MENU CLOSE
TEL

2021年 2月

成長展のためのミニ連載(7)模倣と学びの関係

2021/02/07

保育園の1階はちっち・ぐんぐんの生活エリアですが、そこで展開されている「模倣」を見てみると、子どもにとって子どもの存在がとても大きいことがわかります。お友達が楽しそうに遊んでいると、それをじっと見てた子どもがそれを真似しようとします。

遊具で遊んだり、絵本を手にしたり、カーテンの裏に入ったり、お友達が持っているものを自分も触ってみたいと思ったり。実に様々なことを子どもたちは見たり、真似したりしながら、「そのこと」を分かち合っています。「そここと」は思ったよりも広いもので、つい大人は「ままごと」とか「お買い物」とか「食事の場面」などと、わかりやすい場面で切り取ってしまい、「〜ごっこ」と名前をつけてしまいがちです。でも模倣は実に色々なところで生じています。

お友達が興味を持って手にした物を、自分も触ってみたいと手にしようとすることも、模倣ととても近い働きのように見えます。しかも、ここで大事なことは、お友達のやっていることをじっと見ている中で、いつのまにか「自分もやってみたいなあ」という自発的に「真似してみたい」という動機が生じていることです。心を寄せているお友達がやっていることだからこそ、自分も・・・という共感的な関わりが生まれているのでしょう。真似をしたいという相手やことがあることが、ここでの真似することの前提条件になっているではないでしょうか。心の通い合い、気持ちの重なり合いを求めている時もあります。

確かに、物に興味があって、知らない相手であっても「あ、あれ欲しい」と思って取ろうすることもあります。確かに、それは模倣とはいいません。でも、同じことをしたい(つまり真似したい)という動機は同じです。

模倣は、他者がある行動をしたとき、それを観察して同じような行動ができるようになることです。心理学などの辞書には「観察」と書いていることもあるのですが、実際の子どもたちをみていると、お世話をしもらうことも立派な観察の機会になっているので、やってもらったことをやってあげるようになるのも「模倣」があるからでしょう。お手伝いをしてもらった経験のある子どもは、よくお手伝いをするようになるのは、そこの「模倣」が橋渡し役をしていると考えられます。

このように、模倣は真似ることなので、色々なことを真似してできるようになることを「真似び」と呼んでいたわけで、それが「学び」の本質になっています。ですから、学びはとても広い世界です。共感作用と模倣作用が学びを生じさせているので、そうした状況や文脈があるところには、子どもの学びが生まれています。子どものそれまでに経験したことの積み重ねの延長に、身近な人がやっていることを「面白そうだなあ」、「楽しそうだなあ」とインスパイアされて、私も、僕も・・「やってたみい」となるのです。

ところで似た言葉に「学習」がありますが、それとは全く異なります。学校教育関係者は「遊びの中の学び」を「学習と同じである」ということがありますが(無藤隆)、実は全く異なります。学習には目的があってその手段を明確にする傾向が出てしまいますし、学習の内容は教える内容と同じだとみなしがちです。

しかし子どもの学びは、前述したように、その対象も内容も対人関係の中から生じるものが多いということも、学習とは異なります。特に学校教育の学習は、その内容は系統的な知識の羅列になっているので、子どもの個々の学びの文脈を考慮しにくく、本来の「学び」から遠ざかってしまがちです。子ども(人間)が先天的に持って生まれた学びには、いまだに人間的な謎に包まれたものがあって、質的にも哲学的な意味でも異なると言っていいものなのです。

子どもから学ぶ働き方改革 成長展のためのミニ連載(6)表象欲求

2021/02/06

このミニ連載では、模倣について、多面的に眺めています。そうすることで、模倣の特徴や役割、広がりや輪郭がハッキリしてくるかもしれません。模倣を前から横から上から斜めから、いろんな角度から見てみましょう。すると、模倣はまるで百面相のように多様な表情を見せてくれます。あるいは「だまし絵」のように、なにも無いと思っていた所に模倣が隠れていたりします。

