MENU CLOSE
TEL

2022年 5月

社会情動的スキル11 エージェンシー

2022/05/04

エージェンシーとは「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」のことです。2015年にOECD(経済協力開発機構)が発足させた「エデュケーション2030」(正式には、「OECD教育とスキルの未来2030」といいます)は、「ラーニング・コンパス」の中の中核的な概念になっています。

端的にいうと、子どもたちが大きくなった頃、自分や社会に変化を起こし、責任を持って社会に参画する力がどうしても必要になる。もう、これまでのように「お膳立てしてあげるから待ってなさい」では到底、間に合わない。世界の大きな変化に対応できる力(コンピテンス)を身につけてもらうしかない。・・・

確かに日本に住んでいると、こんな切迫感はあまり感じないで済んでいるかもしれません。OECDの議論を読むと、世界(地球)を襲っている変化は、並大抵のものではないことがわかってきます。これを「メガトレンド」と呼び、子どもたち(生徒たち)が立ち向かわざるを得ない問題が、すぐ目の前にあることに警鐘を鳴らしているのです。

例えば、AI(人工知能)など科学技術の発展、テロや戦争の増加、(ウクライナ戦争でもはっきりした)民主主義の後退、加速されていく移民や難民の増加、地球温暖化の最終局面、止まらない経済格差、雇用のオートメーション化と失業、肥満や自殺の増加・・・このような大きな問題が世界を覆っています。

そして日本はそれらのデータの中では、どれも危機が小さいので、呑気なままでいられるのかもしれません。ただメガトレンドの中で、日本がOECD加盟国の中でよくないのは、少子高齢化と自殺率の高さです。15歳の精神的幸福度も38カ国中37位です。

このようは背景があって、世界はこれまでの学校教育では、このメガトレンドに対応できない、どういう力を備える必要があるのか、という、その議論の中から出てきたものが、この耳慣れない「エージェンシー」という言葉です。OECDの報告書は「スチューデント・エージェンシーStudent agency」という言葉で使われています。生徒エイジェンシー、です。2015年のエデュケーション2030第4回会議(北京開催)で、イギリスの教育実践家として知られるチャールズ・リードビーターが提案したといいます。彼はTEDでも世界の教育の現状や未来の教育について説明していて面白いです。

チャールズ・リードビーター(TEDより)

日本語で、和製英語になっているエージェントというと、代理人という意味ですし、本人から委託された人が、代わりに契約をしたり交渉窓口になったりする人や組織を指します。旅行代理店は旅行エージェントですし、大リーグ移籍の交渉人も野球エージェントです。私はエージェントと聞くと、映画「マトリックス」で、キアヌ・リーブスを追いかける何人もの黒スーツのヒューゴ・ウィーヴィングを思い出してしまいます。

語源はラテン語の「行う」という意味の「agere」です。エージェンシーは、ウィキペキアによると「何かの外にありながら他の何かに影響を与える力」という意味がある、と出ています。OECDは現実のメガトレンドの濁流に押し流されないように、「私たちが実現したい未来」(The Future We Want )を作るために、生徒エージェンシーというキーワードを打ち出してきたのです。

私の手元にある書籍『OECDEducation2030 プロジェクトが描く教育の未来』(白井俊著・ミネルヴァ書房)は、その副タイトルが「エージェンシー、資質・能力とカリキュラム」となっています。エージェンシーとは・・・白井さんの解説を引用します。

「誰かの行動の結果を受け止めることよりも、自分で行動することである。形作られるのを待つよりも、自分で形作ることである。誰かが決めたり選んだことを受け入れることよりも、自分で決定したり、選択することである」(OECD  コンセプト・ノートより)。

私たちがよく使う主体性、という概念によく似ていますが、決定的に異なるのは、「私たちが実現したい未来」からのエージェント(代理人)というニュアンスがあるのではないかと、思います。白井さんが著しているこの本の中には、そうはっきりと書いていないのですが、これからの時代のことを考えるとそうなるのだろうと、想像しています。

社会情動的スキル⑩ 教育基本法との関係

2022/05/03

社会情動的スキルを育てようというとき、「能力」や「スキル」に比べて、あまり変化が望めない(と比較的おもわれがちな)「人格特性」「その人らしさ」の中で、どんなところに焦点を当てるべきなのでしょうか? まず教育基本法を確認してみましょう。その第1条(教育の目的)には、こう書かれています。

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

 

この冒頭に出てくる「人格の完成をめざし」とある、この人格がパーソナリティのことです。戦後すぐの昭和22年に、この教育基本法を定めたとき、制定の趣旨には「個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること」(文部省訓令)とされています。

また、その解説には「真、善、美の価値に関する科学的能力道徳的能力芸術的能力などの発展完成。人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない」とあります。

 

「ただ自然のままに伸ばすのではく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたらすこと」。この表現の中に、教育の意図性がよく表れています。教育では、よく「ただ〜するに任せるのではなく、教育的な意図やねらい、育てる目標や子ども像をもつ必要がある」というのですが、ここにもその「意図性」の強調が見られます。

