MENU CLOSE
TEL

2020年 8月

幼少期の実体験が心を豊かに

2020/08/18

今日も一冊の絵本を4歳の男の子とよんだ。いわむらかずおの「ねずみのかいすいよく」。いま大きめの書店にいくと「夏の絵本特集」をやっていて、1986年に発行されたこの絵本も並んでいるから、かなりのロングセラーだろう。いわむらかずおといえば、「14ひき」の方を思い浮かべるはずですが、ねずみの7つ子シリーズの方も、あの自然と家族をあったかく描いていて、同じ世界が展開されています。

彼の絵本は、見開きの絵を、じっくりと味わえるのが楽しい。1匹ずつのやっていることを、確かめながら、次の展開をワクワクしながら進んでいく。先にお話があって、それに理解を促すために挿絵が付いているようなものとは次元が違うんです。絵のクオリティがすごい。一枚一枚の絵とその世界が深い。本人も雑木林に住み、農作業をしたり、丹念に取材して生き物を深く理解していないと描けない世界だから、ずっと大切にしておきたいと思える絵本ですね。

ところで、彼の描くどうぶつは、みんな純粋でいい人(動物)ばかりで、野ネズミたちが、自然界の厳しい現実や生活の知恵に目を見張る姿に、こちらまで共感してしまって、大人も心を動かされるのですよね。それにしても、このねずみたちが驚いたり、心配したり、ほっとしたりしている気持ちを、7ひきにしても14ひきにしても個性的に描ききる表現力はすごいですね。点で描いた目があんなに豊かな表情を描き出すというのは、見事です。

1939年生まれの本名、岩村和朗が、どうやって絵本作家になっいったのか、そこで何を大切にしてきたのか、どうして美術館の活動をしているのか、そうした経緯を辿っていくと、ちょっと話は長くなるのでやめますが、ただ保育と絵本の関係を考えるとき、彼が大切にしている1つの信念を紹介しておきましょう。実に平凡な結論なのですが「自然の体験が心を豊かにするもとになる」ということです。

「絵本だけではなく、自然の実体験をたくさんもつことは、心を豊かにするもとなると思うんです。音楽を聞いたり、絵本や小説を読んだときでも、そこに描かれたことが心を揺さぶるのは、そういう自然の体験がもとになっていると思うんです。ふーっと風に吹かれた時の感覚が、ある表現と接した時によみがえるような、何かそういう体験をたくさん持っているといいんじゃないかなあ」(「別冊太陽〜絵本の作家たちⅢ」2005年)

 

 

どうぶつたちのいるところ

2020/08/17

もう少し絵本の話を続けましょう。絵本には洋の東西を問わず決まって動物が出てきます。改めて考えてみると不思議なことですが、動物の出てこない絵本の方が珍しい。子どもは人間だと生々しくて想像の翼を広げにくいいのでしょう。動物だったら、どんなことだってできそうだし、突然、現れたり、いなくなったりしてもおかしくありません。ワニの尻尾にキャンディーを結びつけたり、ノネズミが大きな卵焼きを焼いたり、お風呂の中から動物たちがたくさん出てきて鬼ごっこを始めても、ちっともおかしくありません。どうも子どもというのは、もともとそんな世界の中に住んでいたのに、まちがえて人間の子どもの格好をしているんじゃないかしらん、と思えるほどです。

これは絵本を読んでいる時に限りません。今日17日も朝、緑の島から緑の島へ、ターザンロープにぶら下がって飛び移るという遊びを始めたので、私が「ここはジャングルだよ。青いマットはアマゾン川だから、落ちたらエンチョウワニが食べちゃうからね」と、大きな口を開けて、ガブっ〜とやっていたら、クライミングやらネットやらトランポリンやら、バイク乗りごっこやらをやっていた子どもたちが、あっという間に、列を作ってしまったのでした。いま思うに、これは「ごっこ力」のなせる技であり、地球のような「引力」じゃなくて、その代わりに「想像力」が働く「子ども星」に住む彼らは、動物たちと自然に心を通わせることができるのでしょう。きっと、そうに違いありません。ガブ〜。

