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TEL

2022年 3月

3月8日 昼食

2022/03/08

⭐️すいすい組リクエストメニュー⭐️

パン

蓮根の挟み揚げ

和風サラダ

野菜スープ

いちご

麦茶

オレンジジュース

すいすい組の育ち

2022/03/07

秋に、浅草橋のイワサキ商店に金魚を買いにすいすい組が行きました。その時に買った4匹のうち2匹が先週から元気がなくなりました。 事務所で仕事をしている私に、何度も「先生、金魚がね・・・」と教えに来てくれ、急遽塩水浴のバケツを作り隔離して様子を見ました。
金魚を心配してのぞき込む子どもの姿が沢山ありました。

月曜日、2匹の金魚は亡くなってしまいました。


おやつ後に、金魚のお墓を作ろうと保育園裏に行く事にしました。
すると、子どもたちは人間らしい姿を見せてくれました。

バケツの中で死んでいる金魚を運ぶ手は優しく、揺らさないようにそっと運ぶのです。「そこあけてあげて」「きをつけて」「ゆっくりね。かわいそうだから」

階段の移動中はそんな子ども達の言葉で溢れていました。

先生「お墓どうやって作ろうか」と先生がつぶやくと

t「お花を置いてあげるのどうかな」 k「餌を上げようか」 と意見が出て周りの子が「いいね」となり、準備を始めました。

お墓につくと、「いっちゃんは、緑グループが最後まで悩んで名前を付けたね」「おおきちゃん、かわいかったな」と土に埋めながらそれぞれの思いを話していました。 最後はみんなでエサを上げようと、一人一人の手にエサをのせると「いっちゃんとおおきちゃんに8粒ずつあげよう」と数える子や手を合わせてお別れする子、『天国でおいしくたべてね』など、それぞれのお別れの仕方、作法をしていました。



なんて素敵なんでしょう。なんで花を渡したいと心の中から生まれてきたのでしょうか。生き物の死をこんなにも寄り添って考える子どもの姿は何とも言えません。優しくお墓まで運んであげようと、一人一人の心に何があったのでしょうか。     社会のニュースとは真逆の、人としての本質が子どもにはあると心を打たれたそんな瞬間でした。 感動です。

 

自立の姿(その7)危険回避力

2022/03/07

危険を回避する力は、生きていく上で、どうしても必要な基本スキルです。どこで何をどうしたら危ないのか? 何をやってよく、何をしたら危ないのか?この判断力と行動力は、どうやったら身につくのか?ーーここに大きな保育のテーマがあります。この危険回避力の自立の姿は、どういうものでしょう?

 

「さまざまな状況の中で、自ら安全な生活をを作り出す力を身につけること」

これがリスクを回避できる自立の姿です。ここでのポイントは、リスク判断なのです。どうやったら、こうしたら危ないと予想して予め回避できるようになるでしょう。自立にはその発達の過程があります。赤ちゃんの頃からここでできる、年長さんになったらここまでできる、そんな身体的、精神的な発達の段階があります。

発達というのは自分で関われる世界、自分の中に取り込める世界が「広がっていく過程」だとも言えます。そばにある物が触ってもいい物なのかどうかは、大人でも分かりません。山菜取りで食べていいキノコと毒キノコの違いは、体験で学ぶことは危ないことになります。人間にはその判断力は本能や遺伝の中に組み込まれていないからです。しかし山に棲む熊は、その差を間違うことはありません。それを破断できる感覚の器官を持っているからです。

手に取って口に持っていって、舐めて確かめる赤ちゃんにとって、その物に毒や病原体がついているかどうかは判断できません。目に見えないもの、匂いで判断できないもの、音を聞いて区別できるもの、そういうものは、外界を捉える感覚器の感度や力によって異なるからです。

子どものことを話しているので、人間の感覚の感度と判断力の限界を知っておけば、学ばなくても自分で判断できる危険と学習すべき危険を分けることができます。研究によると、人の場合は学習しないと判断できないことの方が多いそうです。これは能力が劣っているということではなく、環境への適応力を高めるために、つまり環境が変わっても生きていけるように柔軟に適応できる仕組みを持っていると、言い換えることができます。動物の本能は学びが少なくても適応できますが、個体の一生の間に変わってしまう環境へのリスク回避はできません。レジ袋を海藻と間違えて食べてしまうウミガメのように。