一見して模倣だと分かりやすいのは、子どもが何かになった「つもり」で遊んでいたり、物を何かをに「見立て」たりしているときでしょう。前者を「ごっこ遊び」といい、後者を「見立て遊び」と言うことが一般的ですが、成長展では、この2つの様子を各クラスごとに動画でご覧いただく予定です。

子どもが頭の中でイメージしたもの、想像しているもの、思い浮かべているのもは、外から子どもを見ている私たちには見えません。子どもの精神世界は本人でないとわかりません。しかし、子どもの言葉や表情や仕草や行動から、こんなことを感じているのかな、思っているのかな、考えているのかな、と想像することができます。そうやって、私たちは子どもとコミニケーションをとっています。

子どもがイメージしていることを、話してくれればわかりやすいかもしれませんが、子どもがイメージしているものは膨大で、常に動き、うつろい行くものでしょうから、ボキャブラリーの少ない子どもにとってはなおさら、言葉という表象だけでは表し切れないものです。それが何故だか不思議なことですが、子どもたちは、その印象深く「心動かされているもの」を再現しようとします。私は「きっともう一度味わいたがっているんだ」と理解しているのですが、これは私の仮説に過ぎません。

でも私が「これは有力な仮説じゃないか」と考えているのは、大人も同じ衝動をもち、感じたことや考えたことを表そうとしたり、人に伝えようとしたり、分かち合おうとしている事実があるからです。表象を作り、それを共有しようとする衝動は、人間特有の大きな欲求なのではないでしょうか。子どもは持って生まれたものとして、つまり教わったり学んだりしたことではない「表象欲求」とでも言ってよいものを持っているのだと思います。ちなみにルドルフ・シュタイナーは、生まれながらにその表象を持っているとはっきり言っています。

画家が絵を描きたがり、詩人が詩にするように、子どもたちは見てきた風景をそこに再現したり、物語を演じたり、好きな歌を歌ったりと、意欲的に再現を「やりたがり」ます。お話の「てぶくろ」や「おおきななぶ」や「ももたろう」や「エルマーのぼうけん」も、あんなに上演したがる、小さな俳優たちでした。大人の画家、詩人、ミュージシャン、俳優、料理人、都市設計士、運転手・・ありとあらゆる表現者たちは、優れた模倣遊びやみたて遊びのプロたちなのです。成長展でご覧いただく動画には、子どもの画家、詩人、ミュージシャン、俳優、料理人、都市設計士たちが登場します。

なんと生き生きと活動していることでしょう。私たち大人は、このような仕事の仕方をしないといけないなぁと、子どもの遊びの姿から働き方改革のヒントを得ることもできそうです。

 

成長展のためのミニ連載(5)模倣が遊びを盛り上げる

2021/02/05

「園長ライオン」。Sさんは私と会うとホッとしたような顔で笑って、そう言うことがあります。最近はやってないのですが、ひと頃、朝の運動タイムで私がライオンになって子どもたちを捕まえて「食べる」という遊びで盛り上がった時期がありました。私に捕まると、抱き上げられ「むしゃむしゃむしゃ、Sちゃんを食べました」とライオンの家であるトランポリンの上に抱き下ろされます。トランポリンを3歳児のわいわいは10回、4歳児のらんらんは20回、5歳児のすいすいは30回ジャンプすると脱出できます。

ネットが森で、緑のマットを迷路のように立てて、ジャングルの樹々に見立てます。そこに隠れて逃げる動物を私が四つん這いで追いかけます。子どもたちも立って逃げてはいけません。四つん這いです。地面に手を着き、自然と受け身ができる身体になってほしいからです。「お、美味しそうな子どもの匂いがするぞ。アハハ。そんな所に隠れても無駄だあー」とかなんとか、ライオン語を駆使しながら、私は追いかけます。

子どもたちの中には「(僕は)サルだよ、こっちにおいでー」などと自分が動物になって、囃し立てる子がいます。ライオンは木に登れないという設定なので、私に捕まりそうになると、子どもたちはネットやクライミングに登ります。運動してほしいから、そうやって逃げながら運動するのは大歓迎。私は「もうちょっとで捕まえたのに」と悔しがり、「あー、眠くなったなあ。ちょっと一眠りするか」と寝たフリをすると、動物たちはライオンの立髪を触りに来ます。(私には自慢のフサフサの立髪があるんです。正直者には見えるよね、ということなっているので、大抵の大人には見えません)

