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2021年 5月

5月7日 昼食

2021/05/07

ご飯

さけちゃんちゃん焼き

ほうれん草味噌汁

いちご

麦茶

 

音楽が模倣しているもの

2021/05/06

子どものやりたがることに、いつも、いつも模倣があるのですが、そのことはこの日記でも「散々」と言っていいくらい書き連ねてきた気がするのですが、それでも、次のような考えがあることを知ってびっくりしました。

「音楽がわれわれの存在に奥深い内部にきわめて強く働きかけるのは、音楽だけが他のあらゆる芸術とは異なって、世界の存在物のなんらかのイデアの模写ではなしに、意志それ自身の模写であるからに他ならない」

「他の芸術は影について語っているだけだが、音楽は本質について語っている」

とても納得のいく説明です。お絵かきやブロックやままごとや、パズルでもいいのですが、それらに見られる模倣(模写でもいいのですが)は、確かに何かの模写であるのに対して(だからこそ「ゾーン」という空間的な場も必要になるのかもしれませんが)音楽は、メロディそのものが直接、私たちを生かせている世界の意志を奏でているんだと思うと、他の遊びの体験との違いに納得できるのです。

わかりづらいかもしれないのは「意志」の模写という意味でしょう。「世界は私の表象である」と考えるショーペンハウエルは、その表象を生んでいるものが世界の意志だと考えているからです。(これでわかりやすくなるとも思えませんが・・「意志と表象としての世界」を読んでもらうしかないかもしれません・・)

ただ、ここでいう「音楽」とは、いまの音楽とはちょっと違っていると思います。彼が語っている音楽は、今でいうクラシックのことですから、歌詞はないと思ってください。作詞作曲というときの曲の方だけです。それが世界の意志の模倣だというのです。言葉が表象しているものは、また別にあるのだろうと思います。

<世界の意志>というのは、人によっては神だったり、宇宙原理だったりブラフマンだったりしますが、いずれにしても不思議なことに世界を動かしている根源的な何かです。それを音楽は直接に表象してくれているんだというのですから、実に面白いと思いませんか?

私たちがなぜ、こんなに音楽を愛おしく感じるのか。私たちの命を生かしているものと、いわば出会っているようなものなのかもしれません。歌を歌いたい! 楽器を弾きたい! という衝動の源もまた、<私は今を生きたい!>という欲求の表れなのかもしれません。

5月6日 昼食

2021/05/06

ハヤシライス

キャベツのスープ

オニオンサラダ

バナナ

麦茶

明日から保育再開です

2021/05/05

二十四節気では「立夏」の今日5日の「こどもの日」はGWの最後の日でしたが、この連休、いかがお過ごしでしたでしょうか。緊急事態宣言の最中なので身近なところで過ごされた方が多かったと思いますが、今日のニュースを見ていると緊急事態宣言の延長は5月末までになりそうですね。「ロックダウン中でも蔓延したのがロンドンでした」。イギリスで治療にあたった医師がテレビで警鐘を鳴らしています。明日から保育再開です。インドからの変異株は今度こそ防いでもらいたいものです。水際対策には私たち市民は協力のしようがありません。国しかできないことは、国にしっかりやってもらうしかないのですから。

日本保育学会で実習について議論へ

2021/05/04

51516日に富山市で日本保育学会が開かれるのですが、今年はリモートによる開催になり、自主シンポジウムや口頭発表などを事前発表資料として見ることができます。この2年ほど私は参加していないのですが、それまでは毎年、保育実習のあり方についての話題提供で参加していました。保育園は保育士を養成する役割を担っており、実習はその養成課程の核とされています。学会が問題だと考えていることの一つに、実習で学生に「クラスをまとめる力」を求めてしまう保育現場の古い体質です。国も養成校も子ども主体の保育を推進したいのですが、なぜか実態は学生に保育者主体の一斉指導力を期待してしまうという矛盾です。責任実習というと一斉指導ができるかどうかになってしまう問題です。そうなってしまう背景には、3歳児20対1、45歳児30対1という保育士配置数の問題や、環境を通した保育の無理解などが続いていることもあるからです。学生に保育士資格を与えるのは養成校ですから、保育の実施主体である自治体と保育園側へもっと強く「子ども主体の保育」を実施するように要請するべきなのです。
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