寝返りもできない頃の赤ちゃんを坂道に寝せると転がってしまいます。自分で回避できません。しかし、はいはいができるぐらいになった赤ちゃんは、断崖の前に座らせると、それ以上進むことを躊躇するそうです。これ以上やっていいの?という警戒心が育っていることになります。9ヶ月ごろをすぎると、周りの人は「意図」を持っていることを理解できるようになるので、「ここ、どうなのよ、行ってもいいの?」と大人の表情から、いい、悪いのサインを読み取るようになっていきます。社会的なサインを参照しようとし出すのです。

複雑なものや場所になると、もっと詳しく「どうやったら安全か」を学ぶ必要があります。これは体験の積み重ねからの学習がものをいうので、小さいことから危険回避の学習機会を多く用意しておく必要があります。この考え方に基づいて、ヨーロッパの「乳児の」多くの保育園では、芝生にした園庭にわざわざ大きな岩を置き、アスファルトで舗装した歩道をあえて土と石の歩道に作り替え、あえて段差を設けています。なんでも滑らかにしてしまうユニバーサルデザインとは異なる発想です。

階段は手すりを持つことで転びにくくなること、花瓶は倒れたら水がこぼれること、お茶碗は落とすと割れること、高いところから落ちると勢いがつくこと、器の水はそっと運ばないとこぼすこと、人の体は転ぶときに咄嗟に手で支える必要があること、このようなことを「体験しながら」子どもたちは身につけていきます。走ると急には止まれないこと、手すりから体を乗り出すと思わず前転してしまうこと、通れそうな細道も壁に体が当たって通れないこと、前むにき入れた頭も振り返ることができないこと(頭は楕円形なので)、目が痒くなっても汚れた手で目を擦ってはいけないこと・・・こんな数えきれないほどたくさんのことを、子どもたちは生活の中で、その都度身につけています。

馬の水飲み場の木登り、和泉公園の木登りを怪我をしないように丈夫に登れるようになるには、これらの力がうまく組み合わさっています。子どもの生活圏を、危なくないように何もないようにすることは、かえって危険です。自分で危険を回避する判断力と適応力、応用力を育てるチャンスを失うからです。安全の自立というのは、子どもが転ばないようにガードしたり、転んでも怪我をしないようにクッションを用意することだけは足りません。転んでも自分で手をつけること、転ばないような歩き方、走り方ができる能力を育てることが必要です。

幼稚園教育要領や保育所保育指針には、教育の「健康」領域に、こう書いてあります。

「健康な心と体を育て、自ら健康で安全な生活を作り出す力を養う」

子ども自らが、安全な生活を作り出せるようにしましょう、というのです。大人がただ安全な生活を与えるのではないのです。

 

3月7日 昼食

2022/03/07

たきこみごはん

とりの香味焼き

きゅうりの酢の物

豚汁

自立の姿(その6)清潔

2022/03/06

清潔の自立、ってあまり聞かないかもしれませんが、健康な生活のためには必要なものです。世の中はコロナ禍で大変ですが、感染症を防ぐためにも「清潔」が欠かせないことを思い出していただければ、分かりやすいでしょうか。私たちの体は、体にとって害のあるものを取り込まないようにする仕組みを色々と備えています。皮膚や毛や免疫機構や常在菌なども、毒物や病原体から身を守るためのバリアになっています。

しかし、健康であるためには、顔や手を洗ったり、風呂に入ったり、うがいをしたり、歯を磨いたり、鼻をかんだり、整髪したりと、いろいろなことをして身の回りを清潔に保っています。これらも習慣になるといいのですが、そのためにはどんな秘訣があるのでしょうか。それは清潔の自立の姿をイメージすることから導かれます。

