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2020年 2月

自転車は区の駐輪場には置かないで!

2020/02/17

本日17日「大切なお知らせ」を配布しました。

園の隣の「岩本町臨時駐輪場」に保護者と思われる自転車が置かれて、本来の利用者の妨げになっているという苦情が、千代田区に14日(金)夕方、メールで区にきたそうです。もし保護者の自転車だとよくないことなので、そのようなことがないように、くれぐれもお気をつけいだだき、必ず保育園の駐輪場を使っていただくようにお願いします。

20200217絶対に「区の駐車場」に置かないで!!

 

 

表現②豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする

2020/02/16

15日(土)の午前中、私が昨年3月までいた八王子の「せいがの森こども園」が開いた行事「成長展」に出かけてきました。成長展は子どもの成長をお伝えするものです。これは、現在の子どもの状態をお伝えするだけではなく、昨年の4月から毎月、記録してきた育ちを並べてみることで、その成長のプロセスを可視化します。教育の「ねらいと内容」は5つの視点があるのですが、その分類(領域)に従って展示します。

子どもの発達を概ね右肩上がりのグラフで表すとすると、それは直線にはなりません。カーブを描いたり、山並みのようにギザキザになったりします。身長や体重、手や足の大きさ、人間関係の広がりやコミュニケーション力、遊具のバリエーションや活動範囲、言葉の発達など、それぞれのテーマで異なりますし、個人差もあります。

特に表現の領域は「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする」ことです。そこで成長展では、1歳児クラスから子どもの4つの描画制作を展示します。4つというのは「自由画」「ぬりえ」「人物画」「シルエット」です。

シルエットというのは、人や家、犬などの形をしたシルエット(黒画用紙を切り抜いたもの)を子どもが白い画用紙の上に自由に並べて「お話」を語ってもらうます。それを先生が聞き取って説明文を添えたものです。

この4つを4月から2月まで、それぞれ4ヶ月ごとに作って並べます。ですから自由画が3枚、ぬりえが3枚、人物画が3枚、シルエットが3枚並び、その変化をみてもらいます。1年での「変化」の中に、子どもたちの成長の軌跡が見えてきますから、興味深い気づきが生まれることでしょう。

表現① 感じたことや考えたことを自分なりに表現する

2020/02/15

◆アートの中の「中間領域」

14日金曜日の夜、ある知人の保育園で、4歳の子どもが作った造形作品について、その園の先生(アート担当)からとても面白い話を聞きました。3歳児、4歳児、5歳児と成長していくにつれて、制作遊びも発展していくのですが「4歳児のクラスのある特徴に気づいた」とおっしゃるのです。それは昨日もお話ししたように、制作というアート(技術)の中にも「中間領域」がある話と通じるものでした。

「なんと名付けていいのかわからないのですが、ちぎったり、ハサミで切ったりしてくっつけていく過程で、いらなくなったものがたくさん出てきますよね。それがとても多いんです。ゴミというか無駄というか、余計なものへの配慮がまだあまりできないので、それがどんどん出てくる。5歳児クラスになると、それがあまりなくなる。3歳の頃は逆に少ない。そこまで活用しようとしない。この特徴に気づいたので、それをなんとか展示で伝えられないかと思って、作っている途中で出てきた、切り屑を取っておいて、ジッパーの袋に入れて作品の隣に飾ってみたんです」

(上の写真)

◆いらなくなったモノが知らせる子どもの発達

子どもの制作の結果としての作品だけを展示するのではなくて、その制作の過程で生じた「くず」「ゴミ」「無駄」の方にも目を向けてみるという展示方法。これはちょっと、深く考えてみたくなる気づきをいただいたなと、とても面白く感じたのです。子どもの造形のプロセスに目を凝らしてみる。しかも、その場で捨ててしまうようなモノ(あるいは再生用としてストックしておく)に着目する発想。そこに発達の特徴を感じ取るアーティストのセンス。

