MENU CLOSE
TEL

2022年 2月

子育ては子どもを支えること

2022/02/07

子育てとは、本人が自立するまでに必要な援助です。子どもが大人になれば、なんでも自分できるようになり、援助がいらなくなります。自立すると言うことです。そして今度は自分が子育てをする側に回ります。子どもは大きくなるにつれて自立していき、援助する側になっていくことが大人になる、と言うことになります。すると、子育ては自立に向かって支えることですから、大人がさせてしまっては自立する機会を奪うことになります。本人の代わりになんでもやってあげてしまったら、自分で伸びようとする力を使うチャンスを失うことになります。これを過保護、と言います。

一方で、子どもの体験は、初めてのことが多いので、最初からうまくいくことはあまりありません。繰り返しやっていくうちに、身についたり、覚えたり、できるようになっていきます。その過程には「自分で考えて試す」ということが含まれてきます。いわゆる試行錯誤の過程です。自分でやってみようとしたり、挑戦してみたり、できるかな、でもちょっと怖いな、どうしようかな・・といった過程で、子どもは自分自身と向き合い、自分のことを振り返ります。決断して前に進むか、助けてと援助を依頼してくるか。このプロセスがとても重要な自立の過程になります。失敗を繰り返しながらも、試行錯誤しながらなんとかゴールに辿り着くと、達成感と共に自分への自信を持てるようになっていきます。

ところが、このプロセスがない子育てがあります。それは子ども自身に考える時間、試してみる時間、自分で創意工夫する時間がないような子育てです。ことある度に「ああしたら」「こうしたら」と指示を出し、言ってさせようとします。これを過干渉と言います。大人はできるだけ本人が困ったときだけ、援助してあげるようにします。「手伝って」「助けて」と言われたら支えてあげればいい、と言うことになります。

過保護は自立の機会を奪い、過干渉は考える機会を奪います。いずれも受け身な姿勢になって、自分からこうしたい、ああしたい、という意欲や自発性が損なわれてしまい、自信のない子どもになってしまいます。本来子どもは好奇心旺盛な心を持ってこの世に生を受けるのですが、過保護にされてしまうと、努力しないで目標に辿り着けるので、依存的な子どもになってしまいます。また過干渉にさらされると、本来自分で決めたい、自分で判断したい、という欲求があるので、自分なりの理屈や方法を編み出そうとして、反抗的になりがちです。

もう一つ、やってはいけない子育てが「放任」です。ネグレクト、育児放棄です。大人は子どもをしっかりみて理解し、子どもが困ったときに駆け込める避難場所、安全基地になってあげる必要があります。愛着(アタッチメント)というのは、この安全基地に大人がなるということです。不安になったり、困ったりしたときに、あそこに行けば助けてもらえるという見通しを持てる位置に、大人はどっしりと構えてあげるといいのです。エネルギーを補給に来たら補ってあげてください。気持ちをうけとめてあげて、しっかり応答しましょう。しっかりと抱きしめてげましょう。そうすると、子どもは回復してまた元気に遊び始めるでしょう。自分から離れます。大人は手を離すだけです。これを「ハンドオフ」するといい、日本語では「見守ること」に相当します。

自ら考えて判断する力、失敗しても挫けずに立ち直る力、自分で目標を立ててそれに打ち込む力、こういった力を使う機会を保障しましょう。すると、結果的に、その子育ての姿は「見守る保育」という姿になります。しかし、見守ることができるためには、いくつかの条件が必要になります。その一つが、自分らしさを発揮できる生活であること、一人ひとり異なる欲求が満たされるようなことを選べる環境になっていること、そして、子ども同士の豊かな関係があることです。この3条件が揃って初めて、見守ることができます。ただ3つ目の条件は家庭では難しいかもしれません。家庭には子ども同士で何かをして遊んだり、協力して何かを生み出したりできる環境に乏しいからです。

自分と相手の間にコミュニケーションを取りながら生活を作り出す当事者になること。これを生活への「参画」と言うのですが、昔、倉橋惣三はこれを「生活を生活で生活へ」と言いました。今では「環境を通した保育」と「子ども主体の保育」を併せて「社会生活者の一員として責任を持って、よりよい生活づくりに参画する」という意味になります。

