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2022年 8月

8月22日 昼食

2022/08/22

ごはん

キャベツの味噌汁

鶏のさっぱり焼き

切り干しだいこんの胡麻和え

キウイ

麦茶

ボールうけとってね

2022/08/21

わらす組からお姉さんたちが遊びにきてくれました。
りょうくん、ボールプールに入ると、すいすい組のあまねちゃんにボールを差し出します。



熱視線で訴えながら、受け取ってくれるのを待っているりょうくん。 

でも、あまねちゃん、ほかのことに気が向いていて、りょうくんからのメッセージになかなか気が付かいていないみたい・・・
そんなりょうくんにかわって、あまねちゃんに「りょうくんが”どーぞ”だって」と伝えると、りょうくんの姿に気付いて「ありがと」とボールを受け取ってくれました^^


りょうくんも『うんうん』と頭をぺこりとさげて応えます。

そして、あまねちゃんがまたボールを渡してくれると、再びあまねちゃんにボールを差し出します。
『あまねちゃん、受け取って〜』というように、じーっとあまねちゃんの顔を見つめながら
ボールを差し出すりょうくんの姿が、なんとも健気でかわいいです。

言葉はないけれど、仕草や目線で一生懸命サインを送っている、ちっちさんです。子どもの同士の世界を大切にしつつ、時には言葉を添えて、その関係をつないでいってあげたいですね。

あたらしい保育イニシアチブ2022「対話をはじめよう」

2022/08/21

これからの保育を語り合うシンポジウムが21日(日)東大で開かれ、1時間のメイン会議に参加してきました。テーマは「子どもたちと未来をつくる〜映画「こどもかいぎ」公開の寄せて〜」で、登壇者は映画監督の豪田トモさん、玉川大学の大豆生田啓友さん、みんなのみらいをつくる保育園東雲の成川宏子園長先生、モデレーターは認定NPO法人フローレスの駒崎弘樹さん。私の話は「こどもかいぎ」を実践したきっかけ、印象に残っているエピソード、子どもや先生が感じたメリット、そして大人も子どものように本音で自由に対話するにはどうしたらいいか、についてです。

今日までに豪田監督は映画をみた保育関係者や研究者、クリエーター、起業家、アーチストなどと対話を重ねてきており、たくさんの動画が配信されてきました。内閣府や厚労省も「こどもかいぎ」を重視してきており、これからの教育や保育の仕組みに入っていくことを、今回のイベントの実行委員会は期待しています。その趣旨に賛同した方々のボランティアで成立した今回のイベントですが、多くの保育関係者、園長以上の経営者が東大に集まり、3会場で10のセッションが展開されました。

私は5分間が2回、合わせて10分ほどの時間で、次のようなことを述べました。「こどもかいぎ」などでの対話は会話と異なり「人と向かい合う関係」になっていること。ちゃんと人と向かい合うことが対話であること。それが成立するために赤ちゃんの頃からの「声」を大人がちゃんと「聞く」こと、つまりそれに応答することが、子どもが人への信頼を獲得するベースになること。それはアタッチメントでもあること。それは大人も同じで、自由に語り合えるためには安心して話を聞いてもらえる信頼の場を作ること、日本人はたぶんリスク込みの他者への信頼力が弱いので、子どもの頃から話を聞いてもらうことの積み重ねが重要な鍵になること、などを伝えました。

このようなことが「こども」を真ん中にした世界を作るための条件のようなものであり、かいぎだけを開けばいいものでもないことはもちろんそうなので、どのようなことが大事なのかを考えていきたいと思います。

3年後の「こどもかいぎ」

2022/08/20

映画「こどもかいぎ」に出演していたこどもたちが、いまは小学校4年生になっているのですが、その子たちが再開して、ふたたび「こどもかいぎ」を開いています。その子たちはほぼ同じ小学校に通っているので、普段から会っている間柄とはいえ、改めて「対話」してみると新鮮だったようです。私も彼らのこの3年間の間の成長ぶりに驚かされました。

この「コロナ禍の子どもたちにホンネを聞いてみた」の収録は、第7波の頃なのですが、また子どもから見えている「大人」の姿とはこうなんだな、ということにも気付かされます。また、子どもの伝え合う力の成長を感じます。毎年でも半年に1回でもいいので、このような話し合い、対話を小学校、中学校、高校と継続してやっていける場は、今の日本の教育の中に、どうしても必要です。おとなもこのような場に率先して参加していくようになるといいですね。

制作遊びの中の道具

2022/08/19

幼児たちの「制作遊び」をみていると、何かを作るためのスキルが身につくと、それをいろんなところに応用して使いこなすことができるようになっていくことがわかります。ハサミの使い方、セロテープの切り方、糊の付け方、折り紙や画用紙の扱い方、色鉛筆の使い方やけづり方など、習熟していくのがみて取れます。