 

実際のところ、教育基本法は、その「その人らしさ」であるはずの人格について、4つの普遍的な規準によるとされた項目を持ち込んでいるのです。それが次の文章です。

「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

 

①平和で民主的な国家の形成者

②平和で民主的な社会の形成者

③その形成者として必要な資質を備えること

④心身ともに健康であること

 

私は、この「民主的な社会の形成者」を育てることに大賛成ですが、この「形成者」になるために必要な資質とはどんなものなのでしょう。従来のままでいいはずはありません。

なぜなら、教育は「その人らしさ」を個人の尊厳として大事に守りながら、一方で望ましい社会、未来の社会を想定しなればなりません。教育には、この二つの視点が常に両輪として回っていく必要があります。ルソーが「エミール」と「社会契約論」の両方を書いたように、です。またルドルフ・シュタイナーが「自由の哲学」と「社会有機体三層構造」を著したように、そして千代田せいが保育園の保育目標が「自分らしく」と「思いやり」の両方を「意欲」でつないでいるように、です。個人と社会は切り離せないものです。

そうだからこそ、これからの社会を考えたときに、何が「普遍的で望しい規準」になるのでしょうか。私はこの規準を作り上げていくプロセスに子ども自身の参画、よりよいものを創造していくプロセスへのコミットメントが求められる時代になっている、と認識しています。それがどうあるべきか、と議論してきた検討した結果、 OECDは2030年までに達成してほしい教育プログラムの中に、子どもの主体性、正確には「エイジェンシー」という概念を打ち出してきたのです。エイジェンシーとは「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」のことです。

すいすいさんとの時間

2022/05/02

わらす組の子どもたちが、ちぐん組へお手伝いに来てくれています。
すいすい組のそうすけくん・はなのちゃんは、ゆたかくんを楽しませようと、オリジナルの「いないいないばあ」を見せてくれていました。

 


「いない いない」

「ばっ」

「いない いない」

「ばっ」

 

(初めて見たなぁ…!👀) リズミカルで、面白い動きの「いないいないばあ」に、ゆたかくんも、見入っていました。

 


絵本棚から絵本を取り出しては床に落としてみる すいちゃん。そうすけくんは、黙々と拾って一冊ずつ棚に戻していました。
「きっと絵本棚から出すのが面白いんだねぇ」と話しながら見ていると、
しばらくして はなのちゃん がやってきたときに「本を出すのが楽しいんだよ」と、教えてあげる そうすけくんでした。



『赤ちゃんのお世話をしたい!』『(自分が)お手伝いをしたい!』という気持ちが溢れて、時には すいすいさん同士で「ずるい〜」「わたしもやりたい〜」なんていう場面もあるけれど、ちっちさんと関わっている中で、「(この子は)◯◯したいんだよ」「ちゃんとさ〜赤ちゃんの気持ちを考えてあげないと〜」と、すいすいさん同士で話している声も聞こえてきます。
顔をのぞいてやさしく話しかけたり、”この子は何したいんだろう…?”とちょっと戸惑いながらも考えたりしているような姿も、あたたかくて素敵です。

今後、すいすい組の『お手伝い保育』が始まっていきます。この一年を通して、自分の「やってあげたい」という気持ちの前に、相手の子がほんとうに求めていることは何だろう?と考えてみたり、思いを巡らせたりする体験をたくさんしていってくれたら良いなぁ、と思っています。「何かをやってあげる」ことがイコールお手伝いというわけではなく、「相手のためになることは何か」と考えて時にはそっと見守ってあげられること…それはきっと、お手伝いの究極の姿なのではないかと思います。
(そして、どの子も、その力を持っていると思います。)
今後の姿に期待です!

ちっちさんも、そんなお兄さんお姉さんのやさしさに触れる時間になると良いなぁ、と考えています。

5月2日 昼食

2022/05/02

きのこカレー

コーンのスープ

ツナサラダ

バナナ

社会情動的スキル⑨ 誠実性(勤勉性)

2022/05/02

いつの時代にも、子どもの中にも人気者がいます。卒園していった子どもの中にも、みんなから慕われた人気者がいました。その子は、どの子にも分け隔てなく接し「優しくて誠実な子」でした。

教育はいつも、どこでも個人に色々な心理的な特性がある中で、それが個人の特性として、その人らしさである限り、その人としての「尊厳」は守らなければなりません。その一方で、教育は社会との関係の中で生きる人間存在の本質を考えたときに、その人の自由意志のもとで、よりよい結果に結びつく可能性の高い資質や能力は伸ばしていくことが求められます。

そこで、現在のところ、色々な「社会情動的スキル」の中で、何がよき結果に結びつきやすいのかというと、 OECDの研究報告では「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」だとされています。これが「子どもたちが人生において成果を収めることに役立つ」といいます。さらに「忍耐力、社交性、自尊感情なども重要な役割を果たす」とされています。社交性や協調性、情緒安定性を重要な要素に挙げています。

