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地域連携(保育アーカイブ)

両国にぎわい祭り

2019/04/29

4月29日
【連休の過ごし方】
〈安政6年の両国橋〉
大型連休を皆さんはどのようにお過ごしでしょう。28日の昨日「両国にぎわい祭り」に行ってきました。
昨年から下町に足を運ぶことが増えましたが、きのう両国駅でその大きさに思わず見入ってしまったものが手形です。
子どもたちの手形でこいのぼりを作った時も、並んだ大人の手の大きさを感じましたが、横綱の手は、その比ではありません。
〈横綱佐田の山の手形〉
ちなみに、色紙に手形やサインができるのは十両以上の関取だけです。わたしは長崎出身なので「佐田の山」のを紹介します。東京出身の横綱は4人、東富士、栃錦、若乃花、貴乃花でした。
5月12日から5月場所が始まります。毎場所築く土俵はまだありませんでした。
〈両国国技館〉
江戸東京博物館(藤森照信館長)では、江戸時代の神田祭りの様子の絵を見つけました。幕府公式の祭礼の、当時のお神輿や山車の様子が分かります。「天下祭」と言われていました。
5月になったのは明治25年(1892年)からで、それまでは9月でした。大正になると「神輿渡御祭」に、昭和になると「神幸祭」と名称が変わります。平成になって、東京藝術大学学生制作の曳き物が加わりました。令和時代の神田祭は、どう変わっていくのでしょうか。
【平成の日ができる?】
今日は平成最後の「昭和の日」です。昭和天皇の誕生日です。この日は「平成」が始まる1989年から2006年まで「みどりの日」でした。2007年から「昭和の日」となり、それまでの「みどりの日」は5月4日に変わりました。
では令和になると「昭和の日」に代わって、あるいはそれとは別に12月23日が「平成の日」として休日になるかもしれませんね。国民の祝日がなかった12月に、平成を振り返ると言うのは、良いことだと思うのですが、どうでしょうか。ただ、明治天皇の誕生日だった11月3日が「文化の日」となったように、皇室と国民の休日の関係を歴史的に振り返る事は欠かせませんが。

神田祭がもうすぐ

2019/04/17

【神田祭りのざわつき】

この町らしさを感じ始めたのは、今年2月「今年は神田祭りが表だから」という言い方に接した時です。そのやや興奮気味の、待ちに待ったものが姿を現してくるときの感興を、その口調の中にのぞかせていたからです。もちろん神田祭を一度でも見れば、誰もが日本の「祭りらしさ」のイメージを代表していることに、また、それが祭りの本流の一つだと言うことに、気づかされます。
でも町会に入らないと、このワクワクしてくる感じは味わえないんだろうな、と今日、わかりました。今日何があったかというと、神田岩本町にお住まいの町会役員で、第57期議長も努められた石渡伸幸・元区議会議員から神田祭り用の、さらし一枚の日本手ぬぐいを頂いたからです。それは「宮鍵」と書かれた、粋な手ぬぐいです。あまりにカッコいいので、野暮は承知で早速、玄関に飾りました。
「宮鍵」をネットで検索してみると、次のような説明がありました。
【「宮鍵講」は神社の神輿庫の鍵を預かり、神職すら許されない神輿の出入を唯一奉仕できる講社でした。今日でも奉安殿の鍵を開ける時には必ず「御鍵渡しの儀」を奉仕しています。また、神田祭に使用した祭器具や調度品を取り扱ったとも言われています。】
千代田せいが保育園は、お祭りを支えている方々のど真ん中へ、一気にお招きいただくことになったのです。お招きくださったのは、宮鍵の石渡さん。神田祭初日の前日、5月10日金曜日の夕方4時、山崎パン本社でお神輿に魂(お御神霊)を入れる儀式がとり行われますが、そこに参会せていただくことになりました。
【わいわい組も散歩へ】
今日は初めて、3歳時クラスわいわい組もらんらん組と一緒に散歩に、夕方出かけました。子どもたちは、和泉橋を渡って佐久間橋児童遊園で遊びました。また、にこにこ組もオレンジ色の散歩カー(避難車)に乗って和泉橋から、佐久間橋児童遊園、万世橋警察署、万世橋、柳原通り、柳森神社、海老原商店というルートを巡ってきました。
海老原商店のイベントスペースから、聞こえてきた「音楽」に導かれて中へ入って行くと、にこにこさんたちのために、アーチストの方が演奏してくださいました。
【神田はデザインの専門街でもあった】
神田祭の、町のざわめきは、周辺を散歩する時も感じることができます。神田祭のポスターは、町会ごとに異なります。そのセンス、デザイン性、バリエーションの豊かさはどれも目を見張るものがあります。すべてのポスターを全部集めてみたいと言う願望に駆られます。神田の街の歴史に、印刷出版デザインと言う江戸時代から続く伝統を感じたからです。そのセンスを保育環境に持ち込みたい、この祭りのざわめきを子供たちと共有したい。散歩の目的が新たに見出された日になりました。

