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見守る保育(保育アーカイブ)

N市の園長会と公開保育で交流

2025/10/29

千葉県のN市の園長会から園長先生たちが10名来園されました。9時半から12時まで保育を見学。そのなかで、いろいろな話ができたのですが、同じ保育の悩みは先生たちの苦労です。保護者のみなさんには「子ども一人ひとりは違うので、その違いが保育のベースにある」という話を入園見学とのきからさせてもらっています。

それに十分応えながら、環境を通した保育を展開するためには、世界の多様性への「水先案内人」として保育者自身の「世界」が深まる必要があります。子どもが世界を好きになり、その世界への好奇心や探究心を深めていくためには、先生も子どもと一緒にその世界に入っていく、一緒に探究していくという同伴者としての活力が求められます。

さて、その取り組みを促すために、どうしたらいいか。こどもが出会う世界は、その水先案内の案内次第という要素があります。そこでゾーンを用意して、教材研究と同じように環境研究をしていくのです。それがゾーンに置かれている「もの」によって、子どもの世界を広げていくことができます。環境は子どもの手に届くようにでデザインされた世界の代表があるのです。

心を育てる保育〜ごめんね、の意味

2025/10/22

私たちは国が定めた幼稚園教育要領や保育所保育指針という、いわばガイドラインに元づいて保育をしています。そのなかで、大切にされてきた特徴は「心を育てる」ということです。要領や指針ではそれを「心情」と呼んでいますが、そのなかでも「意欲」は特別なもので、行動を促すとともに自分の心の姿勢「態度」を育てていく原動力になります。

今日は千葉県のN市の園長会から来られた園長先生たちとその話になりました。例え話としてよく使うのが「ごめんね」とか「ありがとう」です。子どもが何か人に迷惑をかけたりしたら「ごめんね、しようね」とか「ごめんねは?」といいます。

 

ごめんね、と言えるようになることは素晴らしいことなのですが、勘違いしてはいけないのは、ただ口で「ごめん」と言えるようになることだけを求めて、それでよし、としてしまうとき、その気持ちがないのに、「ごめんといえさえすれば、許してもらえる」と勘違いしてしまうことです。

こうなると、唱えさえすれば許してもらえる魔法の言葉「ごめん」になってしまいます。

ただ口先でごめん、と言われると、言われ方は「いいよ」と許してあげる気になれません。私が実際に昔見かけた光景ですが、その子は「ごめん、ごめん」を何度もいうのですが、なかなかいいよと許してもらえません。すると終いには「なんでいいよって、いってくれないんだ」と逆ギレしていました(笑)

私たちは「ああ、わるかったなあ」という気持ちが湧き起こる内面の育ちを重視します。たとえ口で「ごめん」といえなくても、心で「僕もちょっと悪かったなあ」と感じているなら、そこを私たちも感じ取って「そうだよね、◯◯ちゃんも、ごめん、って思っているよね」と共感してあげるようにしています。子どもは自分が好きな人に自分の気持ちが「わかってもらえた」と思うと、素直にうれしくて、自分から「さっきは、ごめん」と言えたりするのです。

この心情=わるかったなあ、が先にあって、なんとか相手に自分から言おうとする意欲が生じ、それが結果的に心の動きとしての謝罪(というと大袈裟ですが)の気持ちが態度となって現れてくるのです。それが私たちが大事にしている、心の育ちです。

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