
ご飯
れんこんの挟み揚げ
にらたま
だいこんの味噌汁
バナナ
麦茶
2021/12/14

ご飯
れんこんの挟み揚げ
にらたま
だいこんの味噌汁
バナナ
麦茶
2021/12/14

お好み焼き
麦茶
2021/12/13

今日は入園見学で3組の親子を2回に分けて案内しました。そのお母さんは1歳の自分の子どもが、初めて会った私に普通に抱っこされたり、園児に興味を持って自分から探検を始めたりする姿に驚いていました。こんなとき、私は「子どもは、子どものいる環境を求めている」ということを、実感するのですが、また同時にこうも思います。3歳まで親子で過ごすことの方がいいという常識は、人類の歴史から見ても、江戸時代までの子育てを見ても、まったくの誤りだと言うことです。このことは、多くの子育て家庭に早く気づいてもらいたいと、思い返すのです。
今月は樋口区長と意見交換をする機会があります。区長へはすでに3つのことを提案してあります。以下に、その内容を紹介します。
◆区長への提言◆
私は新聞記者だったのですが、今は保育園の園長をしています。平成20年告示の時の保育所保育指針は解説書を書きました。マスコミ時代と24年に及ぶ保育現場での保育の経験をもとに、就学前の非認知的スキルの育成、児童虐待の解決、学校のいじめ対策について、以下に3つの具体的な提案をします。
<提案3項目>
これらの課題を解決するためには、子ども同士のかかわりが豊かな保育園に対して、新たな時代にふさわしいアロペアレンティングな社会的役割を位置付け直す必要があると感じます。
(1)全ての千代田区民に対して、子どもが生まれたら、認可保育園に全入できるようにします。遅くとも6ヶ月から9ヶ月ごろまでに、育児休業を取得していても、赤ちゃんが集団生活の機会を得ることができるようにします。長時間保育は不要です。午前中だけ2時間ほど、子ども同士の関わり体験ができるようにします。いわば、これは3歳からの1号認定を、0歳にまで広げるという、新しい教育制度です。
(2)保育園をこれからの時代の社会的親として位置付け直します。人間は本来、核家族では育ちません。持って生まれた脳に相応しくない社会環境(人との関わり、身体的な感触遊びの減少、睡眠時間を含む生活リズムの乱れなど)が、親の子育てを苦しめ、虐待が増える子育て環境を助長しています。
(3)学年別の学習や生活が子どもの集団の権力関係を固定化し、いじめを発生させてしまう心理的なメカニズムを助長しています。異年齢の学びを入学前にも就学後にも大胆に取り入れて、個別最適な学びと協同的な学びを充実させるべきでしょう。
この制度改革によって、子どもの学力の基礎となる力の芽生え、特に創造性、コミュニケーション能力、協力する力、実行機能などの非認知的な力が育ちます。また減少する気配を見せない児童虐待の問題に対して、構造的な予防策に繋がります。さらに中教審答申後に動き始めている学校教育改革の中で、依然として未解決なままになっている「いじめ」の問題に、子どもの社会を育てることによる解決の道を見出すことができるはずです。
<背景>
ノーベル経済学賞を受賞したヘックマンの提言以降、教育・保育界は、VUCAの時代に向けて、自制心やレジリエンシーなどの非認知的能力を育てることが課題になっています。しかし具体的にどうしたら、それが育まれるのかについて教育・保育の現場にまだその具体的な方法論が浸透していないように思われます。一方OECD(経済協力開発機構)などの知見では脳の発達の敏感期は多くが1歳から3歳までにあり、その中に感情コントロールなど、脳の実行機能に大きな影響を与えるものが含まれていることがわかっています。
2021/12/13

いちごヨーグルト
ミレービスケット
2021/12/13

ご飯
しょうゆ麹焼き
キャベツの胡麻あえ
肉団子スープ
みかん
麦茶
2021/12/11
10月から再開した月1回のZOOMによる「オンライン・コーヒータイム」ですが、今日の3回目が終わりました。このコーヒータイムは、もともと平日の夕方に私がコーヒーや紅茶を用意して、2階のダイニングのところで開いていた茶話会なのですが、コロナで集まれなくなって、中止していたものをオンラインで再開したものです。オンラインだから休日の方がいいかな?と土曜日の午前中にしてみたのですが、都合の合わない方が多そうなので、開催方法や曜日、時間帯を見直したいと思います。またコロナが落ち着いたら対面に戻します。
3回のオンライン・コーヒータイムには、毎回ゲストをお呼びしました。10月16日(土)は、鬼ごっこ協会の羽崎貴雄さん。当園の鬼ごっこの浸透に協力してくださっています。11月27日(土)は睡眠インストラクターの永持伸子さん。毎月、オンラインの睡眠講座の講師を担当してもらっています。そして今回12月11日(土)は、コンテンポラリー・ダンサーの青木尚哉さん。昨年、今年の「親子運動遊びの会」で、ご存じだと思います。
この3人の方は、当園にとって、毎日の生活の質を高めるための協力者です。一言で言うなら、子どもにとっての「早寝早起き朝ごはん」を作り出すことにあります。これは、極めて重要なもので、子育てで何がうまくいかないと感じたら、まず、ここへのアプローチをやってほしいのです。
生活リズムは毎朝同じ時刻に起き、朝日などの光を浴び、タンパク質の入っている朝ごはんを食べ、午前中に散歩など外に出かけて光を浴び、活発に体を動かします。ここまでのために、外遊びに鬼ごっこ、室内遊びにダンスという、良質な伝統と自分らしい表現など、本物の遊びと表現スキルの学びを取り入れたかったのです。その後のお昼寝は夜の睡眠の質を高めるための準備活動のようなもので、全く役割が違いますし、あくまでの大事なのは夜の睡眠時間を10時間にすることを目指します。このように夜の睡眠までの、トータルな生活リズムづくりを永持さんに手伝っていただいています。
コーヒータイムでは、もっとプライベートな思いを語っていただいたのですが、3人に共通するものがありました。それは実際に自分の子どもを育てながら、もっとこうありたい、こんな社会になったらいいな、という熱い思いがあるということです。こんなに精力的に社会に貢献しようとされているのですから、その秘めた思いに触れると大いに励まされます。