2月7日 昼食

2022/02/07

きのこカレー

ツナサラダ

コンソメスープ

みかん

麦茶

みかん

登園している園児数の推移

2022/02/07

1月から本日7日(月)までの登園児童数は以下の通りです。

先週から感染性胃腸炎の診断が増えてきました。

その数は「感染情報」で、その都度、お伝えしている通りです。

登園していない欠席の内訳は、園児本人もご家族も元気で登園自粛されている方も含まれます。

園児の新型コロナウイルスの陽性は、これまで1月25日(火)にありましたが、その後はありません。

登園児童数の推移

 

 

移行保育で3階で遊びました

2022/02/05

(園長の日記より。写真は加工前のものと少し追加しました。園長)

 

いつもは2階で生活している、にこにこ組(2歳時クラス)の子どもたちが、今日の午前中3階で遊びました。4月からの生活に向けた移行保育です。絵本、ごっこ、制作、パズル、運動などのゾーンを選んでいます。この時期の移行保育で大切な事は、それぞれのゾーンに何があり、どのように使えば楽しい体験ができるのか、その使い方や遊び方を学ぶことです。

遊び方を学ぶ。遊びが学びである。似たような言葉ですが、実は内容は随分違います。遊び方を学ぶと言うのは、そこにあるものとの関わり方を学んでいます。ものをどのように取り出して、どのように扱うのか、終わったらどこにしまうのか、危なくないよな扱い方や、ものが壊れないような使い方などを学んでいます。

遊びが学びであると言うのは、そのものや場所と関わりながら体験していることが、身に付いていくと言うことです。どの場所で何をして、どのように遊ぶかは、それぞれの子どもたちが自由に感じ、考え、試したりして、いろいろやってみていいわけですが、その時に使っている身体的な機能や、精神的な機能、そして子ども同士の関わりの中で生まれる社会性の機能などが、使われています。

子供たちは、自分たちが既に持っている機能を、新しい環境の中で、新しい関わり方を覚えながら、自らの機能をより発達させていることになります。自分が既に持っている様々な能力を、環境と関わることによって、さらに伸ばしているわけです。自分が既に持っている能力が、コップの中の水だとしたら、新しい環境で過ごしながら、新たな能力がコップの中に注ぎ込まれているといえます。

自分が持っている力を、自発的に使おうとする傾向は人間は必ず持っており、これを「自発的使用の原理」と、昔、イスラエルの研究者ジャーシルドは言いました。子どもが、これもやりたいあれもやりたいと、何かをやりたがるときは、発達における意味がそこにあって、それをやることによって使われている能力が伸びようとしている、と捉えます。

にこにこさん達のやりたがっている様子を見ていると、「あーこんな所の力が伸びようとしてるんだな」と見えてきます。人の能力は、使わないと伸びないのです。そして、その能力が十分に獲得されて、新たな機能を伸ばそうとして別のことをやり始めることを「熱中転移の原理」といいます。その子にとっての次の発達課題、熱中してやり始めるテーマがそこに現れます。

これらは遊びの中の学び、と言うことが言えますが、小学校以降になってくると、意識して行う学び、自覚的な学び、と言う傾向が強くなっていきます。遊びと学びが分離されていくのですが、遊びの持っている要素が漂白されていて、繰り返し使用することが自発的ではなくなり、繰り返し行う内容が指定され、やり方も統一されることを勉強といいます。

学校教育の学びは、こちらの傾向がどうしても強くなるので、本来広い意味を持っている学びと言う言葉が、場合によっては狭い意味の勉強と捉えられてしまい、本人も学ぶ事は苦痛なものだと勘違いしてしまう不幸が発生しています。

そして本当にクリエイティブな仕事や、創造的な仕事に熱中している時、遊んでいるときのワクワク感や楽しさが含まれていて、本来の学びに近いものになります。ルドルフ・シュタイナーは、学校の授業も芸術的なやり方にしなさいと言っていました。それは質の良い遊びは、自身の発達にとって深い意味を持つ探究活動になっていると言うことです。移行保育中のにこにこさん達の姿を見ていると、遊びの中に自分にとって必要な能力を使える場所を探しているように見えました。

 

〜ゲーム・パズルゾーン〜

新幹線や恐竜の難しいパズルに挑戦!