 

「生きている絵本」を子どもに

2020/08/16

絵本の歴史を遡っていくと、明治30年代中頃に成立したと考えられる「口演童話」にまで遡ります。その代表は児童文学者の巌谷小波(いわや・さざなみ)ですが、現代に伝わる日本民話を「童話」として再生させたました。

それが私たちが絵本で知っている「桃太郎」や「浦島太郎」です。江戸時代まで語り継がれていた伝説や民話はその地方の方言ですから、その語りを標準語化したものが、明治期になって盛んに「再話」されたことになります。

その具体的な本が私の手元にあります。ずいぶん前に古本屋で手に入れた平凡社の東洋文庫シリーズ220「日本お伽集」(昭和47年初版)があるのですが、これは培風館が大正13年に発行した「標準お伽文庫」全6巻の復刻版です。巻末の解説で、瀬田貞ニが、この文庫が正式に省みられず、なんら言及されないで放置されていたことがおかしいと書いています。それだけ、「子ども向け」はまだ、社会全体が重要視していなかったのかもしれません。

日本の創作児童文学の歴史が始まります。小川未明、浜田広介、坪田譲治、酒井朝彦らの作品です。ただ、これらはあまり読み継がれていないのは、どうしてでしょうか。上笙一郎と山崎朋子の「日本の幼稚園」(1964年理論社)はこのように書いています。

「日本の創作児童文学のほうをながめると、こちらは、どちらかというと子どもから背を向けられることが多かったーーーと言わなくてはなりません。発展してくるあいだに、芸術的には高度になったけれども、それと引きかえに、おもしろさをなくしてしまい、ために、読者たる子どもたちにそむかれてしまったのです。」

まだ誰も子どもの保育をしたことがない文学作家による高尚な文芸作品になっていったのかもしれません。

その一方で、古来から語り継がれてきた民話や伝説は、子ども向けの「お伽話」になっていく過程で、富国強兵と和魂洋才によって歪んでしまいます。時代は当時の幼稚園にも影響を与えています。

この「日本の幼稚園」という本には、口演童話家が創設した2つの幼稚園が紹介されているのですが、いずれも、桃太郎主義の保育(体育主義の訓練や鍛錬が「桃太郎は泣きません」という精神主義、団体主義に陥っている保育)になっていたと書いています。

そしてその記述は、最後にこう続きます。

「第二次世界大戦ののち二十年近くたった昨今(1964年)になって、日本の児童文学の世界には、いるい・とみこの「長い長いペンギンの話」や「北極のムーシカ・ミーシカ」、それに中川李枝子の「いやいいやえん」など、すぐれた幼年童話が誕生しました。・・これらの作品は、小波以来、分裂してしまってまじわることのなかった<芸術性>と<おもしろさ>との統一の端緒を、ようやくつかんだものということができます。・・・日本の創作児童文学の<子ども忘れ>を乗り越える幼年童話が、幼稚園や保育所に深いつながりを持つ作家によって書かれはじめたのは、決して偶然なことではなかったのです」

それでは、中川李枝子さん本人は、どんな絵本を目指していたのでしょうか。彼女が実際にいいと思った絵本101冊のリストとコメントの載った本があります。「絵本と私」(福音館書店、1996年)です。「てぶくろ」に始まって「あおい目のねこ」まで。保育で実際に読んだ時の反応なども書いてあって、私たち保育者には必携書です。この101冊も「ちよだせいが文庫」に揃える予定です。

最後に夫で画家の中川宗弥さんが、絵本の条件をこう書いています。

「絵本の表現でも文章の表現でも、そこにあるものが生きているようにかかれてるのではなく、生きていなければならないのです。つくりこごとであったら、子どもは絵本の世界のなかで喜んだり、恐れたり、悲しんだり、楽しんだりすることができません。それから、きたならしく、みにくく、まずしく、あわれな、そういう絵本のなかに子どもを連れこんではならないと思います」

