MENU CLOSE
TEL

2021年 1月

今週も無事に終わり・・

2021/01/23

4月からの進級に向けて、1つ上のクラスに移動して過ごすことが増えてきました。それもあってか、2歳のにこにこの子が「わいわいさんになる」ことを楽しみにしていたり、5歳のすいすいの子が「ひらなが」を書くことにとても興味を持って取り組んでいたりします。18日(月)には布川先生が、ひらがなの一文字ずつを丁寧に綺麗に書くということを子どもに体験してもらっていました。

今週の保育エピソードの中にこんなこともありました。昨日22日の朝、3階の幼児のフロアに顔を出しても、誰も「クライミングゾーン開けて」と言いません。これは初めての経験でした。新聞紙から「の」の字を探していたり、新しいレゴブロックで何か作っていたりして、それぞれの遊びに熱中していました。珍しい、こんな日もあるんだなあ、と思ったものです。朝の運動欲求もだいぶ落ち着いてきたのかもしれません。これも育ちの姿の1つです。

土曜日23日の夜、今週も無事に終わりそうです。無症状でも感染しているかもなどと言われると、微熱がでたり、咳が出たり、喉が痛かったりしても、それもコロナかもしれないと不安になってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。〜かもしれないという不安は、正しく恐れることを難しくするものですね。明かに症状がある場合はかかりつけの医師に相談してください。症状がない時はやるべきことを続けていくしかありません。気を揉みすぎても良くないので、できるだけコロナのことは忘れて、楽しい時間を過ごしましょう。

マルクスと保育の交差点

2021/01/22

午後のおやつの時間に「園長先生!」と後ろから声をかけられました。調乳室から事務室へ戻ろうとした時です。<ん?誰だっけ?>と、ちょっとびっくりしました。<ここは、ちっち(0歳児)とぐんぐん(1歳児)なんだけどなぁ、こんなにはっきりと、「 エンチョウセンセイ!」と言えるのは、<あ、そうか、お手伝いに誰か来ていたのか>と思いながら振り返ると、そこにいたのは、ぐんぐんのYちゃんではありませんか。「え?今、園長先生って言ったの、Yちゃん?こんなにはっきりと言われたのは初めてだなあ」と応えました。こんな時、子どもの成長を感じます。すごいなあ、と思いました。

そしてこんなことに気付かされます。これが人間の最も基本的な挨拶というものなんだろう。園長先生と声をかけたくなった気持ちがあったから名前をよぶ。それがまっすくぐに伝わってきます。別に声をかけて、何か特別に伝えたかったことがあるわけではなく(あったかもしれませんが)、名前を呼び合うということの中に、通わせたい気持ちがあるのは間違いないのです。この感触をお伝えするのに、わかりやすい話はないかなあと考えると、そう、あれです。好きになったもの同士が、相手と自分の名前の呼び方を共有し合いたいという気持ちになる、あれです。

「なんて呼んでほしい?」「・・・◯○ちゃん」

「わかった。◯◯ちゃん・・・」「・・・・❤️」

いえ、別にこんな話まで持ち出さなくてもいいのですが、気持ちを通わせるということの原型があるという話をしたくなったのです。もっというなら、名前も言葉もいらないかもしれません。目と目だけでも、気持ちを通わせることができます。一緒にいるだけでいい、ということが人間の欲求の根底にはあるでしょう。そういうものの育ちの姿を微笑ましく感じる瞬間というものが、私を呼んだYちゃんの声には感じられた、という話です。この気持ちの流れ合いを家族の中にもちづづけてもらいたい。ちゃんと挨拶ができる、ちゃんと何かができるという以前の、もっと大切な気持ちの息遣いを感じ合うアンテナを育てましょう。

午前中には、Kくんと一緒にいる時間がかなりありました。彼が大好きなYくんと気持ちの行き違いが生じて、辛い気持ちになり、彼の話をずっと聞いてあげていました。彼がいうには「Yくんに、あそこで2回、きらいって言われたの」と涙をこぼします。「それが嫌だったんだね」「うん」。そして同じフレーズを繰り返します。Yくんは「(Kくんが)怒ったのが嫌いだった」のですが、Kくんにとっては「きらい」と言われたこと自体がショックだったようで、ここに気持ちのすれ違いが生まれていました。いわれたKくんには、その違いが届いておらず心が傷つてしまいました。担任にそれを伝えると「ガラスのハートだから」と同情していました。どっちが悪いとか、こうすればよかった、とかいう話でもありません。人間である限り、このような行き違いやすれ違いをなくすことは不可能です。それがないように、繊細な神経を張り巡らして生きていくことも無理です。またもっと図太い神経を持つようにと願うのも違うような気がします。