お片付けの時間までに完成させることが難しかったので、貸してもらいにこにこ部屋に戻ってからもみんなで協力しながら夢中になってやっていました。

・・・最終的には完成!

1つのものに夢中になって遊びこむ時間も長くなってきて、難しいときはみんなで協力しながら取り組んだり、助け合う姿も増えてきました。完成すると、「やった〜!」と喜びを共有し、”じゃあ次は1人で頑張ってみよう!”と再び挑戦!すごい集中力です✨

ごっこゾーンでは、ゆずちゃんは武道会に行く準備をしていました✨

プリンセスがブームなので、ドレスに着替えてたくさんお洒落が出来るごっこゾーンは、ゆずちゃんにとってとても魅力的のようです♪

あと1ヶ月半程で進級になり、子どもたちの気持ちも高まってきているようです!

進級に向けての個人面談の日程を昨日コドモンで送りましたので、ご確認下さい。(体調やお仕事等、都合の悪い場合はお気軽に担任までご相談下さい!)

残りのにこにこ組での生活も、楽しい思い出をたくさん作りたいと思います♪

遊びの中の学び

2022/02/04

いつもは2階で生活している、にこにこ組(2歳時クラス)の子どもたちが、今日の午前中3階で遊びました。4月からの生活に向けた移行保育です。絵本、ごっこ、制作、パズル、運動などのゾーンを選んでいます。この時期の移行保育で大切な事は、それぞれのゾーンに何があり、どのように使えば楽しい体験ができるのか、その使い方や遊び方を学ぶことです。

遊び方を学ぶ。遊びが学びである。似たような言葉ですが、実は内容は随分違います。遊び方を学ぶと言うのは、そこにあるものとの関わり方を学んでいます。ものをどのように取り出して、どのように扱うのか、終わったらどこにしまうのか、危なくないよな扱い方や、ものが壊れないような使い方などを学んでいます。

遊びが学びであると言うのは、そのものや場所と関わりながら体験していることが、身に付いていくと言うことです。どの場所で何をして、どのように遊ぶかは、それぞれの子どもたちが自由に感じ、考え、試したりして、いろいろやってみていいわけですが、その時に使っている身体的な機能や、精神的な機能、そして子ども同士の関わりの中で生まれる社会性の機能などが、使われています。

子供たちは、自分たちが既に持っている機能を、新しい環境の中で、新しい関わり方を覚えながら、自らの機能をより発達させていることになります。自分が既に持っている様々な能力を、環境と関わることによって、さらに伸ばしているわけです。自分が既に持っている能力が、コップの中の水だとしたら、新しい環境で過ごしながら、新たな能力がコップの中に注ぎ込まれているといえます。

自分が持っている力を、自発的に使おうとする傾向は人間は必ず持っており、これを「自発的使用の原理」と、昔、イスラエルの研究者ジャーシルドは言いました。子どもが、これもやりたいあれもやりたいと、何かをやりたがるときは、発達における意味がそこにあって、それをやることによって使われている能力が伸びようとしている、と捉えます。

にこにこさん達のやりたがっている様子を見ていると、「あーこんな所の力が伸びようとしてるんだな」と見えてきます。人の能力は、使わないと伸びないのです。そして、その能力が十分に獲得されて、新たな機能を伸ばそうとして別のことをやり始めることを「熱中転移の原理」といいます。その子にとっての次の発達課題、熱中してやり始めるテーマがそこに現れます。

これらは遊びの中の学び、と言うことが言えますが、小学校以降になってくると、意識して行う学び、自覚的な学び、と言う傾向が強くなっていきます。遊びと学びが分離されていくのですが、遊びの持っている要素が漂白されていて、繰り返し使用することが自発的ではなくなり、繰り返し行う内容が指定され、やり方も統一されることを勉強といいます。

