生から中学1年生の男女が操縦します。
今朝は「ブラックシンカリオン」が味方のピンチを救うストーリーでした。「ブラック新幹線なんて実際にはないけど・・・?」と思って番組サイトを検索したら、「10年前突如現われた正体不明の謎の新幹線」でした。うまくできてる!
ブラックシンカリオンが、大きな怪獣を押さえている間に、他のシンカリオンがでかい手裏剣のようなものを振り回してやっつけた!と思ったら、「さっきのは影武者だ」とかなんとか言って、また戦うことを約束して次回に続く・・。また次を見たくなるようなところで終るあたり、まぁ、そこも昔と同じでした。
◆男子が好きなツボを押さえた作り
男子が好きな要素を上手に取り込んでいます。変身、鉄道、怪獣、収集、小学生、忍者、戦い。本当の新幹線の系統番号などと同じで、走っている場所の都道府県が出身地になっていたり、女子のキャラクターも配置していたり、あまり過激な表現もないなど、親を敵に回さないための配慮が明瞭です。スポンサーはプラレールやトミカの(株)タカラトミーです。
◆テレビは表層イメージを共有しやすいのが強み
ごっこ遊びは「再現遊び」なのですが、登場するキャラクターを共有していれば、その名前を言うだけで相手にも伝わります。シンカリオンはそれぞれが得意技を持っていて、それを繰り出して戦うときに「フミキリシュリケン!」とか「ビームライフル!」とか、口癖の「ぶちおもしれえ」とか言って遊べるわけです。
運動ゾーンのネット遊びの中で飛び交っていた「言葉」の世界は、きっと、そんな感じだったのでしょう。テレビ映像を思い浮かべて少し想像できます。

◆子どもは手と足で感じて考える

昨日はこの「園長の日記」で、「週1回ぐらいのテレビの影響に負けたくない!」という趣旨を書きましたが、実はこの番組は毎日やっていました。火曜~金曜 の朝7:00~8:00に、2話ずつ放送しています。毎日見られるのです。これは、ちょっと「手強い相手」かもしれませんね。

でも大丈夫です。子どもは身体ぜんぶが感覚です。あくまでも例えですが「子どもは頭と手足で一緒に考える生き物」です。テレビは所詮テレビです。リアルに五感が揺さぶられるような遊びの魅力には、到底及ばないのです。

テレビ番組のシンカリオンよ、千代田せいがは「センス・オブ・ワンダー」な体験で、「しょーぶだぁ!」。

(カブトムシを幼虫の頃から育て、孵化するときも観察し、ジェリーの餌を与えて、飛ぼうとするとき羽を広げるところをみたり、カブトムシを持てるようになったり、こうやって、それを見せてくれたりしています。でも、先日、飼っている虫かごに、カブトムシは湿り気がある方がいいという話を勘違いして、ドボドボと水を入れてしまい、溺れて死んでいましました。そんな痛恨の失敗が起きるのも、実体験の詰まった生活です)

子どもの心が解放される意味

2019/08/04

子どもの心が解放されるときって、どんなときだろう? 今日はそんなことを考える1日でした。きっかけは「高畑勲展」に行ったからです。
◆心が躍動している時間
早々と脇道にそれますが、ここでいう「解放」は解き放すというときのカイホウです。「人質が解放されました」の方です。校庭開放の「開放」ではありません。自由になること。束縛や拘束から逃れ心や身体が自由になることの方です。
◆自由に解放された遊び
高いところへ登り、虫を触り、動物や植物の神秘に驚き、心を躍動させて思いっきり自由に遊んでいるとき、子どもの心は解放されています。保育園では、そんな時間があります。子どもの心が自由になる時間に、子どもの心は成長します。子どもの精神世界は、思い通りにやりたいことができる時に、広がっていきます。・・・・そんな思いを強くする展示と出会いました。
 