ちょっとわかりづらい話になってしまいましたが、現在の絵本は、子どもにとって面白く、楽しいものになっているのは間違いありません。おとぎ話ぐらいしかなかった時代に比べれば、いかに恵まれていることか。

ただ返って、多すぎる絵本の中から、子どもたちは何を読んだらいいのか、子どもたちに何を手渡したらいいのか、その選択に悩む時代になったと言うことです。福音館書店のサイトには絵本の選び方が載っています。

https://www.fukuinkan.co.jp/pdf/ataekata.pdf

絵本はその世界に一緒にいるだけ

2020/08/15

今週は子どもと一緒に絵本を楽しんだ時間が多かった気がします。「これよんで」と持ってくるので、「どれどれ」と読み始めるだけ。お気に入りの絵本を私とわかり合いたいという気持ちでいるので、要するに絵本で一緒に遊ぼう、と誘われているのです。

その時はぐんぐんの子でした。読んであげていたら、お話の内容は知っているからなのか、私がまだ読み終わらないうちに、どんどん、次のページをめくりたがります。そしてお目当ての絵が出たら、指差して「これ」(ね!という気持ちなんですが)というので、私も「(そうだ)ね!」と、応えてあげます。

子どもの「お気に入り」は、絵本のお話の展開とは関係のないことが多くて、よんでいると「こっちはライオンいないんだよ」と教えてくれます。ピンク色のウサギが3羽出てくる絵本では、指を器用に広げて、三箇所を同時に指します。手が小さいので、やっとのことで指先が届くのですが、それをしないと気が済まないようです。

「こどものとも」創刊の編集者である福音館書店の松居直さんが雑誌「東京人」(2001年NO168)で、あの「おふろだいすき」の松岡享子さんと対談していて、絵と文のバランスについて語っています。絵本に向いている文とそうでない文があるというのです。

「原稿を読み終わったときに、私の中に絵本ができていたんです。あっ、絵本なる! 子どもが喜ぶと実感して、大村百合子さんのところに、絵を描いてくださいって、飛んで行きました」。どの絵本だと思いますか。最初は「たまご」という題だったそうです。そう、あの「ぐりとぐら」です。

1963年に出版されたこの大ロングセラー絵本「ぐりとぐら」は、日本では親子2代、あるいは3代に渡って親しまれているかもしれません。作者の中川李枝子さんは保母さんだったので、その前年のデビュー作「いやいやえん」は保育園で働きながら書いたそうで、同名の絵本には「ちゅーりっぷほいくえん」「くまのこぐちゃん」など7篇が収録されています。

挿絵はずっとペアで作り上げてきている、実の妹の大村百合子さん(のち結婚後は山脇百合子)です。今では、子どもをものおきに、忘れた約束を思い出しにいかせたりはできませんが、子どもの心の動きが生き生きと描かれていいます。

ちなみに「くじらとり」はスタジオジブリがアニメにしており、三鷹の森ジブリ美術館の上映作品リストに入っています。私はこちらの童話の方が、子どもの想像力=イマジネーション力がよく描かれていて大好きです。

教室にどんどん水が入ってきて、船が浮かび、出航する光景は子どもが想像している世界を、そのまま映像にしたような作品になっていて、大人が見ても心動かされました。その16分のアニメを見たとき、宮崎駿が子どもの「想像世界」を、さらに動くファンタジーに仕立てたいと思う気持ちがよくわかりました。

そういえば昨日14日、となりのトトロがテレビで放映されていましたが、「さんぽ」などの歌詞も中川さんです。

 

(今日は戦争ものの絵本について書こうかと思いましたが、それはまた別の機会しましょう。ただ戦争中は、戦意高揚の絵本がいろいろ出回ったのですが、その挿絵を拒否した画家の女性たちがいたことに触れておきたいと思います)