学校教育の学びは、こちらの傾向がどうしても強くなるので、本来広い意味を持っている学びと言う言葉が、場合によっては狭い意味の勉強と捉えられてしまい、本人も学ぶ事は苦痛なものだと勘違いしてしまう不幸が発生しています。

そして本当にクリエイティブな仕事や、創造的な仕事に熱中している時、遊んでいるときのワクワク感や楽しさが含まれていて、本来の学びに近いものになります。ルドルフ・シュタイナーは、学校の授業も芸術的なやり方にしなさいと言っていました。それは質の良い遊びは、自身の発達にとって深い意味を持つ探究活動になっていると言うことです。移行保育中のにこにこさん達の姿を見ていると、遊びの中に自分にとって必要な能力を使える場所を探しているように見えました。

2月4日 昼食

2022/02/04

ルーロー飯

キャベツのごまあえ

スティックきゅうり

白菜のスープ

みかん

麦茶

節分

2022/02/04

ぐんぐん組の子どもたちも、歌や製作、絵本…いろんなところで「節分」の行事を楽しんでいました。

作ったのは、「おにぼうし」。


出来上がると、うれしそうに被っていました。


『おにのパンツ』や『まめまき』の歌もよく熱唱していました♪さすが、歌うのだいすきぐんぐんさんです。


おにぼうしを被って、おやつの恵方巻き。

お昼の「オニライス」も好評でした!おかわりいっぱいしましたね!

節分の日に出ていくものと入ってくるもの

2022/02/03

自らの力を引き出すことが教育であり、期待されていることを取り入れることも教育である。そんな話の続きを考えていたら、今日は子どもたちが元気に「鬼は外、福は内」と豆まきをしたので、なんだか、水ではなくて豆の話をしたくなりました。なぜ節分で豆を巻くのかという「いわれ」に関する絵本を、先生に読んでもらった後、実際に豆まきをしたのですが(クラスブログをご覧ください)、ここで追い払う鬼が象徴しているものは、人間につけ入ってくる「魔」たちのことですから、これを「滅」するために、豆(まめ)を撒くという説があります。語呂合わせ説です。

その真偽はともなく、邪悪なものと善良なものが、何かの力や人間の知恵などによって交代する、入れ替わるという話が、世界中に見られる物語であり、邪悪なものとして、鬼や悪魔や怪物や化け物などが生み出されてきました。そして、大抵、それらの「魔」たちは、人間に謎めいた問いを投げかけ、人間が答えられたら、魔の仕打ちから解放されたり、許されたりするというパターンになっています。

この物語の構造は、ずっと昔から、人生の謎、命の神秘といった事柄の真実を会得した者たちが、その真実をこの世の言葉で喩えたときに出来上がるお話なのでしょう。約束をして守らないこと、嘘をついて人を騙すこと、そういった行為は自分と他人の人生を傷つけることになるため、人々の間で戒められれてきたことがわかります。鬼や福は、一体何を意味しているのか。寺や神社で節分の豆まきをするのは、この年中行事によって「謂われ」の中に息づいている倫理的な人間性の意味を、思い出すためなのかもしれません。

節分の会

2022/02/03

2月3日は節分の日。
節分の会を行いました。

鬼が嫌がるとされているイワシを実際に見て、匂いを嗅いでみる子どもたち。本物に触れる機会となりました。

その後は、なぜ、豆をまくようになったのか、その由来を絵本で学びました。子どもたちは、集中して見聞きしていました。

その後は、子どもたちが楽しみにしていた、豆まきです。

自分たちで作った鬼の豆入れに豆を入れ、鬼の絵に向かって、

「おにはそと!ふくはうち!」の掛け声で豆をまきます。

力強い豆まきでした。子どもたちが1年間元気いっぱい過ごせますように😊

 

節分製作のようす。

〜おまけ〜

節分の会後も、「鬼は外!福はうち!」と元気いっぱいなかわいいふたりでした😊

top