「それは面白いですね。それなら作品を1枚目のパネルに貼って、その制作過程で出た余りをその裏に展示して、どっちが作品かわからないような展示というのもアリかもしれないですね。それぞれが作品Aであり作品Bであるような」

作品Bの増加と減少の軌跡を発達に応じて展示してみるのも面白いかもしれません。ストックという量だったり、素材の種類だったり。2月29日(土)の成長展は、子どもの結果としての作品を展示するだけではなく、その作品が変化していくプロセスをお伝えします。その方法として、こんなアプローチも面白いかもしれないと思ったのです。

◆展示の仕方が園のアートになる

そして、こんなことを考えていてさらに気づくのは、私たちは何かにつけてすぐ「作品」というけど、それは意図した結果だけなのか、それとも偶然の結果も含むのか。あるいは人の営みでありながら、意識の対象に入らないものはアートとは言えないのか。その自覚の発達を追うこともアート表現になるような展示が可能なら、それは子どもの作品でありながら、子どもの発達を可視化するための、園あるいは先生の意図に基づく「展示という作品」になるものです。つまりアート展示の多層性をそこに見つけることができそうです。

佐久間橋児童遊園

2020/02/15

当たり前に過ごしている佐久間橋児童遊園。

子ども達はどんな場所でも過ごすことのできる力を持っていると思います。その力は、赤ちゃんから日常の中で様々な選択を自分でしていることや、やりたいことを見つけられる経験から育まれてくると思うのです。今わらす組の子ども達が佐久間橋児童遊園という場所を自分の生活の中で育めるようになってきたことで見えてくる、あの公園の環境をレポートしてみたいと思います。

 

 

⚫固定遊具でない遊具

ジャングルジムよりもちょっと難しい。

 

高さ感覚 

レベル別の高さ(何段目から飛べるかな?何段とばしで上れるかな)     

先日のブログでも書きましたが、様々な運動が能力を向上させます。これらの環境はそんな要素が沢山含まれていますね!ただ、これが出来るようになった、より面白く遊べるようになった背景には部屋でのクライミングゾーンや他の活動があっての今ですね。もちろん、この活動もこれからの運動に大きくか変わってくるでしょう。

⚫段差と危険がある

ほんまでっかTVで有名な脳科学の専門家がHQの重要性を訴えていますね。これは、乳幼児期に大切でありその時期にしか得られないことですが、この能力を向上させる上で必要なのが、少し危ない、危険な遊びといわれ、これらの経験が脳によく将来に大きく影響を与えるHQの獲得をしていくと言われています。もちろん、四月当初は危ないのでかなり止めていましたが大分危険を上手く安全へと変換できるようになってきた子ども達。この環境が機会をつくってくれました。

⚫外せない自然物

有り難いことに、ここでは季節によって花を植えてくれています。この色、つや、手触り、匂い、どれも魅力が溢れています。面白いのは人工的に植えられた花も好きですが、葉っぱや土、石を集めるのが好きな子ども達。もっと種類が充実しているといいですが、この環境があることがいいですね。

⚫夢中度が高い生き物の観察

小さな花壇で生きている生き物!!これは、子ども達を夢中にさせています!春はアリも触れなかった子ども達が夏にはカブトムシを触っていた、冬になってザリガニ、、、 次はカメ?かえる?何がいいでしょう。

 

⚫平均台? 様々な道具

環境の中に様々なスポーツジムの道具が隠れているようです。佐久間橋児童遊園の中には子ども達の平均台があります。 私たちの保育園はクライミングゾーンという出しっぱなしのスペースがありますが一般的にはホールなどでその都度出したり準備をして用意をしますね。これでは子どもがやりたいときにできる時間や機会が限られてしまいます。公園の中に色々と仕掛けられているといいですね。

 

⚫これだけは言いたい。外せない事

佐久間橋児童遊園に限らず、これがないことは問題だと思う環境を最後にご紹介します。

起伏がない

 

