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2026年 10月

「親・子ども・鬼」の三角形

2026/10/15

追う、逃げる、跳ぶ、揺れる。子どもたちが身体を動かして遊ぶ姿には、「面白い」「もう一回」という気持ちがあふれています。

追う、逃げるといえば、鬼ごっこを思い浮かべることでしょう。でも、鬼ごっこには、もう一つ大切な動きがあります。それは「守る」です。

古くから伝わる「ことろことろ」という遊びをご存じでしょうか。鬼ごっこの原型ともいわれる遊びで、鬼と子どもに加えて、「親」の役が登場します。

子どもたちは、前の人の肩に手を置いて一列につながり、その先頭に親役が立ちます。鬼が狙うのは、列のいちばん後ろの子どもです。親は鬼と向かい合い、両手を広げて、背後の子どもたちを守ります。

遊びは、こんな問答から始まります。(「鬼ごっこ協会」ホームページの解説ページより)

鬼「子をとろ子とろ だれとろか」
親「だれをとる」
鬼「ちょっと見ちゃ あとの子」
親「さあ とってみいさいな」

地域によって言葉や節回しは異なりますが、こうして声を交わすことも、遊びの楽しさの一つです。

鬼が右へ動けば、親もそちらへ。鬼が反対側へ回り込もうとすれば、子どもたちもつながったまま身をかわします。追う人、逃げる人、守る人。それぞれが相手の動きを見て、自分の動きを変えていくのです。

ここには「親・子ども・鬼」という三角形の関係があります。自分一人で速く走るだけでは、うまくいきません。親は後ろの子どもを気にかけ、子どもたちは前の人の動きを感じながら、一緒に逃げます。「守ってくれる」という安心と、「捕まるかもしれない」というどきどきが、同じ遊びのなかにあります。

「あぶくたった」も、歌や言葉のやり取りから鬼ごっこへとつながる遊びです。「なんのおと?」と問いかけ、返事に耳を澄ませる。そして「おばけのおと!」を合図に、一斉に逃げ出します。

子どもたちは、ただ合図を待って走っているのでしょうか。やり取りを楽しみながら、次の言葉を待ち、友達と顔を見合わせ、逃げ出す瞬間を一緒に迎えています。言葉とわらべうた、音楽と身体の動きが、一つの遊びのなかでつながっているのです。

「親子運動遊びの会」では、こうした楽しさを親子で味わっていただきたいと思っています。声を交わし、相手の動きを感じ、一緒に身体を動かす。追いかける楽しさも、逃げる楽しさも、守る楽しさもあります。

そのなかで生まれる「面白い」「もう一回」。その気持ちが、次の動きや、新しい挑戦につながっていくのでしょう。

「面白い」「もう一回」が身体を動かす

2026/10/14

赤ちゃんが、少し先にあるものに手を伸ばす。届きそうで届かない。そのものを見つめながら、身体を乗り出したり、床を蹴ったりする。大人が両手を広げて待っていると、笑いながらハイハイで近づいてくる。抱きとめてもらった喜びが、また動き出す楽しみにもなります。

追う、逃げる、跳ぶ、揺れる。乳幼児の身体の動きには、「あれに触りたい」「あの人のところへ行きたい」「こうすると面白い」という気持ちが伴っています。子どもたちは「健康のために」と考えているわけではありません。「面白い」「もう一回」が、その身体を動かしています。

わらべうたに合わせて、大人の膝の上で揺れる。次の動きを待って、大人の顔を見上げる。鬼ごっこで追いかけられ、笑いながら逃げる。友達の跳ぶ姿を見て、自分もやってみたくなる。楽しさのなかから、少し遠くへ、少し高くへ、昨日とは違う動きへの挑戦が生まれます。

こうした姿を見ていると、身体を動かすことには、三つの関わりが重なっていると感じます。

身近なものに関わること。身近な人と気持ちを通わせること。そして、自分自身の身体との関わり方に気づくことです。

手を伸ばすと届く。身体を傾けると揺れる。相手が近づいてきたら、向きを変えて逃げる。子どもは遊びながら、ものや人との関係を感じ取り、自分の身体でできることを知っていきます。これは、乳児保育で大切にする三つの視点や、幼児が身近な環境との関わりを通して、その意味に気づいていくという考え方にも通じます。

今年で8回目になる「親子運動遊びの会」も、これまでの7回と、内容や基本的な考え方は変わりません。わらべうた、音楽に合わせて身体を動かす遊び、さまざまな鬼ごっこ、ダンスなどを、親子で楽しみます。

いくつかの遊びを用意しますが、何をするかは、その場で子どもとやり取りしながら選んでいきます。「これ、やってみる?」「もう一回?」。言葉で答える子もいれば、手を伸ばしたり、身体を揺らしたり、じっと見つめたりして、気持ちを伝える子もいるでしょう。その姿を受け止めることも、親子の対話です。

一緒に遊ぶうちに、大人にも「面白い」「もう一回」が生まれるかもしれません。その楽しさが子どもに伝わり、子どもの楽しさが大人にも伝わる。そんな時間を、親子で過ごしていただきたいと思っています。

なぜ「親子運動遊びの会」なのか

2026/10/13

「運動会」という言葉を聞いて、思い浮かぶ種目はありますか。

私は昭和35年、1960年生まれです。最初の東京オリンピックが開かれたときは4歳でした。その後に通った小学校の運動会では、騎馬戦、棒倒し、組体操が行われていました。もう60年ほど前のことです。でも最近も、小学校の運動会で、帽子を取り合う騎馬戦を見かけました。