◆プレヴェールのことばから学んだこと
高畑勲がアニメーションの世界に進むきっかけとなったのが、アニメーション映画『やぶにらみの暴君』を観たからだそうで、展示会場で、その一部が上映されていました。その脚本がフランスの国民的詩人ジャック・プレヴェール(1900~1977)です。映画「天井桟敷の人々」の脚本も彼です。
そして驚いたのは、当時未訳のプレヴェールの詞華集(アンソロジー)の代表作 『ことばたち』(ぴあ2004年)を訳したのが、高畑勲だったのです。プレヴェールの詩は、大きな影響を与えているそうです。その本は絶版なので今、アマゾンで調べたら1万円以上するのですが、その本の中で高畑は、こう解説しているそうです。
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「プレヴェールは、早くから太陽や月や大地や海への敬愛や、草木や動物たちへの連帯と自由意思尊重を、子どもの心とユーモアで歌った」
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私の興味を引いたのは「子どもの心」で、どのように「太陽や月や大地や海への敬愛や、草木や動物たちへの連帯と自由意思尊重」を歌ったのだろうか?ということことです。
それがわかれば、私たち保育者も、子どもの心を捉えながら、子どもが心動かされている対象の「太陽や月や大地や海」つまり「自然」への敬愛や連帯そして自由意思尊重を捉えることができるはずだからです。
◆奈良美智の「子ども」
そして、わかったのです、「子どもの解放された心」の意味が。
まず、プレヴェールの詩『鳥への挨拶』(ぴあ2006年)を高畑が編・訳を手がけたとき、その詩に奈良美智の絵がついているのです。「子ども」はあの奈良美智の子どもです。自由の意味がはっきりしてきました。
さらに、私にとって「あぁ、そういうことか!」と、はっきりしてくるのは、高畑が手がけた作品「太陽の王子  ホルスの大冒険」「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」「セロ弾きのゴーシュ」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成たぬき合戦ぽんぽこ」に登場する子どもたちと、その子ども(=自然)が躍動するために必要な舞台こそ、高畑がこだわってきた部分であり、その装置にプレヴェールと同じ精神が息づいていることに気づいたのです。
◆ハイジは服を脱ぎ捨てて走る
展示でそれを象徴的に解説していたのは「アルプスの少女ハイジ」のオープニング・エピソードでした。「“解放される心”第一話アルムの山へ」で、ハイジが、ふうふういいながら急斜面を登りながら、重ね着をした服を一枚一枚脱ぎ捨てながら登り終わり、ペーターと屈託なく大笑いするシーン。こんなにわかりやすい「心の解放」があるだろうか、と誰もが共感するはずです。
◆8月になるといつも・・
高畑は2つの世界大戦をナチスから解放されるまでフランス人として生きたプレヴェールについて、こう書いています。
「まず何よりも自由と友愛の、そして徹底した反権威・反権力の詩人だった。彼はあらゆる支配や抑圧や差別に反対し、戦争や植民地支配を憎み、人間性の解放と自由を擁護して、抑圧された者たちへの友情と連帯を歌った」
平和しか知らない私たちには、想像しにくい心情かもしれません。そこにこだわって日本のアニメーションを世界に発信した高畑勲の遺作は「かぐや姫の物語」になりました。
(図録「日本のアニメーションに遺したもの  高畑勲展」より)
子どもの心が解放された生きやすい世の中かどうかが、私たちの目指す社会でありますように。

七夕飾り

2019/07/02

7月2日

(ちっち・ぐんぐん)

(にこにこ)

(わらす)
■七夕飾り
子どもたちの「うれしい」が一杯の楽しい生活でありますように。こんな願いを短冊に書きました。今度の7日、日曜日が七夕なので、1日から七夕飾りの準備を始めました。
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パン種とタマゴ姫

2019/07/01

6月30日

■好奇心旺盛な子どもはお出かけが好き

アウトドア派か、それともインドア派か。皆さんはどうですか。アウトドア派にとっては登山や海水浴、キャンプなどの季節が来ますね。私は積極的なアウトドア派ではありませんが、子育てには「アウトドア派」が向いているかも?と思うことがあります。どうも子どもがやりたがるとこは、外の方が多い気がするからです。生まれつき好奇心が旺盛な子どもは「お出かけ」が大好きですよね。
■パン種とタマゴ姫
昨日の日曜日は、私も「園児」と一緒に「お出かけ」しました。5月に出かけた三鷹の森ジブリ美術館ツアー第2回目でした。保護者のみなさんと出かけたバスツアーです。前回の映画は「くじらつり」でしたが、今回は「パン種とタマゴ姫」。この美術館でしか見られないジブリオリジナルの短編映画は現在10作品になりましたが、最初にみた「ちゅうずもう」以来、このアニメ・シリーズが大好きです。
■アニメーションとの新たな出会い
何がいいかというと、一枚一枚の綺麗な絵(それだけでも素晴らしい作品です)が「動き」「音が出る」とこんなにも「すごいことになる」というマジックのような不思議なアニメーションの面白さの原点を味わえるからです。
もともと美術館全体のコンセプトがそれなので、1階の展示でアニメーションの仕組みの不思議さを体験してから、映画アニメを観ると、その内容や物語の面白さもさることながら、「それを表現しようとして、そう描いて、そう動かすんだ!」というのが見えてきて、新たなアニメーションとの「出会い」が起きたのです。
■「あ、そうだったんだ」が面白い
その「気づき方」が、保育で子どもと接する時の「気づき方」になれたらいいなぁ、と思います。「◯◯ちゃん、すごいよね」って気づく発見。「あっ、そうだったんだ」っていう気づき。その面白さ。それが保育の面白さの原点じゃないかなぁ。そんな子どもとの新しい出会いがある毎日にしたいです。
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