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2022年 6月

0歳からのデモクラシー

2022/06/24

私が霊長類研究者の話を聞くのが好きなのは、ヒトを親類の霊長類と比較することによって、人間の特徴がよくわかってくるからです。例えばゴリラと40年以上一緒に暮らした山極寿一さんの話は、どうして人間がウクライナ戦争のような愚かなことをしでかすのか、参考になります。あるいはチンパンジーと心を通わせてきた正高信男さんの言語学は、当たり前のように思っている赤ちゃんの言語獲得の不思議さといったことを思い知らされます。

今朝朝早く、東の空に惑星が直列したのですが、人間はそんな天体予測ができるような科学技術を発明する一方で、毎日100人から200人以上の戦士の戦死者を出している戦争を4ヶ月以上も続けてしまうことも、霊長類の中では人間だけです。偉大なのか愚かなのか、こんなに極端なことをしでかす人間と言う不可解で不条理な生き物は、これからどんな世界を作り上げていくのでしょうか。それがどんな世界であろうと、子どもたちはその世界の中へ、足を踏み入れて行くことになります。

山極さんは、フィールドワークをしているときにゴリラの群れにしつこく迫りすぎて、2頭のメスゴリラに後頭部と足を噛み付かれ、死にそうになったことがあります。その時とどめを刺されずに済んだのは、オスゴリラが、その瞬間に止めに入ったからだそうです。ゴリラは人間を恐れており、ヒトを殺してしまうと厄介なことになることを知っているからだといいます。ゴリラ同士の戦いでも、胸を叩いてドラミングをして威嚇はするが、致命傷を負わせるような殺し合いは決してしないそうです。本気で戦ってしまったら失うものが大きすぎるからです。

人間が行う戦争は、国と言う単位の主体同士が領土、エネルギー、食糧をめぐって所有権を奪い合うパワーゲームなので、国民はその手段を担わされます。国が個人の尊厳と生命を犠牲にさせるのです。国が国民を守るために戦争をするのではなく、国家という共同幻想体を維持、拡張するために、国民が犠牲になるのです。その事は、日本が中国や米国と戦争をした経験からも明らかです。暴走してしまう国民国家をどのように国民がコントロールしていくか、そのために作られたものが戦後の憲法でした。

7月10日の選挙に向けて、民主主義とはどういう姿でなければならないのか、人間だけが獲得した言語を使って、個人の尊厳を守ることができる政治の形を成熟させていくことが大人の責任なのでしょう。

「泣いているだけではわからないから、言葉で言おうね」。「どうして欲しいの、手伝ってあげるよ」。「お互いに言いたいことがあるから、ピーステーブルに行って話し合おう」・・・

保育園の子どもたちがやっていることと、G7や国連でやろうとすることは、その本質は同じだと思います。選挙権は18歳からでも、デモクラシーは0歳から始まっているのです。

 

歯科保健教育 (らんすい組)

2022/06/24

今日は、千代田区の保健所より歯科保健教育の一環で子どもたちに、「歯磨き」「唾液をたくさん出す事」などをパネルシアターを使って子どもたちにお話をしてくれました。 らんすい組と、選択でわいわい組のお友達が参加しました。

エプロンシアターやパネルシアターに子どもたちも釘付けになってお話を聞いていました。

 

自分を取り戻すために

2022/06/23

先日NHKのドキュメンタリー番組で、写経に通う人たちの72時間を描いていました。般若心経を1文字1文字写すことで、どこかに忘れてきた自分を取り戻して、また日常に戻っていく。どこから来てどこに戻っていくのか、精神的コンディションを整えるためだったり、あるべき自分を思い出すためだったり、そこに通ってくる人たちは、それを行うことでまた、自分の「本来」に立ち返って行くように見えました。

写経は1人で行うものですが、仕事から離れて、あるいは家族から離れて、自分の中にある「厳かなものに向かう自分」と対面しています。1人でやっているように見えながら、無言の対話のようなことを、意識しているにしろ、しないにしろ、やっているのかもしれません。日々の生活の中で溜まっていく心理的な澱(おり)のような、あれこれを、浄化していきたいと願う欲求を私たちは持っています。

頭の中をスッキリさせたい、心を整理したい、すり減った感覚を蘇らせたい、そんな復元力を得たいと人は感じています。それはきっと子ども同じなんでしょう。モヤモヤした気持ちが渦巻いていたり、わけもわからずイライラしたり、自分だけでは収まらずに、人に八つ当たりしたり、泣き叫びたくなったり、思うようにいかない自分の気持ちに手を焼いてしまうこともあるでしょう。