こうした種目は、いつ頃から行われているのでしょうか。

調べてみると、騎馬戦や棒倒しは、明治時代の自由民権運動に関係する運動会でも行われていました。民権派と政府側に分かれ、民権派が勝つまで繰り返したこともあったそうです。組体操で見られるピラミッドなども、戦前から「タンブリング」などの名前で披露されていました。

それぞれの由来は異なりますが、学校の運動会そのものには、軍隊との深い関わりがあります。明治期には兵式体操が学校に導入され、行軍や演習をモデルにした行事も広がりました。身体を鍛えることと、集団の規律を身につけることが結びついていたのです。

もちろん、現在の運動会が、そのまま当時の目的で行われているということではありません。騎馬戦や棒倒しの面白さ、組体操を完成させたときの喜びもあるでしょう。

それでも、私が携わった行事で、この三つを取り入れたことは一度もありません。理事長の藤森も、取り入れることには反対でした。

行事を考えるとき、これまで続けてきた種目を出発点にするよりも、今の子どもたちに、どんな経験を届けたいかを考えたいのです。その思いに照らして、内容を選び直す。形を変えることも、大切なものを受け継ぐ方法だと思っています。

当園の会を「親子運動遊びの会」と呼ぶのも、そのためです。

「運動会」と聞けば、自分が経験した種目や、子どもたちが練習の成果を披露する姿を思い浮かべる方もいるでしょう。その期待を含めて、会のあり方を改めて考えていただけるよう、名前から選び直しました。

私たちが大切にしたいのは、親子で身体を動かす楽しさを、ともに味わうことです。

鬼ごっこやダンス、わらべうたを一緒に楽しむ。子どもが演じ、大人が応援するという役割に分かれることも、入場や退場を見せるために動きをそろえることもありません。親も子も、その場で遊ぶ人です。

大人が夢中になって逃げる姿を、子どもが笑って追いかける。子どもの動きに誘われて、大人も踊り出す。そんな時間に、親子で何を感じるでしょうか。

「一緒に遊んで楽しかった」「またやろうね」。会が終わったあとに、その気持ちが残ってくれたらと思います。

「親子」「運動」「遊び」。この名前には、私たちが大切にしたい時間への思いを込めています。

身体を動かすことが好きになる時間

2026/10/12

スポーツの日の今日は、各地で運動会がありました。そこで今日は私たちが使っている「体育」と「スポーツ」という言葉から、身体を動かす時間について考えてみたいと思います。

「体育」は、明治時代に西洋の身体教育を表す訳語として使われるようになった言葉です。身体を育てることを、教育の大切な一つとして位置づけたものでした。一方、「スポーツ」の語源には、遊びや楽しみ、気晴らしという意味があります。

現在、学校には教科としての体育があり、社会ではさまざまなスポーツが親しまれています。そのどちらにも大切な役割がありますが、私は、その時間が「また身体を動かしたい」と思える経験になっているかを、問い続けたいと思っています。

私が新聞記者として、学校の教育実践を取材していた頃、子どもたちが運動を好きになっていく体育の授業に出会いました。新しい動きを面白がり、試し、工夫する。その姿には、自分の身体に出会っている、とでも言いたくなるものがありました。

それは逆立ちの探究でした。マットを壁際に並べ、手と頭で三角形をつくり、腰と足をゆっくり伸ばしていくのですが、そのときの眺め、手や頭にかかる体重、鏡に映る腰の位置などを確かめていく時間でした。できる・できないというものではなく、そのときの体験を感じるだけです。感じて気づく時間でした。自分と世界の関わり方を発見していく時間でした。

しかし、できる・できないが全面にでてくると、身体を動かす時間が、誰にとっても楽しいとは限らなくなってしまいます。ある学校調査では、学年が上がるにつれて体育への好意が低くなるという報告もあります。また、女子児童・生徒を対象にした研究では、評価されることや、自分の運動能力が周囲に知られることなどへの嫌悪感が、上の学年で高くなる傾向が示されています。

身体を動かすこと自体が嫌なのか。それとも、比較されたり、失敗を見られたりすることがつらいのか。そこは丁寧に分けて考える必要があるでしょう。

スポーツについても、競技の技術や勝敗に目が向くと、それだけでは捉えきれない身体の楽しさが見えにくくなることがあります。上手になる喜びや勝つ喜びとともに、動くことそのものの喜びにも目を向けたいのです。

17日に当園で開く「親子運動遊びの会」には、その思いを込めています。

鬼ごっこやダンス、わらべうたなどを、親子で一緒に楽しみます。子どもがする人、大人が応援する人という役割に分かれるのではなく、ともに遊ぶ時間です。

追いかけていたら、思わず夢中になった。相手の動きにつられて、自分の身体も動き出した。声としぐさを交わしているうちに、顔を見合わせて笑った。そんな経験を、親子で味わってもらえたらと思います。

その日に何かができるようになることだけを、成果にしたいのではありません。一緒に身体を動かすことが楽しかった。また遊びたいと思った。その時間そのものを、慈しみたいのです。

なぜ「運動会」ではなく、「親子運動遊びの会」なのか。明日は、その名前に込めた思いを、もう少しお話しします。

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