清潔の自立とは、「きれいになることで気持ちがいい、という感覚を覚えることから、自分でやってみたいと思うこと」です。

顔や手を洗うとさっぱりして気持ちがいい。お風呂に入ると気持ちがいい。うがいをするとスッキリして気持ちがいい。・・・こんなふうに、歯磨きや鼻かみなども、きれいになることが「感覚」として気持ちいいとか、うれしいとか感じることが大事なことになります。そのためには、小さいうちから、やってあげるときに、黙ってやるのではなく「ほおら、きれいになったね、さっぱりして、気持ちいいね」と話しかけながら、行うといいのです。

清潔の体験には気持ちよさが伴う。やることが嬉しい。やらないと気がすまない。そんな気持ちの好循環が生まれると成功したのも同然です。それには言葉をかけるだけではなく、そういうモデルを見せること、大人も一緒にやること、そのときに「ああ、気持ちよかった」という感想なりコメントなりを、気持ちを込めて表すことが大事です。そうすると、それをみて子どももやってみようかな、となります。子どもの持っている模倣力に訴えるのです。

もう一つの秘訣は、手洗いなど水を扱うとき、小さいうちは手洗いが水遊びになってしまう時があります。遊びになってしまうときは、清潔のために手を洗うときと、水遊びをすることを別の機会に分けることです。水遊び、シャボン遊びをたくさんんやれば、手洗いのときにはそれをしなくなります。水や石鹸は子どもにとって、土や光と同様に格好の遊具、遊びの材料です。その物の特性を十分に体験し尽くすまで、遊べるようにします。

 

虫のおうち

2022/03/06

佐久間公園で、あやかちゃん、りょうちゃん、そうたくんが、虫の死骸を見つけました。
(牧野先生によると、「タガメ」の一部だったようですが、なんでここにいたのかはわかりません。。)

3人で、木の枝で触ってみたり、じっと観察したり。


すると、あやかちゃんが「ここにいたら、踏まれちゃうかも。かわいそうだよ。」と眉をハの字にしながら、しきりに訴えています。
あやかちゃんのやさしさと思いやりの気持ちに心動かされつつ、「どうしよっか…。端のほうに運んであげる?」と聞いてみると、「でも、あっちも踏まれちゃう…」。

「そうなのか〜。じゃあ、どうしよう…?」
すると、「あっちの、高いところだったら良いんじゃない?」とあやかちゃん。りょうちゃんも、「高いところがいいんじゃない」と賛同しています。そうたくんも、そのやりとりを横でずっと聞いています。


りょうちゃんは思いきって、ひょいと手で拾い上げました。逞しいです!

途中、「かわいそう…」とつぶやいて虫を眺めつつ、もう少し触ってみたい気持ちも出てきたのか、羽をはがしてみる りょうちゃん。
それを横で見ていたそうたくんが「かわいそう〜、かわいそう〜!」と伝えます。

夏にクラスのカブトムシが死んでしまったときには、先生が土に還してあげる様子を不思議そうにじっと見つめる子どもたちでしたが、その時とはまた違う感情が子どもたちの中に生まれているような気がしました。

さて、(結局”高いところ”ではなかったけれど)みんなで納得のいく場所まで運ぶと、3人でしゃがみこんで、「おうち作ろう」「でっかいおうちにしよう!」と地面に何か描き始めました。

「虫さんのお家どうやって作る?」などとみんなの話も聞きながら、やりとりを進めてリーダーシップをとるあやかちゃん。あやかちゃんの提案を聞き、それを頼りにしながら虫を運ぶりょうちゃん。ふたりのやりとりをよく聞きながら一緒に協力するそうたくん。
子ども同士で話し合って、自然と役割分担して遊んでいるような姿が見られます。

相手の話を聞いたり、自分の意見を伝えたり、時には衝突して話し合ったり、それぞれの得意なことを生かして役割分担したり…。
ひとつのチームとして何かひとつのことを成し遂げるためには、様々な力が必要です。
それは、子どもたちが遊びや生活の中での体験を重ねながら、自分の力で身につけていく力ですね。

大人がすぐに答えを与えてしまったり、手伝ってしまったりすることは簡単にできるけれど、子どもの体験や育ちにとってはどんなことが必要なのでしょう…そのような視点で、子どもの姿を捉えたいと思っています。
それなので、子どもが何かに取り組むとき、それが「できた」「できなかった」という結果以上に、そこに至るまでの過程を大切にしています。子ども自身が何を経験し、何を感じ取っていたか?そのプロセスにこそ、子どもたちの学びや育ちがあるからです。それは、「遊び」においても同じですね。