ということです。起伏がない事は保護者が思っている以上に体に影響が出ています。土踏まずの形成など有名ですね。乳幼児期の靴について先日保護者とお話をしましたが、靴が重要ではなく環境が原因で靴の機能が必要になったと言う点も外してわいけません。 また、子どもの転倒が多い、首から上の怪我をする子が年単位の調査で増加しています。転ばないように、また転んでから周りがすぐに助けたり、させないようにしている人的環境の原因が最近は取り上げられていますが、起伏がない事がそれを高めているようにも考えられます。もったいないですね。  こんな話をしていたらミューヘンでは、園庭などを人工芝に変えたのですが、結局お金をかけて起伏のある石や岩を入れ直したと園長が教えてくれました。起伏の重要性は奥が深いです。

⚫わかっている私たち

木場公園の芝生広場をみて保護者の皆様はどう感じるでしょうか? 多くの方が『こうゆう場所で、子ども達がのびのびと過ごしているのっていいな』『気持ちいいだろうな』 そんな気持ちを抱きませんか。    露天風呂や旅行で外へ出る、自然と関わることで癒されることはないでしょうか?きっと本能的にどこかでそうゆう環境が愛しいと感じる心があると思うのです。 子どもはより思っているかもしれません。  規模は小さいですが佐久間橋児童遊園も有能な地域の園庭です。物足りないと思ってしまうのは、こちら(大人)の勝手で子ども達はその中で生活を豊かにしていました。

でも、もっと自然豊かで色々できる所で、色々とやらせたいとも思ってしまいます。↓は私の息子と近所の公園ですね。こんな所へも子ども達を連れていってあげたいです

 

これを伝えたいと思った背景には、子が子ども達になり、子ども集団でじっくり、たくさん遊べるようになってきたと感じる姿がたくさんあったのです。そして、この姿に至るまでには、美しさよりもきっと失敗や、怪我トラブルといったことがありました。でも、失敗、怪我、トラブルは大人の意見。

子どもは常に挑戦している。挑戦の過程にいたのだと思うのです。できない、できた はよくわかりますが、その間にある姿こそを大切にしたいというメッセージを14日の研修会の中で印象に残った一言でした。 来週は、子ども達にフツフツと盛り上がっているバス遠足ですね!金曜日のおにぎり遠足。ご協力よろしくお願いいたします!

発達の中間領域を大切に

2020/02/14

自信のある人になるには、思いが受け止められることが世界を信じることになり(基本的信頼感)、そもそも自分の力で世界に働きかけること自体が喜びになったり(自己効力感)、さらにその結果が他人の役に立っているという手応えが返ってきたり(自己有用感)、そうした一連の自己に対して自分が未来に対して前向きに取り組めそうな気持ちが湧き出てくること(自己有能感)。今日14日の午後は、そうしたことに思いを巡らす時間がありました。

いずみこども園が開いた研究発表大会に参加してきました。3歳と5歳の公開保育、その後の研究協議、シンポジウム、記念講演です。研究テーマは子どもが自分を大切にすること、そして他者へも大切にできること。そうした人になるには乳幼児期にどんなことが大事なのか。実際にやっている保育を視察して、配布された資料を読んでこども園全体でどんな保育を目指そうとしているのかを理解して、そのアプローチについて、教育関係者が集まって知恵を寄せ合う。千代田区教育委員会がこども園に委託して2年間実践した研究結果の報告会です。

学んだことがたくさんありましたが、千代田せいがの保育実践と同じ研究根拠に基づいて、いずみこども園も実践していることがよくわかりました。乳幼児期からの発達観や環境を通した保育と援助、その中でも人的環境の質に焦点を当てた研究論文などが参照されていました。こども主体の保育や環境を通した保育など、保育理念や保育方針で世界が向かっている方向と同じでした。その羅針盤の役割を担っているのは、海外の保育動向に詳しい秋田喜代美・東大大学院教授です。記念講演の中で、印象に残ったのは保育のプロセスの質について、私が「成長の中間領域」と呼んでいるプロセスに言及したことでした。