もしかしたら、そんな時に、人に役立つことをすることで自分の気持ちを立て直していくことがあるような気がします。人間には生まれながらにして、人に役立つ存在でいたいと思う傾向を持つと言われています。利己的という言葉の反対は利他的という言葉になります。たとえば進化生物学者のドーキンスは、人間の遺伝子は利己的であると説明しますが、進化人類学者は、人間の本性は利他的であるといいます。どちらの側面も持っているのでしょうが、類としての人間が利己的であったとしても、個人としての人間は利他的であろうとしているように思えます。

わいわい組のお友達2人が、ぐんぐんさんのお手伝いをしている報告を読むと、利己的に振る舞って喧嘩になってしまったバツの悪さを、年下の子たちへの利他的な行動によって補っているようにも見えます。人は心のバランスを取るために、他者にまさる優越感を覚えたりする一方で、自分よりも他者を優先する行動によって満たされる心を持っているのかもしれません。子どもたちが、小さな社会の中で見せてくれる姿の意味を考えると、はっとすることがあります。

クラスを超えて、共に生活する

2022/06/23

お散歩から帰ってきて、さてこれからお昼ごはん!という頃、わいわい組のゆうちゃんとみつほちゃんがお手伝いに来てくれました。

このふたり、どうやら虫カゴの取り合いになったようで、つい2、3分前まで玄関先でケンカしていたのですが・・・

気がついたら、「エプロンつける?」とふたりともテキパキとぐんぐんのお友だちの食事の準備を手伝っていました。


こちらがお願いした訳ではないのですが、昔からお手伝い好きなゆうちゃんは、自分の手洗いを済ませると、みずから声をかけてくれました。

お散歩帰りの手洗いが終わったぐんぐんさん、次にテーブルに座りにくる子は誰かな?と様子を見ながら、エプロンを持ってスタンバイ。ふたりでそれとなく分担しています。(さっきまでケンカしていたとは思えないコンビネーションです…)


驚くことに、ぐんぐんさんもみんな、嫌がることなく受け入れて、素直にエプロンをつけてもらっていました。

ぐんぐんさんと一緒にいただきますのごあいさつまでして、ゆうちゃんとみつほちゃんは自分たちのお部屋へ戻っていきました。

ぐんぐんさんのお手伝いをするうち、ゆうちゃんもみつほちゃんもモヤモヤしていた気持ちが晴れたようです。
保育園で過ごしていると、ケンカも悔し涙もガマンも…いろいろあるけれど、いろんな関わりがあるからこそ、いろんな気持ちの立て直し方が生まれますね。何で心が動いて、どこで気持ちを立て直していくか。。それは、その瞬間のその子(たち)にしか分からないものです。本人も気付かないうちに気分が晴れていた、なんてことも、あるかもしれませんね…!
今日は、ぐんぐんさんたちの存在が、ゆうちゃんとみつほちゃんの気持ちをふわっと和らげてくれたようでした。

もちろん、ふたりのお手伝い戦士の活躍ぶりにも助けられました!

様々な年齢、発達の子たちがいて、生活を共にする・・・そこには、いろんな関係性やいろんなドラマがあって、いろんな心の動きがあります。そんな集団ならではの良さのようなものを感じた場面でした。

だるまさんがころんだ

2022/06/23

だーるーまーさーんーが
こーろーんー

だっ!


だーるーまーさーんーが
こーろーんー

だっ!


だーるーまーさーんーが
こーろーんー

だっ!

 

だーるーまーさーんーが

こーろーんー

だっ!

カーテンの中から大人がばぁっと顔を出すたび、ニコニコ近付くりょうくんとれあちゃん。しおんくんとゆたかくんは、同じ場所から動かない作戦のようです😌

楽しいときや面白いときにケラケラ笑ったりにっこりしたり、声をあげたり、遊びの中でも表情が増えてきて、楽しいです♪

りょうくんは、にこにこ組のお友だちがソファの上でぴょんぴょん楽しそうに跳ねるたび、「エヘッ」と笑っていました。
しおんくんは、カーテンの裏に隠れていた ぐんぐん組のあまねくんを見つけて、「キャー!」と大喜びで、ふたりで盛り上がっていました。
そんなふうに、お友だちの楽しそうな姿に吸い寄せられ、一緒に楽しむ姿も見られるようになっています。

6月23日昼食

2022/06/23

ごはん

とりの香味焼き

じゃがいものにもの

ほうれん草のみそしる

 

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