もう少し、研究成果を見てみましょう。よりよい結果につながりやすいとして、具体的に選び出された「非認知的能力」の中から15種類を紹介しているのが、小塩真司教授が編者の「非認知能力」という本です。

無藤隆さんが「心理学で実証された15種類の心理特性の研究から、①非認知能力は教育可能である②その教育は望ましい結果(学力や健康・幸福・社会的活動)につながる。本書から多くを学ぶことができた。広く教育・保育の関係者に勧めたい」と、その本の帯で推薦しています。

そして実は、その15の冒頭の最初の心理特性が、「誠実性」(勤勉性)であり、ズバリ人格特性そのものが取り上げられているのです。このパーソナリティ特性としての「誠実性」というのは、私たちが普段使っている言葉ですが、この人格特性は、「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」と強い相関があるというのです。誠実であるというのは、自分の気持ちに正直というだけではなく、「自分の衝動を社会の規範に沿って適切にコントロールし、課題指向的かつ目的指向的な行動をとる傾向」をさすそうです。具体的には「規律正しさや勤勉さ、慎重さ、責任感の強さ、計画性などをカバーする概念」だというのですから、そんな傾向を持っているなら、それは誰でも「いい結果につながるだろう」と思うはずですね。勤勉性という言葉を当てている場合もあり、人格特性の内容としては、同じになっています。

社会情動的スキル⑧ 人格との関係

2022/05/01

近年「ビッグファイブ・パーソナリティ」という言葉をよく聞くようになりました。このミニ連載のために読んでいるOECDの本「社会情動的スキル」や、参照している図書「非認知能力」(小塩真司編者・北大路書房)にも、登場します。先に、この言葉の意味を押さえておきましょう。

解説は早稲田大学教授の小塩先生です。心理学では人格のことを人格特性と言います。英語ではパーソナリティ・トゥレイツ(パーソナリティ特性)です。比較的、長期にわたって変わらない安定した特徴を示す言葉です。

「自分の性格は明るくて楽観的で、頼まれたら断れないたちです、よく『お人好しなんだから』って友達にからかわれます」なんていう話のときの特性です。

能力とかスキルではなく、その人らしさ、性格や気質と思ってもらえばいいのでしょう。

5つというのは、外向性、情緒安定性(神経症傾向)、開放性、協調性、勤勉性(誠実性)です。人の人格を考えるとき、色々な要素が複雑に入り混じっていて、いろんな見方や整理がされてきましたが、最近の心理学では、この5つが人格特性の傾向を考えるときに、主要な分析の視点になっているというのです。

小塩先生によると、「外向性は、活発で刺激を求め、他の人と一緒にいることを心地よく感じる傾向、神経症傾向は抑うつや不安や怒りなど否定的な感情の抱きやすさ、開放性は伝統やしきたりにこだわらず、新しい考えを求める傾向、協調性は他の人を優先して円滑な人間関係を営む傾向、勤勉性(誠実性)は真面目で目標思考的で規律に従おうとする傾向」(『非認知能力』(小塩真司編者・北大路書房)5ページ)だそうです。

この5つを育てればいい、という話ではありません。この5つの側面はその人の個性を捉えるときの特徴ですから、いいとかわるいではなく、その人らしさ、というものです。ただ、その特徴が今テーマにしている非認知的なもの、社会情動的スキルを考えるときに参考になります、という話です。

ちなみに小塩先生によると「能力」という言葉は、「何かを成し遂げることができる力や、その背後にある可能性」という意味があります。

また「スキル」という言葉には、「訓練などによって身につけた力というニュアンスを含む言葉」です。

そして「特性」は、「パーソナリティ特性のように個人に備わった心理的な性質であり、何らかの機能を持ちながらも時間的に安定した特徴」(前同)だと説明されていて、なるほど、と思います。

スキルも能力も特性も、なんとなく使い分けてきましたが、このような意味の違いが、確かにあるな、と思います。この本には、この能力、スキル、特性という言葉が持っているニュアンスの違いを表にしてあるので、紹介しておきます。

 

心理学的な個人差特性     能力◯ スキル◯ 特性◯

将来よい結果につながる可能性 能力◯ スキル◯ 特性△

生まれながらの要因(遺伝など)能力◯ スキル△ 特性◯

教育による変化の可能性    能力△ スキル◯ 特性△

 

スキルや能力は教育によって身につけることができて、それによって、将来よいことに結びつくというニュアンスを感じます。なので、社会情動的特性ではなく、社会情動的能力とかスキル、という言葉になっていることがわかります。

また話は戻って、人格特性の方は、持って生まれたもの、生まれながらにして持っていて、教育や経験ではあまり変わらないものを色濃く持っています。なので「社会情動的」なものを考えるときも、特性の方ではなくて、教育の対象となる能力やスキルの側面を考えましょう、ということなのでしょう。

ただ、特性は全く変わらない、というものではもちろんありません。変わらないなら、人格の涵養や陶冶を教育ではできないことになってしまいます。教育基本法はその目標が「人格の完成」を目指していることを思い出しておきましょう。

top