私たちの認識は、対象を捉える時には、必ず無意識に節目や輪郭を設けてしまいます。切れ目のない移ろいを捉えることは苦手です。私たちは「できた、できない」「わかった、わからない」。その境目を漂っている意識を捉えることがとても苦手です。「やるの?やらないの?」「食べるの?食べないの?」「〇〇なの?○○じゃないの?」「ウンチは自分でしたか、しなかったか」「寝たのか、寝てないのか」。そうした区切りを求められて生きざるを得ないのが現代社会の特徴なのですが、発達のプロセスはもっと複雑系で、行ったり来たり、できたりできなかったり、わかったような、わからないような、そんなぼんやりした境目が定かでない「うつろい」を大切にしないといけないのです。

ここからが大切なのですが、それでも教育を語る人たちは、つい「できる、わかる、しようとする」に向けて、こどもに暗黙の圧力をかけてしまいます。どうしてそうなるかというと、それが「好ましいこと」だからです。でも、動機が善いことでも、結果がよくなるとは限らないところに、教育の難しさが潜んでいます。それを見分けることは、難しいことに思われますが、わかりやすい目安があることを、知っています。それは子どもが教えてくれるのです。

その暗黙の圧力を敏感に感じ取り、そこから逃れようとして「自分で、自分の中から、自分らしく」動き出したくて、思いっきり「イヤイヤ」を主張したり、本人にとっては「大きなお世話」と思えることから身を引いたり、その空間や場から逃れようとしたりします。それが多くの事例となって証明されているのが、学校や園に行くのが怖くなったり、自分の部屋に引きこもっている方々の存在です。自分を大切にすることは、その人を心から信じることが必要なのですが、その大前提が語られることが少ない気がします。

成長の「中間領域」を大切にすること。これも、大切な見守る保育のスタンスの一つです。その実例がクラスブログに、毎日のように報告されています。冒頭の写真は佐久間橋児童遊園ですが、「できるかなあ、どうかなぁ」と、身体と空間との内的対話が聞こえてきそうです。

お手伝い

2020/02/14

今日の朝、エプロンとタオルの準備をしていると「けいちゃんもやる〜」「とわちゃんもやってあげるね」とお手伝いをしてくれました!

 

最近、「やってあげるね〜」「やる〜」とたくさんお手伝いをしてくれれぐんぐんさんです♪

跳んで秋葉原

2020/02/14

今日は、佐久間橋児童遊園へ行きました。

なんと、アリが出てきていました。
「先生!みて」
「アリの赤ちゃんだよ」

この言葉に連鎖反応!!!アリ探しに夢中の子ども達です。「捕まえたよ」と帽子や手に採って見る子どもたち。潰さないように捕まえるのは、昨年の夏の経験でマスターしている子ども達でした!

 

●運動遊び

さて、公園では写真のように花壇からジャンプをする姿が・・・今日のブームでした。何度も何度も跳び降りていました。子どもたちの姿を見て、スポーツ庁?が以前出していた、運動能力の比較についての有名な例題のお話を思い出しました。

今日やっていた遊びは体育教室や体育指導の中では当たり前に行っている「跳び箱からジャンプ(跳び箱)」と同じ運動です。 せいが保育園で遊んでいる子どもたちを「A」 体操教室の子を「B」とした時に、どちらが運動能力が向上するかを比較すると「A」のグループと言われます。なぜでしょう?