私は切ない思いを感じた彼の気持ちがどのように育っていくのか、どんな歩みを見せてくれるのか、それをそっと待ちたいと思います。上手に折り合いをつけるだとか、挫けずに強くなれだとか、もっと優しく言おうだとか、いろんな「よかれ」を思いつき、言葉にしてしまうものでもあります。それもまた仕方がないことも分かります。しかし、です。この気持ちそのものを、もっとジックリと、しっかりと見つめてあげましょう。すぐに行動を促すのではなくて、その感情と認識の近さとか、鼓動の音とか、涙が溢れる瞬間と言葉の関係とか、そこにとても豊かな心情が息づいていることの素晴らしさを、もっと認めてあげたいものです。保育とマルクスの交差点もここにあるはずなのです。

1月22日 昼食

2021/01/22

ご飯

肉豆腐

さつまいもの天ぷら

ほうれん草の味噌汁

いちご

麦茶

成長展のお知らせを配布しました

2021/01/21

新型コロナウイルスの感染者数がピークを超えたと報道された今日21日(木)、来月の「成長展」2月15日から10日間開催の案内を配布させてもらいました。このホームページの「お知らせ」(パスワード必要)にも載せました。緊急事態宣言が発出されて今日でちょうど2週間、先週に比べて85%の感染者数に減少しました。減少し始めたとはいえ、このペースでは終息は春になります。1週間かけて15%しか減少しないと、一日の感染者数が500人になるのは3月にずれ込むからです。今日の成長展のお知らせにも書き添えましたが、感染状況によっては開催時期がずれ込むかもしれません。

成長展という行事は、この1年間の子どもの成長を、いろいろな側面からお伝えしようというものです。小学校の行事で例えると、名称は色々ありますが生活発表会とか学習発表会などと呼ばれるものに近いでしょうか。劇や合唱・合奏などもあれば作品展などの場合もあります。当園の場合はお楽しみ会とセットで考えてもらってもいいかもしれません。ただ異なるのは、保育園の場合は子どもの作品を通じて身につけたものを伝えようとしても、乳児など小さい子どもが「作品」と呼べるようなものを想定することは難しいのです。

そこで子どもが作ったものを作品と捉えるのではなく、子どもの育ちそのものが作品になるようにできないか、と考えました。そこで育ちの変化を定点観測することで、その変化が成長になるのではないか、そのために定期的に同じことをやってその変化を見てもらうことにしました。例えば言葉なら、自動車の絵を見て「ブッブー」から「くるま」に変わるかもしれません。表現ならりんごの「ぬりえ」の色や塗り込み具合に変化が見られるかもしれません。これを健康、人間関係、環境、言葉、表現の教育の五領域すべてでご覧いただく予定です。

1月21日 昼食

2021/01/21

ご飯

鶏の香味焼き

ブロッコリーのおかかあえ

ふのすまし汁

みかん

麦茶

成長展 お便り①

2021/01/21

このコンテンツはアクセスが制限されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。


就学を目前にした年長さんの育ち

2021/01/20

二十四節気でいう大寒の今日1月20日(水)、感心する子どもたちの姿を目撃しました。3階の幼児フロアで朝のお集まりが始まろうとしているときのことです。私が運動遊びを見守った後で、お集まりが始まろうとしていたとき、年長のKくんが年少のSくんに「Sくんはお当番だよ、お集まりが始まるよ」と声をかけていました。すると高い塔がまだ完成していないSくんは「もうちょっと、待って。これをやったら・・・」ともう少し遊びを続けます。それを受けてSくんはKくんの積み木づくりを手伝います。その手伝い方に感心したのです。

それは完成させることを手伝いながらも自分で遊びを区切り方を促すかのように、塔の頂上に乗せる最後の三角の積み木は「これ」と渡してあげていました(上の写真)。まるで私たち保育士がよくやるのですが、最後の美味しいところは自分でやって達成感を感じるように援助するということと同じだったのです。

例えば「衣服の着脱」という自立を育てるとき、靴をはく、ズボンをはく、などまだ全部を自分でできない頃には、できないところは手伝っても、最後は自分で「やった」「やれた」という気持ちになるような援助を心がけます。できた!食べた!やれた!という気持ち(心情)を持って終えることで、また自分でやろう!という意欲につながっていくからです。

年下の子どもの気持ちに共感し、その気持ちを理解しながら、援助していました。特にあれこれと言葉で言うことはありません。これが「見守る保育」の基本です。このように年長さんの年下の子どもへのお手伝いの姿を見ると、家庭も含めてこれまでの異年齢生活の賜物だなあ、としみじみと思いました。子育てにおいて大人も見習ってほしいものです。

