水遊びの季節になって、肌を露出する機会が増えます。そこで幼児クラスでは、今日、看護師の大井先生にプライベートゾーンについて話をしてもらいました。


2025/06/23
水遊びの季節になって、肌を露出する機会が増えます。そこで幼児クラスでは、今日、看護師の大井先生にプライベートゾーンについて話をしてもらいました。


2025/06/23

カレー🍛
アスパラソテー
さつまいものスープ
ゼリー
麦茶
2025/06/23

ミレービスケット
のむヨーグルト
2025/06/20
今日は保育園の給食を「夜ごはん」として家族で食べてもらいました。献立はおにぎり、鳥の照り焼き、ナムル、スープです。子どもたちが普段よく食べる人気のメニューにしました。保育園の給食を食べてもらう機会があまりないので、夕ご飯として家族揃って食べてもらう機会を用意しました。

保育園のスタッフだけでは賄いきれないので、ボランティアスタッフも手伝ってくださいました(ボランティアといっても、うちの先生たちの大先輩で大学で教えていたような方なのですが)。

せっかくだから、美味しいものを、親子で楽しんでもらいたい。とても忙しい皆さんの、ちょっとした家族のオアシスのような時間になってもらえたら・・。先生たちに感謝です。

しずくレストランという名前は有志でつくる保護者コミュニティの名前「しずくの会」から。しずくというのは、「ハチドリのひとしずく」(辻信一)の精神を引き継ごうという気持ちを表しています。こんはお話しです。

・・・・・・
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げていきました
でもクリキンディという名の ハチドリだけは いったりきたり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
炎の上に落としています
動物たちはそれを見て
「そんなことをして
いったい何になるんだ」
とって笑います
クリキンディは
こう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」

2025/06/19
私たちは食べ物を美味しいと感じる味覚を持っています。でも、その感じ方には、個人があります。自分が感じている味を人も同じように感じているとは限らないのです。この◯◯は美味しいね、と「同じであることを前提に」他者に同意を求めがちですが、実際はちがっているかもしれません。

そのことを、研究するために大妻女子大学の先生が園に来られたので、子どもたちの傾向と私たちの保育アプローチを説明しました。
人間の味覚は遺伝子の研究がすすみ、「苦味」のように遺伝的に明確に説明できる特性もありますが、「甘味」「旨味」「脂味」などは複雑に「遺伝+環境」の影響を受けているそうです。しかし、実際のところはまだよくわかっていません。味覚の感度が高ければ、少しの刺激でより多くの感覚情報を得ていることになります。それが食べ物の好き嫌いの傾向にもつながっているだろうことは、容易に想像できます。
人間以外の動物の味覚を考えてみると、味を感じる味蕾の数は動物によってかなり差があり、それらの好む食べ物の傾向が現れています。竹の味をパンダはどのように「美味しい」と感じているのでしょう? ということです。下等動物から人間まで共通するのは、顔には口があるということで、外部から栄養を摂るための口が必ずあっても、その味の感度の差は、獲物を得るための手段として発達しています。
このように知覚は生存のための行為に直結しているからこそ、その「種」の特性が知覚の特性と相関しています。その動物の生き方やライフスタイルが、どの動物の知覚と行為の相関特性を作っています。
私は点字が読めませんが、読める人は読めない人よりも、指の感覚が鋭いといえます。犬の嗅覚は人間のおよそ1万倍〜1億倍とも言われています。犬の鼻には嗅細胞が約2億個(人間は約500万個)もあるそうで、微量なにおい成分も識別できます。犬種や個体差にもよりますが、警察犬や災害救助犬などのことを思い浮かべるだけでも、その精度の高さに納得します。
同様に5月に上野動物園でもみたコウモリは人間の数百倍以上の精度を持っていると考えられています。特に「超音波(20kHz以上)」と言われる、私たちには聞こえない高周波の音まで感知できます。また、コウモリは「エコーロケーション(反響定位)」という能力を使って、自分の発した音波が物体に当たって返ってくる反響を聞き取ることで、暗闇の中でも障害物や獲物の位置を正確に把握しているので、暗闇の飛行でもぶつかることがありません。
タカやワシなどの猛禽類は視力が優れており、1キロ先の獲物もはっきり見えているというから驚きです。しかもあのスピードで滑空しながら海面の魚や地面の小動物を掻っ攫っていく芸当は驚異的です。また昆虫の蝶も人間には見えない紫外線を含む色調を区別しており、花の色による「ガイドマーク」によって蜜の場所をみつけることができるそうです。
さて、人間はなんでも食べますが、そもそも「味わう」や「なんでも食べられるようになること」に、どれだけのこと期待をしていいものなのか。平均値からずれているからといって、その知覚を過敏だという言い方も、かえって鈍感な言葉の使い方かもしれませんね。
2025/06/19