このようはスキルはどのような種類のものをどの程度扱うといいのでしょう。色々なものがたくさんあるので、広げていくとキリがないでしょうが、判断の基準は2種類ほどあるような気がします。一つは大抵の家にあって、日常生活の中で使われているもの。これは時代と共に消え去ったり、新しく登場したりしますが、それは仕方がないでしょう。これからは、このツール(道具)の中に、タブレットを入れていくことになります。

もう一つの判断の基準は、その道具の成り立ち、仕組みが子どもに理解できるもの、です。複雑すぎたり、操作や仕組みの過程がわからないものは、幼児の操作活動の中に取り入れても、意味ある体験になりにくいでしょう。仕組みがわからないブラックボックスだと、「どんな風にしてそうなるのか」に関心の向きようがないでしょう。そう考えると、調理道具や、工具などは子どもと一緒に体験した方がいいものです。ボールの中で何かを混ぜる、包丁で野菜を切る、うどん粉をこねる、シェイクしてチーズを作る・・・など。また工具ではシンプルに釘と金づち、万力、ノコギリ、ドライバーなどもいいでしょう。

ものとものが、どんな形や力を加えると、こうなっていく、というプロセスを体験していくことは、暗黙のうちに幾何学や物理学を学んでいることになります。概念としての用語を後で学ぶことで、「明確で確かな理解」につながっていくでしょう。

8月19日 昼食

2022/08/19

牛丼

ちんげん菜の中華スープ

もやしのナムル

オレンジ

麦茶

「他者と出会う」ための信頼とは?

2022/08/18

わらす(3〜5歳)の制作遊びが活発です。昨日のクラスブログにもありましたが、やりたいごっこ遊びで使うものを制作しています。その集中ぶりに接すると、私は嬉しくなりました。制作ゾーンのテーブルでは足りず、ゲームゾーンでも制作しています。今日はそこで、ホールケーキを作ってました。かなり本格的です。昨日はカップケーキでしたから、スイーツが続きますね。ジュースもあります。このケーキ店は人気になりそうです。楽しみ。

さて、例によって「信頼と対話」の視点で今日の遊びを見つめてみましょう。この制作過程には、あまり「対話」はなさそうに見えますが、自分がやりたいことを実現させるために、折り紙、のり、セロテープなどの物との「対話」が盛んになされています。声の出る「言葉」ではない、モノとのやりとりは、ふつうは「対話」とは言わないのでしょうが、「こうしてみたら、こうなった」、とか「じゃあ、こうしてみたらどうなるだろう」とやってみるのは、モノからの応答もあるので、意図したことの働きかけによって、モノは変化し反応するので、これは広い意味でのコミュニケーションになっています。

モノが応答する、と言っても、モノからの応答は人のような手加減はなく、正確な働きかけをしなければ、期待したようには応答してくれません。でも正しく働き続ける限り、必ず同じように生真面目に反応してくれるのがモノです。人のような、気まぐれでムラのあるバラバラの対応にはなりません。なんと頼り甲斐のある、確実な相手なんでしょう。ここには、こうすればこうなるという、確かな信頼が成立していきます。こうやって作れば、カップケーキやホールケーキがゲットできるという確かな結果の見通し、約束を違わない、正直な他者がいてくれるのです。

それに比べて、私なんて当てになりません(笑)。そう言えばさっき、年長のOSさんにおこられました。「今日(こそ)は、ちゃんと園長ライオンやってよぉ〜」と。「わかった、やろう、やろう」と言いながら「ごめんね、今日も時間がないんだよ」と謝ってばかりで。やっぱり、なんど言っても当てにならない私のようはヒト相手の「対話」より、おもちゃやゲームや絵本などのモノ相手のほうが信頼できるというものかもしれません。それならヒトは子どもに愛想つかれる前に、ちゃんと約束は守れるようにしないといけないですね。そうしないと、ヒトがモノであるロボットやAIやアバターに乗っ取られてしまうかもしれません。

期待した通りに他者から何か反応が戻ってくることが、他者への信頼を得ていくのだとしたら、それはヒトに対してもモノに対しても同じように言えるでしょうか? そこは違いますよね。ヒトとしての「他者」には、決して分かり合えない他者性というものが厳然としてあります。しかしモノには、そういう意味の他者性はありません。モノを信頼することとヒトを信頼することは、その信頼の意味が180度違うのです。どう違うか?それは最終的には決して分かり合えない他者性というものを前提に人間関係は成立していくようにしていくのですが、モノにはそのような、分かり合えない他者性などはもともとないからです。

分かり合えない他者だからこそ、分かり合えることへの希望を持ち続けることが生きることだと考えるなら、こどもかいぎやサークル対話は、わかりあえない他者との出会いを学ぶ機会になっていくのでしょう。

 

綿あめづくり

2022/08/18

綿の素材を見つけて、これで遊びたいの!というお友だちがいたので、今日は綿あめづくりをしました。

↑バスライトイヤーの綿あめ😊

作り方を覚えたお友だちは、「やりたーい!」とやって来たお友だちに作り方を教えてあげる姿もありました!

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