今日、私がハッとして、なるほど!と思ったこと。

昼食を子どもたちと一緒に食べていたら、私の後ろで2歳児クラスの子(2歳4ヶ月)が、大声で泣き出したので「なんだろう?」と振り返ると、先生が「ああ、ごめんね、自分でやりたかったんだね、ごめん、ごめん」と、その子に謝っています。自分でやりたかったこと、というのは「ごちそうさま」をして「自分のたべた茶碗やお皿やコップなどが載っているお盆を自分で運んで机に乗せたかった」のです。
私の後ろがちょっと狭くて、お盆をもってその子がそこを通る時に、先生がお盆を落とさないように持ってあげて、配膳台の机に運んであげたのでした。子どもの手からお盆が離れて、机に置かれるまでの時間は数秒、距離にして1メートルもないほどのことなのですが、その子にとっては、自分のやりたかった意思が阻まれてしまい、抗議の声を涙ながらに発した、という場面だったのです。
この先生が偉いなぁと思ったのは、心を込めて謝っていたからです。もしかすると「それくらいのことで、怒らないでよ、先生だって危ないかな、と思って手伝ってあげたんだから」。多くの人はそう思ってしまいかねない場面でした。
私も実際に、そういうことでも、自分でやってみたいんだね、かわいいなあ、と思いました。でも、冷静に考えてみると、どうしてそんなに怒ったんだろう? どうして、それをそんなにやりたかったんだろう?と想像してみることが大事なんだな、と改めて気付かされました。というのは・・・そういう気持ちにらなる理由が、ちゃんとあったからです。
私が「そうことで泣いてしまうなんて、かわいいよね」というようなことを言ったのです。すると先生は「今日、〜くん、下で初めて食べたんですよ」と教えてくれました。彼は食べ物のアレルギーがあって、他の子どもたちのを間違えて食べないように、彼専用の高いテーブルと椅子で食べていたのです。それが初めて今日他の子どもたちと一緒に並んで食べて、嬉しかったに違いないのです。
そして自分でも「あれ、やってみたいなあ」と思っていたことが、いろいろあったかもしれないのです。その一つが自分でお盆を片付けてみること、だったのでしょう。
「おかわりもしたんですよ」と先生から教えてもらいました。これまでは先生が運んであげていたのですが、今日は自分の椅子から立ち上がって、席から離れ、お皿をもって歩いて、おかわりもよそってもらい、自分の席にまた戻ることができたのでした。
自分でなんでもやってみたい時期の2歳児クラス、というのはよく言われることなのですが、まさにそういうやりたいことの意思がはっきりと表明されていたことになります。子どもは独立した人格と尊厳を持つ主体なんだ、ということでした。