体操教室などでは、跳び箱を前にスタートラインで一列に並んで、例えば指導者の笛の合図で「走って、跳び箱に登って、ジャンプ」をするのですが、自分の順番が来るまで待たないといけませんね。それによって経験する回数が、Aグループよりも少ないです。また、Aグループは写真の花壇だけでなく、階段や他の場所で様々な強度の中で跳ぶ行為をします。この「様々」が良いのです。他にも理由は様々ですが、簡単に言うと●●教室よりも自由遊びの充実のほうが結果的に能力を向上させているという事です。

●自由だからこそ生まれる自己理解・自分との「対話」

子どもたちは、様々な跳び方をしています。これが素晴らしい。「自分はどの程度ならできるのか?」「自分はこれはできる」という自分の能力を考えて跳んだり、降りたりしているのです。この経験は危険回避能力に大きく関わってくる経験ですね。また、周りに様々な跳び方をしている友達がいる。これも素晴らしい。「あの子のように跳びたい」という気持ち、「負けないぞ」「僕もできる」という一人では生まれない心の動きがきっとあると思うのです。

●見守る気持ち

様々な降り方をしていると「跳ぶまでに時間のかかる子」など様々な姿が出てきます。「早く飛びなよ?」「まだ?」というコミュニケーションを思い浮かべられませんか? 今日は、そんな事がなく待っていたのです。ただ、「まだ?」という気持ちはこれから出てくるかもしれませんし、「(どうやっているんだろう?)」と観察していたのかもしれません。見守っている子どもたちの心もいいですね。

●様々な運動の経験

降りる活動よりも、子どもに経験してほしいこちらの意図。という点を一つ紹介するとこちらです。

 

「登る」という行為です。自分の体重を支えられる力をはぐくむ経験ですね。これが、また難しい。全身運動なんです。この課題にあきらめる子もいましたが、わいわい組の高橋君が隣の段差をうまく使って出来る方法を見つけたり、助走をつけてやってみたり、とにかくジャンプ、ジャンプ、ジャンプ・・・試行錯誤の連続。このチャレンジ・挑戦もいい遊びですね。友達がいる事が意欲になる、自由にできる時間がいつも挑戦できる機会になっている。そんな佐久間橋児童遊園でした。登る行為をする際にその時には気にならない「お風呂に入ったらヒリヒリする」という擦り傷があるかもしれません。←様子を見てあげて下さい。

明日は、佐久間橋児童遊園についてレポートしたいと思います。

やりたい気持ちと頼る力

2020/02/14

先日・・・
食後に洋服が汚れてしまったゆうちゃんが新しいズボンを持ってお部屋に帰ってきました。
ズボンを片手に立っているゆうちゃんに、「履けるかな?」と言うと、立ったままズボンを足元へ…なんとな〜くズボンを履こうとしている様子です。
でも、立ったまま履くのはまだまだ難しそうです…。
「おすわりトン して履いてみたら〜?」と言うと、素直に床に腰をおろすゆうちゃん。

こうして、生活の中のふとした瞬間で、言葉の理解ができるようになっているのだなぁと実感しています。

気を取り直して、挑戦!

片足を高くあげてみたり、ズボンを持ち上げてみたりするけれど…なかなか手と足の位置がかみ合わず難しいようです。
片足をずいぶん高く上げているポーズが可愛くて思わず笑ってしまいました。

最後はズボンを頭からかぶってみようという、大胆な作戦に…(笑)ゆうちゃんらしいかわいらしい発想です!

最近、自分で上手く着られるようになってきたのは、れおなちゃん。
自分でやりたいのに、うまくいかない!のジレンマでイライラしているような時期もありましたが、できたときはとっても嬉しそうです。
時にはぐんぐんさんの力も借りながら…

 

自分でやってみようとしている姿は、子どもがいま自分の力を精一杯出し切って伸びようとしている姿。。そういう場面では、思いきり挑戦できるように、心の中で応援しながら見守ります。

でも、一方で、できないときに「やってー」と誰かにお願いする力も大切ですね。挑戦しながら、「このくらいはできるかな」「これは難しいかな…」と、体験を通して 自分で見極める力をつけているのかもしれません。

自分でやりたい気持ちと誰かに頼る力。どちらも大切なものですね。ちっちの子どもたちはその両方の力を ぐんと伸ばしているように見えます。

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