3人が遊んでいる姿を見て、この1年での変化や成長を感じつつ、そんなことを思い返したのでした。

お外行きたくない

2022/03/05

みんなが靴を履いて外へ向かっていくなか、ベンチに座って、うつむいている子がいました。それにちょっと遅れてやってきた私が気づいて傍へ行くと『お外へ行きたくないな』と教えてくれてました。 そこでの関わりのなかで「あぁ、一年って本当にすごいな」と思うことがたくさんありました。

 


ちょっとお話ししよう。 と立ち上がり隅っこへ言って「どうした?」と聞くと『お外行きたくない』と言うのです。 こんな時に 困った と私達大人はよく考えてしまうのですが、果たして困ってしまうのはどうしてでしょうか。 大抵は大人側の何かしらの理由が大きくあって、困ってしまうのですが、子どもは困らせようとはしません。 きっと何かしら理由が絶対にあるのです。 こんな時に、私はよく心の中で【対話をしよう】とスイッチではありませんが意識します。(スイッチと書きましたがこれは、私がそのような事を意識することが冷静で、落ち着けるスキルのようなものであってそれぞれやり方?はあると思います)

さて、ここで最初のすごいなの場面になるのですが、行きたくないと答えてくれた後に「そっか。どうしていきたくないの?」『……』 「理由があるんだね。そっか。なにかやりたかったのかな?なんだろう。。。」と伝えると次の瞬間『LAQやりたかったんだよなぁー。』と教えてくれました。  いやぁー一年の育ちってすごいな!!!です。 自分の気持ちを相手にわかるように伝えられるようになったんだな!

 そこで、外へLAQができるように用意して出発。その時には用意する先生と外にいる友達のところまで競争が始まって遊びに行きました! このような時に、保育士の幸せを感じる一時でした。 

 

自立の姿(その5)衣服の脱ぎ着

2022/03/05

(90度が4か所あるのが、お分かりでしょうか)

 

「先生、やって」「ああ、いいよ、向こう向いてごらん」

3月4日の子どもクッキングで、エプロンの腰紐を自分で後ろ手で結べないので、やってほしい、というのです。私は「ああ、いいよ」と、やってあげるモデルを見せるつもりで、そうしますが、先生によっては「お友達にお願いしてみて」と、子ども同士の助け合いの体験へ導くような返事をすることも多いです。

それはともかく、小学校中学年以降ぐらいになると、エプロンの紐を後ろで蝶結びできるようになるかもしれませんが、幼児では無理です。そこで大抵は、結ばずに済むようにゴムにしたり、マジックテープにしてもらっています。頭の三角巾も四角の状態から自分で被ることは、幼児ではまずできません。最初から三角形のゴム紐付きにしてもらっています。マスクも、どっちが上なのか「これでいい?」と聞いてくる子もいました。今のマスクは鼻を覆う方が少し窪んでいるデザインのものがあるのですが、その微妙な違いを見分けるのも、幼児では難しいのです。

衣服を着たり脱いだりすることができることは、衣服の着脱の自立といいます。昔、よく身辺自立といういい方で基本的生活習慣の自立のことを、そう呼んでいました。自分ものは自分で始末できる、というフレーズもよく使われました。身辺とか始末とか、けっこう強い語感の言葉が保育では使われていました。自分のことは自分で始末しなさい。生活力の鍛錬にも似て、訓練することが自立の秘訣かのように言われていました。身辺自立ができていないと幼稚園にはいけません。そんな雰囲気があった時代もあります。確かに、30人を一人担任で見るような教員配置の制度のままで(いい加減、無理な配置数はとっとと改善したらいいのに)、身の回りのことが自分でできないと、集団生活が成り立たない、そんな考えが保育の前提に横たわっていたのです。

人間が衣服を使うようになったのは、体を保護すること、体を清潔に保つこと、暑さや寒さの加減をすることなどの必要性からです。その目的を考えれば、現代では生活環境は安全なものになり、お風呂に毎日入ることができ、衣服も洗濯して常に清潔であり、部屋の温度も機械でコントロールできるようになり、衣服の役割は、この保護、清潔、保温などの役割を超えて、別の価値が付加されきました。

オリンピックの開会式などを見るのが、私は好きなのですが、何が面白いかというと民族衣装が登場する国や地域があるからです。でもウクライナのキエフの駅で戦火から逃れる人たちの報道を見ていると、怒りから胸が熱くなります。戦争は命も食糧も剥ぎ取り、衣服でさえままならない状態へおいこむ、惨たらしい卑劣な行為です。プーチンよ恥を知れ!