お盆の日に

2020/08/14

子どもが熱中して遊んでいる証(あかし)をどのように伝えたらいいのだろう。最もいいのは、それを家でも園でも子ども本人が「またやりたい」という気持ちを伝えてくれる時かもしれません。いくら上手な絵になったり、他人が撮った一瞬の写真を見ても、本人がそうかどうかは、本当は本人しかわからない。だから、「ああ、面白かった」「ああ、楽しかった」「ああ、美味しかった」という、素直な満足感が、もっとも信用できるんじゃないか。子どもは楽しかったことを、楽しくなかったと嘘はつけないものなので、素直な笑顔を見ると、幸せな気持ちになります。今日14日も、そんな安心感を持って眺めていた時間がたっぷりあった1日でした。

微笑ましかったのは、どうして泣いているのかな、と思って見ていたら「お腹減ったよ。早くお昼ご飯にして」とせがんでいるちっちさん。あの絵本、この絵本、あのお話、あのうた歌って!と、リクエストが終わらないぐんぐんさん。飽くなき好奇心に溢れています。

レゴブロックを長く繋いで「たか〜い」と見せ合っているにこにこさん。いろんなことを僕も私も「自分で」やりたいよね。

動物将棋にハマっているわいわいさん。うーんと考えている姿は立派な棋士だね。

つながる花形ピースで大きな怪獣を作っているらんらんさんは、すごい造形家です。

クーゲルバーンでビー玉を転がしては、自分たちが笑い転げているすいすいさん。君たちこそビー玉だね。

どの子も、いい感じです。

こんな時間がずっとずっと続きますように。そしてこの時間は、過去の多くの人たちによって叶えられ、支えられていることに感謝しなければなりません。納涼会の前から飾っている盆踊りの提灯ですが、もしお目見えいただいているご先祖様がいらしたら、この子どもたちの姿にきっと喜んでもらえるんじゃないかと思います。

よい絵本ってなんだろう?

2020/08/12

◆「ちよだせいがぶんこ」の蔵書方針

今年はこの7月ぐらいの間、ずっと保育における「言葉」について考えてきました。大学生にそのテーマで15回分の資料を作ったからです。その中には、絵本などの児童文化も含まれるのですが、保育園で使う絵本の他に、お貸しする「ちよだせいがぶんこ」もあるので、絵本についての考え方を少しお話しします。絵本に関して「別冊太陽」の特集など、いろいろなものがあるので参考にしてきましたが、毎年、幼児向けの図書は3000点も出版されているので、星の数ほどある絵本の中から、何を選ぶのかは大変です。そこである程度、ロングセラーとなっているものや有名なものから選ぶことになるのですが・・・。

◆よい絵本の3条件

まず、よい絵本とはなんでしょうか? 長らく保育の世界で仕事をしてきた私としては、この質問については、次のように答えてきました。良質な絵本と言われているものは、大抵は大人が良かれと思って選んだものであり、子どもに聞いて決めたことはほとんどありません。そうなってしまっているのは、もちろん子どもに聞いてもわからないから、という事情もあります。そこで私が「よい」絵本だと思うものは、次のような特徴があります。

その1つは、まずは子どもがそれを「好む」ということです。2つ目は良質な物語(ストーリー)があり、絵本の絵や言葉が「アート」である、ことです。3つ目は大人にとっても魅力的であることです。大人が魅了されていないと子どもに伝えようと思えないからです。いい絵本というものについては、細かな条件がいろいろありますが、大きく分類すると、この3つの要素が重なり合っているように思えます。子どもにとってという視点、それから中身、内容のよさ、そして大人にとっても「これはいい」と思えること、この3要素があってほしいのです。

◆全国学校図書館協議会(SLA)

実際にどんな絵本があるのか、どうやって選べばいいか、いろいろなものを紹介していきたいと思いますが、まずは安全パイになりそうなのサイトであり、困ったときには、このサイトをお勧めしています。全国学校図書館協議会(SLA)のホームページです。ここには「よい絵本」の選定基準と絵本リストの解説が出ていて、とても便利です。

https://www.j-sla.or.jp/recommend/yoiehon-top.html

 

top