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2022年 10月

自由遊びの中の個別で協同的な学び

2022/10/20

昨日のエピソードの続きです。折り紙をくるくると丸めることは3〜4歳ぐらいになるとできるようになります。でも細い筒はまだ難しくて、トイレットペーパーの芯ほどの大きさのゆったりした「筒らしきもの」ができる程度です。筒の形も歪でガタガタしています。それでも「できた」という達成感は嬉しいようで、もっとこうしたい、ああしたい、という意欲が出てきます。

その、もっとこうしたい、というものは、隣にいたTHちゃんが手にしていたものです。それは3つの筒が折り重なった「何か」です。それを作りたくて、筒と筒を合体させてできたものが、昨日ご紹介した長い棒のようなものです。

この二人の関係の中にあった制作物をめぐって、二人が経験していることが、どのようにそれぞれの精神や自我の発達に影響しているのでしょう。自由に遊んでいる状況下で(そこに私が介在していることの影響も大きいのですが、一旦それを無視して)考えてみましょう。

昨日は哄笑の意味を考えてみたのですが、そのエピソードが起きる前の時間に遡ると、男の子KSくんは女の子THちゃんが作った制作物を作りたくて、私のところへやってきて「あれを作りたい」と言って始まった遊びでした。始まりには、すでに折り紙で遊んでいたお友達の状況があって、それを真似したいという気持ちが動いていました。子どもたちの遊びは、このような周りの状況からの刺激を受けて自分の世界を広げていくことがわかります。

何かに気づき、好奇心をよせ、制作して物を作っていく。その時に、他者とのコミュニケーションが発生しており、そレは非言語、言語を問わず、ジェスチャーも含めて共同注意が働きながら表象を豊かにしていきます。この協同性の中には、個人の内面世界を豊かにしていっているものが、外の社会的な環境の豊かさから成り立っていることは明らかでしょう。このような自由遊びの中で培っている営みと同じように、小学校以降における生活と学習にもつながっていくために、この自由遊びの中での学びを明らかにしていくことができたら、新しい学校づくりのヒントにもなると思われます。

子どもの個人的で個別最適な学びと、協同的学び(協働的も含む)を繋ぐものが、この自由遊びの中に含まれるものだとしたら、一つのテーマを巡って体験している要素を取り出すことはできるでしょう。好奇心を寄せて発見している気づき、ものを作り上げている身体的精神活動、その子らしいもの作りを通した表現、そして他者とのコミュニケーションです。ミードと共に現在の学びの世界を開いたデューイが示したこの4つのプロジェクト要因は、自由遊びの中にその同質のものが展開されているとみることはできないでしょうか。

10月20日昼食

2022/10/20

あんかけうどん

ひじきの卵焼き

バナナ

麦茶

らんすい ダンス

2022/10/20

19日、いづみお姉さんが来てくれました。


22日に親子運動あそびの会ですね。

お馴染みの
ステップ!今日は やさしぃータッチで、ステップ!

マネキン

鬼さん 鬼さん

トンネル

のメニューでした!

☆やらせよう、やるんだよ→やってみようへ

夢みる小学校のアナウンスをしました。ぜひ、見ていただきたいなと思います。というのも、例えば昨日のダンスの時間、参加しない子も、もちろんいます。その しない  をどう捉えているかに、学校の授業風景が目標になり、出来るようにしようと目的へと変わっているように大人バイアス満載にあると思います。もちろん、映画のような小学校はマイナーてしょうが、時代もやっと映画だったり、増えてこようとする運動が活発になってきています。

 

どうでしょうか。子どもは参加しない行為に理由があると思うのです。

 

恥ずかしい

自由な表現が、難しい。振り付け通りなら出来る

タイミングがわからない

など、行為にはなにか理由があるのでしょう。

 

そのため、やらせようとはしません。ただ、対話していくとですね、 マネキンはヤダな、デザイナーならやれるんだよ。とか、お手伝い保育の延期がショックで、、、とか、やりたいけど、難しい。といったそれぞれの理由を教えてくれました。

そこで、やりたいことをやろうと分割すると、動き始めていました。    よく、なんでやらないの?と理由を聞きたくなりますが、その本質はよくわかりません。子ども自身もよくわからないんだと思うんです。なので、出来る限り対話出来るような関わりを大事にしています。  

にこにこ組、ダンス表現遊び

2022/10/20

今日は親子運動遊びの会に向けての最後のダンス遊びでした。

 

トンネル遊びは大人気!

みんな、いろいろなトンネルのバリエーションが見られるようになってきました。

最後は、”トンネルをくぐる中村先生に乗る”という遊びに発展しておりました^^;

幼児が笑い転げるおかしみのツボ

2022/10/19

今日4歳の誕生日を迎えたKSくんと遊んでいて、可笑しくて笑いが止まらなくなりました。

子どもには「笑いのツボ」があります。そのツボにはまると、ゲラゲラ笑いが周囲に感染します。そのツボはいくつか種類があるのですが、今日のツボは、「他人が期待している楽しみが、偶然できなくなくなってしまう」というものです。代表的な例は「落とし穴」です。人が落とし穴に落ちるのを面白いと感じる心が人にはあります。相手を騙すことが面白いと感じるのと似ています。この感覚、わかりますか。子どもには、そういうものを面白がる心理があります。