園児たちは、自分の服を見せてくれます。「ねえ、これ可愛いでしょ」と、今日はこれだよ、と見せてくれるのが朝の挨拶になっている子もいます。「うん、可愛いねえ」と心を通わせてにっこり。一度靴箱に入れた後で、通りかかった私に、わざわざ「待って」と声をかけて、買ってもらったばかりの靴を見せてくる男の子もいます。これらは最高の朝の挨拶ですね。このように装飾的服装つまり衣装の意匠の役割が大きくなりました。ミッキーやキティや鬼滅やシンカリオンが子どもたちの衣服に欠かせないものになっています。

そこで、話を衣服の着脱の自立の話に戻すと、これらを自分で着たり、脱いだりできることができやすいものにしていただきたいということです。頭の大きさに比べて首回りが小さいと子どもの力では頭が通らない、という光景を何度も見ます。体の大きさに比べてサイズが小さくて、右腕は通ったものの、左袖に左腕が通らない、ということもありました。夏の水着はぴっちりしすぎていて、ほとんどの子が自分では脱ぎ着できません(これは仕方ないかな)。

ボタンホールは大きめですか。窮屈だと、それだけて「できな〜い」に、なってします。

例えば、市川宏伸さんの著書にも、次のような説明がありました。

〈・・ぜひ育てていきたいもの。そのためには人との比較ではなく「自分としてはここまでできたから凄い」と思える「成功体験」が大切です。小さな事では、自分でボタンがかけられない子なら、ボタンホールの大きな服に変えて上手にボタンがかけられたならこれも1つの成功体験です。苦手な事は手伝って、1つでも成功体験を増やす丁寧な対応が必要です。・・〉

靴の脱ぎ着も、自分でできるようになるには、自分でやりたい!という時期がきたらチャンス到来です。時間がかかっても、じっと待ってあげられる、余裕を持った時間配分をお願いします。身支度の時間というものを、生活の流れの中に確保してあげてください。できないところは手伝ってあげても、最後の「美味しいところ」は自分でやれた!、履けた!という気になるような援助がいいでしょう。

ジャンバーのチャックは下の始まりのところが難しいことが多いです。手が届かないこともあります。水筒も襷にかけることができるようになってほしい。紐が外れると自分でつけることができないことも多いですね。紐の長さの調節はこの幼児で無理なようです。また後で物の取り扱いのところでも触れますが、押して開く栓が固くて、自分では開けられない、という場合もあります。購入するときには、子どもと一緒にやってみて、自分でできそうかどうかも試していただくといいかも知れません。

これは単純に自分でできるようになることが、周りの大人の手を借りずにできるようになるから、周りの大人が助かる、ということ以上に大事なことがあります。それは実は、自信がつくのです。それが明らかに伝わってくる瞬間というものがないだけに、本当?と思われるかもしれませんが、満2歳になっていく前後から、なんでも「自分で!」という時期がきます。この頃からの発達課題にとっても、やってみてできるようになることが、生きる力そのものを育てている面があります。そう思って、排泄や衣服の自立を気長に見守ってあげてください。

幼児になると、自分でできること、お願いすればいいことの判断がつくようになりますから、もう大丈夫ですが、そこに至るまでの「自分で!」の時期は、子育ての我慢比べになることもありえます。どうぞ、大人がおおらかさと心の余裕を確保することを、セットで用意しておきましょう。(余計な話かも知れませんが、細かいところに気づけないのがお父さんですが、この場合のお父さんはお母さんの話をちゃんと聞いてあげてくださいね。)

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