そして「誰だぁ、わしの立髪を触るヤツは」と、がらがらどんのように目を覚まして、「またお腹が減ったなあ」と動物を追いかけます。朝のいい運動です。時計が「リリン」となると、ええー、もう終わり?!とブーイングが起きてました。こんなに盛り上がるの理由は、昨日説明した遊びの4要素が全部詰まっているからです。競争、運動、偶然、模倣です。ライオンや動物に「見立てる」力が人間になかったら、こんなに盛り上がって遊ぶことはないかもしれませんね。

2月6日 昼食

2021/02/05

チャーハン

わかめのスープ

えびのとろみ煮

いちご

麦茶

成長展のためのミニ連載(4)遊びと模倣の関係

2021/02/04

子どもが熱中して遊んでいる時、共通するいくつかの要素が見えてきます。1つは競争や勝ち負けです。鬼ごっこや、転がしドッチをしたり、ボードゲームで遊んだり、将棋を指したり、オセロを楽しんだりしている時、勝ち負けが遊びを楽しくさせています。ルールがあってそれを守ったり、新たに作ったりしながら、勝敗の行方を競います。

次によく見かけるのは、心地よい「動き」です。子どもは身体を動かすことが大好きで、性格や特性にもよりますが、じっとしているよりも、手足を動かしたり、触ってみたり、運動したりする感覚的な刺激を求めます。ブランコや遊園地の乗り物がどうして人気なのか、身体的な心地よさがあるからでしょう。

さらに、どうなるかわからないこと、AになるかBになるか、やってみないと分からないような事に興味を持ちます。「じゃんけんしよう」と言えば、大抵やります。分かれ道で「どっちにする?」と決めかねるとき、「・・カミサマノユウトオリ」などと判断を天に任せたり、サイコロを使った双六やボードゲームなど、偶然の成り行きや結果を積極的に受け入れます。

そして、この3つの遊びの要素よりも、もっと根底的で、遊びに限らず生活全般のなかで多く見られるのが「模倣」です。人がやっていることを真似したり、「物」や「出来事」と同じように、似ているように作ったりします。見たものややったこと、つまり「体験」したモノやコトを再現させよう、繰り返してみようとします。

この4つの要素が絡み合って、子どもの遊びは展開されています。ここまでは、ロジェ・カイヨワが『遊びと人間』の中で整理していますが、私はこの4つが並列的に等価なものではなくて、人間にとって「模倣」がより基本的なもので、人間を人間たらしめているものに見えます。

なぜなら人間と動物の違いがこの模倣にあったり、高度な文化を作り上げている理由になっているものだからです。そう、昨日まで語ってきたリプレゼンテーション(表象)につながる働きだからです。

園庭 「佐久間公園」

2021/02/04

認可保育園を設置する際には「園庭」が必要です。千代田せいが保育園では「代替え園庭」として、佐久間公園を利用しています。

バス遠足を最近実施していませんが、これには私たちの意図があり保育を計画してきました。その計画の意図は、また今度お伝えすることとして、子どもたちの様子からとても成長を感じる場面が沢山あります。

 

毎日同じ公園へ出かけるのですが、「変化」がないようで、変化を生み出す力を育むという点が、佐久間公園へ継続していく理由の一つでもあります。子どもたちは、「今日佐久間公園でこれをやろう!!」という目的を一人一人が持てるようになってきました。 また、毎日行くからこそ、「出来なかったことが、出来るようになった。」という姿も。 園庭化計画は、子どもたちにしっかりと身についてきたようです。これからも公園遊びの充実をたくさん作っていきたいと思います。