お集まりが始まって出席を取るときも感心することがありました。その日の「出欠をとる」のは、数を確認するのが目的ではありません。お休みのお友だちの顔を思い出し、その子のことを思い浮かべ「どうしているのかな」と想像することが「出欠をとる」ことの目的です。

各グループの年長さんが「誰と誰がお休みだから何人です」のような内容を報告するのですが、そのやりとりを見ていると「お楽しみ会」でやった劇遊びのセリフを思い出しました。劇遊びで培った集団の中で役割を持った会話パターンを、このような集まりの中に応用しているかのように見えました。

小学校ではこのような場面が増えます。「他人が喋っている時にはそれを聞くようにする」ということが必要になります。お集まりは年長さんのその様子を年中、年少のお友達も身近にする機会にもなっています。気づきにくい集団の育ちですが、とても大切な大きな成長です。

姉妹園の保護者と一緒に保育を考えませんか?

2021/01/20

姉妹園の新宿せいが子ども園(新宿区高田馬場・藤森平司園長)で2月7日(日)、保護者が企画したイベント「藤森園長と考える『見守る』ってどうやるの?」が下記のようにオンラインZOOMで開かれます。時代が大きく変化していく中で、今とこれからを幸せに生きぬくために、大人はどうしたらいいのかを藤森統括園長と一緒に考えます。無料です。ぜひ、ご自宅からご参加ください。

20210120 新宿せいが子ども園保護者主催オンラインミーティング

 

「心からのお願い」のココロは?

2021/01/19

「園長先生、先週のブログを読んであれは私のことでしょうかと、心配されている保護者の方がいらっしゃいますよ」と、先生から話がありました。14日(木)に書いた「園長の心からのお願い」に対するものです。実はそのように担任に相談された方に限らず、15日(金)の朝には「大丈夫ですか?読みましたよ。何かあったんですか」と声をかけてくださった方もいらっしゃいました。他にもあのブログの内容について、<つまり、あのココロは?>と思われた何人かの方と、立ち話をしました。「ごめんなさいね。ちょっと書きすぎました。何のことかわからなくなってしまったかもしれませんね」と申し上げました。改めて説明しておく必要がありそうです。

お願いの趣旨(ココロ)は・・・

「緊急事態宣言が出て、これまで以上に不安が募る保育現場の中で頑張っている保育園、及び保育者を守ってほしい、支えていただきたい」

ということです。

いま在園している保護者の方の誰かを念頭に置いたものではありません。そういう場合は直接、その方とやりとりすればいいだけです。他の皆さんに語りかける必要はありませんから。

しかし、あのタイミング(宣言発出から1週間後)で上記のお願いをしたのは、皆さんと、ある思いを共有しておきたかったからです。それは年明け1月2日のブログで書いた「労り合いの気持ち」です。今後の展開次第では、最悪の場合、保育園から陽性者がでて臨時休園になってもちっともおかしくありません。近隣の区でそういう事態がすでに実際に起きており、突然明日から保育園が閉まります、ということになるかもしれません。

その時、どんなことが起きているかというと、当事者(保護者や職員)が責任を感じてしまい、そのダメージは相当なものになっているのです。緊急事態宣言から発出されて1週間たったときでも、今は「緊急事態なんだ」という意識が世の中に薄く、私は「これはまずい」という危機感に襲われました。そのことは15日(土)のブログに述べた通りです。保育園の職員の意識と周りの方の意識のギャップです。

14日の「お願い」では、子どもの保育が保護者に向けられるサービスに変質していった過程にまで遡って述べたことが分かりにくさの一因になったかもしれません。その過程を書いたのは私の中に「やってあげる丁寧な保育」の落とし穴と「危機の時でさえ、いつも現場丸投げ」の厚生労働省への不信があるからです。保育園を脆弱な構造のままに放置しておいて、児童福祉施設だから何があっても閉めない。そのアンバランスさへの憤懣です。もちろんコロナ対策の不作為への疑惑もそれに拍車をかけているわけですが。

アロペアレンティングが必要になったことと子どもの自立度の現状は、時代と社会構造の変化が原因であって、それをどうにかしてほしいと「お願い」しているのではありません。ただ、このような善意と奇特さに支えられている保育園の現状を理解しておいて欲しかったのです。先生たちの頑張りと不安感を前にして、悔しい気持ちを抑えられなくなったのです。そういう気持ちになるようなきっかけがあったのは事実ですが。ここが誤解されてしまったかもしれません。

top