都立木場公園に実踏へ

2019/04/14

【区のバスを借ります】

今日は木場公園へ下見に行きました。何の下見かというと、戸外活動先としてどんな活動ができるかについての下見です。(映画などの制作ならロケハンでしょうが、私たちの教育界ではこれを「実踏」(じっとう)と呼びます。)
千代田区は、私たちの園のように、園庭を持たない保育園のために、バスを無料で提供してくれます。その1回目の利用を5月に実施します。その行き先に、いくつかの候補の中から「都立木場公園」を選んでみました。
【都立木場公園とは】
東京都公園協会のサイト「公園に行こう」( https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/about020.html)によると、〈木場は、江戸から昭和にかけて、江戸・東京へ材木を供給し「材木のまち」として栄えてきました。
昭和44年には、江東再開発構想のなかの防災拠点の一つとして位置づけられ、木材関連業者が現在の新木場へ移転したのを機に、水と緑の森林公園として整備されました。〉
南北に長いこの公園、とても広くて、バスの駐車場もあります。そこから、降りてすぐの所に、広々とした原っぱの「ふれあい広場」が広がっていて、ここなら、思いっきり走り回っても大丈夫です。

小学校の入学式

2019/04/08

千代田区は今日が、小学校の入学式。私はこれまで、八王子市の小学校に毎年、卒園児の入学をお祝いに行っていました。千代田せいが保育園からの卒園児をお祝いするのは、来年からです。数年も経てばいくつもの小学校に入学することになるでしょう。当園のある神田岩本町は、千代田小学校区になりますが、今年は当園から最も近い和泉小学校にいかせていただきました。
並ぶ官庁    広場   濠
帝の官居    とりめぐり
わが千代田区に誉あり
大東京の中心地
江戸の名残も風情にて
ここを都の都とぞ
澄める千代田の城の月
これはご存知、「千代田区歌」です。作詞は佐藤春夫、作曲は山田耕作。国家斉唱の後に、子どもも含めた参会者一堂で、これを歌うという千代田区にあっては当たり前の事ながら、新参者の私にしてみると新鮮でした。
「わが千代田区に誉あり」という歌詞は、祈念でも、希望でも、願いでもなく「大東京の中心地    江戸の名残も風情にて    ここを都の都とぞ」という「歴史的事実」であることに、改めて感慨を抱いたのです。ちなみに私の師匠は、今川中出身なので、この歌を歌うことができます。
さて、私の感慨について、もう少し触れさせてください。この3月まで私がいたせいがの森こども園は、八王子市の多摩ニュータウンにあり、街開きの1997年に開園しました。同じ年に小学校も開校しました。ですから地域の歴史はたったの22年です。開園当時のキャッチフレーズは「地域を創る保育園」でした。当時よく使われたキャッチフレーズに「地域に開かれた保育園」と言うものがありました。しかし、開く先の地域がなかったのですから、地域を創るしかなかったのです。
それにひきかえ、千代田区は徳川幕府の開幕まで遡るわけですから、その歴史の差はあまりにも大きすぎます。「千代田の城の月」の「城」は「江戸城」ですから、月を眺めるお月見ひとつにしても、その味わい深さは格別のものを感じます。今年は園のテーマを「地域」としました。千代田区が一体どこへ向かおうとしているのか。地域の方々と語り合いながら、まずは、よく見つめていく1年にしていきたいと思います。

地域に根ざした保育園をめざして

2019/04/01

ご入園おめでとうございます。いよいよ園生活のスタートです。4月から仕事を始めるにあたって初めて子どもを保育園に入園させる方、仕事は継続中だが他の保育園などから転園される方、いろいろなライフストーリーの中で、入園は皆さんのご家庭にとって、一つの大きな節目になることでしょう。私たち職員にとっても、できたばかり園舎での生活ですから、正直なところ、どんな生活が始まるのか、楽しみであると同時に、まだまだ見通せない面もあります。ただ昨年11月の開園説明会や2月の入園説明会でお伝えしてきたように、子どもたちが保育園生活の主人公です。この町が故郷になっていく子どもたちにとって、何がふさわしい経験や環境になるか、皆さんと一緒に楽しい生活を作り上げていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