2月4日 昼食

2021/02/04

パン

マカロニチキングラタン

ブロッコリーのサラダ

かぶのスープ

みかん

麦茶

子どもの表現 成長展のためのミニ連載(3)再現される表象

2021/02/04

そもそも表象などという難しそうな言葉を使うから良くないのかもしれませんが、この概念は文化の根底にあるものなので、どうしてもスキップすることはできません。外来語を日本語に訳したものなので、日常会話に出てこないものなのですが、英語ではrepresentationです。どこかで説明したかもしれませんが、sentは「ある」ということ、preが付いているので「目の前にある」という意味になって、さらにreがついているので「再び目の前にある」というのが、もともとの意味です。

◆表象の定義

表象文化論学会による説明ではこうなります。

「表象」という概念は、哲学においては「再現=代行」であり、演劇では「舞台化=演出」、政治的には「代表制」を意味しています。

そこで私は子どもの遊びを観察してきた結果、子どもはそれまで経験してきたことをもう一度味わいたくて再現しようとする傾向を持っていて、それが大人から見た文脈では「模倣」という概念に当てはまるだけではないだろうか、本人は模倣しているつもりはなくて、ただ再現して味わっているのではないか、と思うのです。

◆模倣は再現された体験である

再現しているのですから、先行する経験があるわけで、無数にある体験の中から本人の「生」にとって意味のある何かが選び取られ、それが再現されているのが遊びであろうと見えるのです。

ですから、お絵かきであろうと、積み木遊びであろうと、そこに子どもがイメージしているものがあって、それが遊びの中で表現されているなら、それは表象行為なのです。1歳児クラスのぐんぐんさんが、どこまで鬼の腰巻を想像できていたのかわかりませんが(笑)、鬼の腰巻を「再び目の前にある」ようにした作品が保育室に展示されていたのでした。

◆成長する表象

そのように見るなら、積み木で積み上がっている高い塔は、ただ漠然と積み木を積んでいるのではなくて、東京スカイツリーや広州塔やCNタワーだったりします。昨日の話では大きい丸が表象世界だとしたら、それは成長によって豊かに広がっていくと言ったのは、3歳の時は東京タワーしか知らなかったのに、今では世界中の高い塔の名前や何メートルまで覚えていたりするという意味です。子どもの住んでいる世界が言葉(表象の代表格)の習得とともに広く豊かになっているわけで、これを成長と言わないわけにはいきません。同時に豊かな学びが展開されていると言えるのです。

今回、成長展の特別展示で、遊びの中の模倣を取り上げるために、その前提となっている表象という概念について、理解を深めておいて頂きたいのです。再現したいと思う「心動かされる経験」が先にあって、その経験の質が表象の広がりと豊かさをもたらしているという関係を押さえておきたいのです。

今日3日(水)も、色々な生活と遊びの中に「再現」が起きていました。そんな視線で、子どもが何かを繰り返しやろうとしていると捉えてみると、そこには「意味のある経験が創発している」のかもしれません。その話は明日以降にまた。

立春を迎えて

2021/02/03

ことしの節分は、幸い、ちっちぐんぐん組にはこわい鬼はやってきませんでしたが、「オニライス」や恵方巻きを食べたり、豆まきの歌を歌ったり…ぐんぐんさんと一緒に、さまざまな形で行事を味わいました。

 

まだまだ寒いですが、今日は立春、暦の上ではもう春です。春夏秋冬…いろんな季節を過ごしてきて、もうすこしで1年が経とうとしているのですね。あと2ヶ月ほどで新しい年度を迎えると思うと、早いものです。少しずつ、次のクラス移行保育が始まっていきます。

 

さて、今日みたいな日差しの気持ち良い日は、なんだか気分も晴れ晴れしてくるようです。

今朝は、いつもに増してノリノリな様子の朝の会でした。

「お花もニコニコ笑ってい〜ます〜♪」
歌に合わせてかわいいふりつけは、りょうちゃん。

 

そうたくんも、先生の顔を見てにっこり。

楽しい気分で1日がスタートしたようですね。

日中は、久しぶりに、お散歩に行くことができました。

 


たっぷり遊んだ帰り道、あたたかい日差しが心地よかったのか、りょうちゃんはバギーの中でうとうと…💤

 

top