こんな場面でした。折り紙で作った「筒のようなもの」(写真)が偶然、机の上で立ったので「あ、立った、立った、すごいね、立ったね!」と私が喜ぶと、KSくんは、すかさず「ふ〜っ」と息を吹いて倒したのです。ろうそくの火を消す時のように、です。そこで私が「あ、倒しちゃった。ねえ、もう一回、立てて」とお願いすると、KSくんは立てようとするのですが、なぜか笑い出しています。笑いで手が揺れるのこともあって、筒が中々、立ちません。

私が「立たないかなあ、立たないかなあ」と声に出して期待していると、KSくんはなんとか筒を立たせました。笑いながらです。そこで「あっ、立った立った!」と私がいうと、KSくんは、またすかさず「ふ〜っ」と息を吹いて倒そうとします。でも、笑っているのでうまく息が出ないので、中々倒せません。自分でやりながら可笑しくてうまくできないという感じです。その経過をずっと録画していたので、二人で笑いながら、繰り返しみました。楽しかったあ〜。

このような一見、実にどうでもいいように思えるエピソードかもしれませんが、私はそんなことはない、大切な意味があると確信を持って主張したいと思います。このように子どもが「笑い転げるようなおかしみ」を体験する意味について、解説したものがあまりない気がします。でもきっと重要な意味が隠されていると、私は思っています。スマイルの微笑ではなく、ラーフターの哄笑の方です。声に出して笑う方です。

私の仮説はこうです。人間の脳は社会的な脳だと言われています。人と人が結びつくことを望む脳です。ヒューマン・コンタクトを必要とする脳です。その際、利他性が人間性の特徴です。利己的ではなく利他的であったこと、なぜか協力することを人類の進化は選択してきました。他人が喜ぶことが嬉しく、他者が悲しいと自分も悲しいと思う共感性を持っています。他者の快感が自分の快感になるような性的傾向を愛情の中にも組み込みました。

そのような共感性が発達していくにつれて、他者が困ることなど「起きてはならないこと」が実際に起きてしまうことは恐れや怒りなどの感情を伴います。そこで子どもは、あえてそうした「起きてはならないこと」を、先取りした模倣、つまりシミュレーションすることで、裏返しの感情が発露してしまうという心理機構があるのではないでしょうか。プラスの感情を伴った体験の再現が「ごっこ」です。これはいわば過去から現在への模倣。一方で、マイナスの感情が引き起こされる予行を平然と引き起こすことはできないので「おかしみの感情」を伴いながら、一種のごまかし、ユーモアにしてしまうのではないでしょうか。

それが大人からは「いたずら(悪戯)やおふざけ」に見えるのではないでしょうか。バケツを被って階段を昇り降りしたりするような、きっと叱れるようなことを、子どもがやりがるのは、共感性の発達の裏返しかもしれません。相手があって初めて誘発される感情でもあって、そのおかしみの体験が引き起こされているとき、私はあまり「待ったをかけない」ことにしています。私との自由遊びの時間には、この笑いが突発的によく起きます。

園長ライオンの遊びの中でも、ライオン役の私に「はい、肉ですよー」とくれるので、おいしく食べるふりをすると子どもは「毒でしたあ」と言って、騙したことを笑って楽しむのです。

私はこういう事も大事にしたい。でも、これは遊びの価値への確信と心の余裕がないと、なかなかできないですね。

自由遊びとは何か。今は亡き大場幸夫先生の言葉です。

「子どもたちが自ら発想し、その遊びの存続や遊びの内容の選定など、一切を子ども自身に委ねられる遊び。子どもたちの自発的な意思にもとづいた活動の総称。保育者が意図的に設定し子どもに課す遊びの類とは峻別される。自分の思いつくままに、自由にいろいろな遊具やおもちゃを選択できることや、自分なりの遊び方を楽しむことが可能であり、進んでいろいろ工夫してみることが許されている。自由であることは、なんとなくぶらぶらしていられることも含めて、自分の気持ちに正直に呼応できる行動のあり方、ということができるだろう。それだけに、意思決定と自己調節が、こうした遊び方のプロセスを通して、育まれる機会を得ることにもなる。子どもが自らの主人公になって遊べるところに、この遊びの本質を見ることができる。問題はこうした遊びを、日課の一部に取り込み、“束の間の自由”でしかないような生活を是認する保育者の考え方にある。(「発達心理学辞典」(ミネルヴァ書房))

【わいわい】ダンス

2022/10/19

【わいわいぐみ】

今日は親子運動遊びの会前、最後のダンスでした💃

なんだかすごく感慨深い時間でした。○

にこにこ組のとき、ぐんぐん組のとき…と遡っていくと、それぞれにこのダンスの時間は色んなストーリーがありますが、今、わいわい組の子たちにとってすごく大好きな時間で、それぞれの距離感で、楽しみ方で自分を表現することのできる時間になっているようです。色々な面で成長を感じますが、ダンスのこの時間だけを見ても、1人ひとりの成長に感動し、うるっときてしまった担任でした..(笑)

毎度、笑顔溢れる、みんなからの「やりたい!」が溢れる、「たのしい!」が溢れる素敵なダンスの時間!

子どもたちは、土曜日の親子運動遊びの会をとても楽しみにしていたので、是非お父さん・お母さんも一緒に楽しみましょう♪

 

10月19日昼食

2022/10/19

炊き込みご飯

鯖のおろしに

きゃべつのおかかあえ

小松菜の味噌汁

麦茶

 

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