ところで、千代田せいが保育園の住所は、神田岩本町15番地7です。神田須田町二丁目がすぐ隣です。保育園は4月から岩本町三丁目町会に入会します。皆さんはご存知なのだと思いますが、昭和通りができる前までは、保育園のある場所と、通りを挟んだ東側とは、同じ町会だったそうです。現在は昭和通りによって園のある場所が飛び地のようになってしまいましたが、柳が昔並んでいた柳原通りは東西に長く繋がっています。保育園が所属する町会は岩本町三丁目町会なのです。訳して「岩三」と呼ばれるこの町会は「既製服問屋街発祥の地」で、高度経済成長期には、ここから全国のデパートへ既製服がどんどん出荷されていたそうです。さらに歴史を遡ると、江戸時代には古着市が開かれていました。今風に言えば「メルカリ発祥の地」でもあるのです。

こうした専門問屋街が江戸城下町にまで遡る下町文化だとすると、その風情を少しでも感じてもらえたら、と園舎を「蔵」のイメージにしたのが、私の上司にあたる統括園長の藤森平司です。藤森は今川中学校出身で、幼少期を鳥越神社のそばで過ごしました。この地に私たちが縁をいただいたのも、それが決め手です。江戸っ子は「喧嘩っ早いが涙に脆い人情家」「いきでいなせで、細かいことにはこだわらない」と言われます。藤森も「話はぶっきら棒に聞こえるが、本当は優しい人が多い」とよく言います。

4月6日(土)には、藤森統括園長が保護者の皆さんに講演をします。アフリカのことわざに「一人の子どもが育つには村中の人が必要」というのがあります。私が好きな言葉です。いろいろな視点で保育を語っていきたいと思います。この巻頭言の他に、ホームページの園長の日記も併せて読んでみてください。

和泉小学校といずみこども園

2019/03/28

今日はいよいよ建築会社から法人への引き渡しです。園舎の管理運営が本格的に法人の手に委ねられました。
午前中に、和泉小学校といずみこども園に挨拶に行ってきました。和泉小学校の渡辺校長先生は、私たちのために校庭や体育館の提供を約束してくださいました。また、いずみこども園の小林園長先生は19日の内覧会にも足を運んで下さりました。子どもたちとの交流などで何ができるか相談させてもらうつもりです。地域の小学校とこども園と、心強いパートナーを得て、地域に根ざした保育を作っていく気持ちを新たにすることができました。

姉妹園とどう連携するか

2019/03/27

私はこの日、八王子のせいがの森こども園で職員会議と園内研修でした。社会福祉法人省我会は、1979年に八王子市に「省我保育園」を開園して以来、1997年に同じ八王子市内の多摩ニュータウンに「せいがの森保育園」(現在は、こども園)を、2007年には新宿区下落合に「新宿せいが保育園」(現在は、こども園)を開いてきました。今日開かれた法人理事会で、千代田せいが保育園の新年度事業計画と予算案も承認されました。姉妹園はそれぞれ地域環境に特徴があります。新宿には、園舎の隣に「おとめ山公園」がありますし、八王子にはすぐ側に自然保全型の「長池公園」があります。それぞれの場所を子どもたちが体験できないか、どうやったら距離を乗り越えられるか、そこが課題です。

園庭はなくても、町全体を園庭に

2019/03/26

ちっちゃな園庭でこじんまり遊ぶより、広い地域そのものが園庭なんだ。そんなつもりで戸外活動も積極的に行う予定です。今日は散歩コースの確認。園舎から、歩道橋を渡って昭和通りを越え「和泉公園」「佐久間公園」「美倉橋東公園」の遊具状態をチェック、人の混み具合なども皆で体験しました。柳原通りを直進して美倉橋を渡るルートが比較的、安全です。
エアスプリング素材の布団が届きました。通気性の良い新品の布団です。厚みがあって、程良い反発性が心地よい眠りを作り出しそう。サイズは大きめですが、2つ折りにして布団庫に収まりました。この布団のサイズにぴったり合う専用のシーツを使ってもらい、保護者の方には、週に1度取り替えてもらうつもりです。
神田川側のベランダには、窓ガラス上部部分に転落防止のネットを張りました。普通に生活している限り、十分な高さの窓ガラスのフェンスですが、子どもは思いもよらぬ行動をとることがあり得るので、万が一に備えた措置です。子どもたちは窓ガラス越しに、風景を楽しむことができます。またその窓ガラスには、外部からの覗き見や、撮影などから子どものプライバシーを守るために、ドットの大きさがグラデーションになったフィルムを貼りました。和泉橋の歩行者や、向かいの高層ビルなどからの視線を防いでいます。

内覧会を開催します。

2019/03/16

内覧会を開催します。

3月19日(火)15時~19時30分
千代田せいが保育園内を
観覧していただけます。

園玄関にて お名前 電話番号を
ご来園帳にご記入いただきます。

上履きを各自 お持ちください。

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