焼きそば
牛乳
2025/06/19

ごはん
カレイのゴマ揚げ
キュウリの酢の物
切り干し大根の味噌汁
オレンジ🍊
麦茶
2025/06/19

焼きそば
牛乳
2025/06/19

ごはん
カレイのゴマ揚げ
キュウリの酢の物
切り干し大根の味噌汁
オレンジ🍊
麦茶
2025/06/18
今日、私がハッとして、なるほど!と思ったこと。

昼食を子どもたちと一緒に食べていたら、私の後ろで2歳児クラスの子(2歳4ヶ月)が、大声で泣き出したので「なんだろう?」と振り返ると、先生が「ああ、ごめんね、自分でやりたかったんだね、ごめん、ごめん」と、その子に謝っています。自分でやりたかったこと、というのは「ごちそうさま」をして「自分のたべた茶碗やお皿やコップなどが載っているお盆を自分で運んで机に乗せたかった」のです。
私の後ろがちょっと狭くて、お盆をもってその子がそこを通る時に、先生がお盆を落とさないように持ってあげて、配膳台の机に運んであげたのでした。子どもの手からお盆が離れて、机に置かれるまでの時間は数秒、距離にして1メートルもないほどのことなのですが、その子にとっては、自分のやりたかった意思が阻まれてしまい、抗議の声を涙ながらに発した、という場面だったのです。
この先生が偉いなぁと思ったのは、心を込めて謝っていたからです。もしかすると「それくらいのことで、怒らないでよ、先生だって危ないかな、と思って手伝ってあげたんだから」。多くの人はそう思ってしまいかねない場面でした。
私も実際に、そういうことでも、自分でやってみたいんだね、かわいいなあ、と思いました。でも、冷静に考えてみると、どうしてそんなに怒ったんだろう? どうして、それをそんなにやりたかったんだろう?と想像してみることが大事なんだな、と改めて気付かされました。というのは・・・そういう気持ちにらなる理由が、ちゃんとあったからです。
私が「そうことで泣いてしまうなんて、かわいいよね」というようなことを言ったのです。すると先生は「今日、〜くん、下で初めて食べたんですよ」と教えてくれました。彼は食べ物のアレルギーがあって、他の子どもたちのを間違えて食べないように、彼専用の高いテーブルと椅子で食べていたのです。それが初めて今日他の子どもたちと一緒に並んで食べて、嬉しかったに違いないのです。
そして自分でも「あれ、やってみたいなあ」と思っていたことが、いろいろあったかもしれないのです。その一つが自分でお盆を片付けてみること、だったのでしょう。
「おかわりもしたんですよ」と先生から教えてもらいました。これまでは先生が運んであげていたのですが、今日は自分の椅子から立ち上がって、席から離れ、お皿をもって歩いて、おかわりもよそってもらい、自分の席にまた戻ることができたのでした。
自分でなんでもやってみたい時期の2歳児クラス、というのはよく言われることなのですが、まさにそういうやりたいことの意思がはっきりと表明されていたことになります。子どもは独立した人格と尊厳を持つ主体なんだ、ということでした。