今回の青木さんの話で面白かったのは、30年以上過ごした舞台上のダンスから降りて、街の中でのダンスに踏み出している経緯でした。その意味を探しているプロジェクトが今進行している「ダンスのある風景」です。興味のある方は、青木さんのファイスブックなどをご覧ください。

2021/12/10

(エレノア・ルーズベルトとスペイン語の世界人権宣言 ウィキペキアより)
精神的自由や移動の自由、言論や報道の自由が保障されない「人権」というものはない気がするのですが、それを制限しておいて、民主主義が成り立つという主張は理解できません。同じ場所に光と闇が両立できると言い張っているようなものです。白を黒と言い張り通せば成立してしまうのが専制主義の恐ろしいところなのですが、そんな国が増えているそうです。
そんな社会では「個人」がどう感じているか、何を望んでいるかさえ、表現されることができず、自由な精神の発露が封じ込まれてしまいます。希望が持てません。そこでは社会の「公正」というものを期待できなくなってしまうからです。未来は個人の多様性(ダイバシティー)や共生社会に向かっているという話は、虚しいスローガンにしてしまうのでしょうか。そうだとしたら、子どもたちにとっての未来を、大人の現在が奪ってしまうことになってしまいます。
赤ちゃんに自由があるでしょうか。大人と同じように自由なのでしょうか。自由とはなんでしょうか。いろんな定義がありますが、私は「自分が思い通りの自分でいられること」だと説明します。たぶん「自己意識」が発達して初めて、自由という意味がわかるのでしょう。保育では自立を目指すわけですが、それは自分で自由に生活できる基盤を育てているつもりです。やってもらったり、指示されたりしなければできないという状態は、不自由だからです。
そこで常に、自由の話をすると、義務の話が出てきます。義務がどこから発生するかというと、お互い自由を認め合うことに合意するところからです。個人の自由が先にあって、相互にそれを尊重しましょうというところから、社会の規範が生まれます。また同時に、そこから「善さ」の探求も生まれますが、その話はおいておいて、お互いの自由が先にあって、近代の憲法も「個人の尊厳」を基本理念に置くようになっています。
ということは、現実社会の中での自由というのは、「自律」と非常に近いものになります。自分の意志で自分の考えや行動を決定し、自分の生き方をコントロールする力だというわけです。どうでしょうか。
さらに、昔からこの話になると、運命論の話が出てきます。人は自分の意志で何かを決めているようにのように思っているかもしれないけれど、本当は生物としての欲求や社会的な欲求につき動かされているだけで、そんなに自由ではないんじゃないか、さらには、この話の先には、「なぜ私たちがここにいるのか」、「なんのために生きているのか」を考えると、わたしたちの存在を超えた、何か大いなる世界の必然に織り込まれているだけじゃないか、という人生の決定論も控えています。
人の尊厳は、精神的な豊かさを前提にしないと、それが損なわれたときに、何が損なわれてしまったのかが、わからなくなってしまいます。例えば、誰かが事故で亡くなったとします。その「損害」を日本では、逸失利益、つまり生きていたとしたら、どれだけ収入があっただろうとという予想額を損害賠償額にしてしまいます。人の価値を経済の物差しだけで計算しようとします。全くおかしな話です。これこそ憲法違反なのですが、そんな議論もあまりありません。
私たちは、保育を考えるときに、個人の価値を社会への適応度や経済的成功度を目指して考える習慣から自由になりたいものです。保育をサービスと名づけて商品にようにして、その満足度を高めようとする物差しだけは、保育の質が見えてきません。全ての子どもが自分らしく自分を生きること。それを尊重しあうことができる社会をつくらないといけませんね。自由に思い描いた希望や夢は、格差を残したままの優越的なドリームではなく、誰もが叶えるものであってほしいと願います。それが私の自由な意見表明です。
2021/12/10

マカロニきなこ
麦茶
2021/12/10

シーフードカレー
オニオンサラダ
コンソメスープ
みかん
麦茶
2021/12/09
鬼ごっこなどの運動を楽しむだけでなく、植物との小さな触れ合いもある佐久間橋児童遊園。9日(木)に出かけると「雨と風によって花弁が落ちていました。」

はなびらで パズル!五枚で桜みたい。

子どもたちは、それらを集めて種類別に分けておいておきました。
保育園に戻ったら、この花を水に混ぜるとどうなるのか。という色水作りへと発展しました。

というのも、実は今日の朝の集まりでは「ミキサーにかけた古紙から紙を作ってみようと実験を見ました」 その発想からか、水に混ぜる事が子どもたちから出てやってみる事に。
交代にモミモミと色が出てきて、きれいな色水が抽出できました。
更に、お花から これはアカシアのお花かな?ほら、ハチミツだよ!と本の中の植物から連想していきました。

午後になり、今度はその色水をコーヒーフィルターで染めてみました。すると、不思議なことに色がにじまず白いのです。ただ、時間が経過して乾いてくるとほんのり色が出てきていました。そのことに気付いた子どもたちでしたが、「なぜ?」って感じ。 次に公園に出かけた時には、収穫、収集に走り回る子ども達がいるかもしれませんね。
