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地域連携(保育アーカイブ)

「おとといの富士 あさってのブルーライト」展示は6/25まで

2021/06/13

昨日でも明日でもない間(あわい)の光景。そのもう一つの、別のアーティストによる作品群もまた、海老原商店に溶け込んでいるような展示になっていました。作者の林俊さんからは、かなり長い時間、作品の背景や意図などの説明を聞かせてもらいました。

こちらも秋山さんと同様にボンベが登場します。でも本物のボンベもあります。林さんは実家がガス屋さんだったそうで、幼少の頃から、ボンベを運ぶ台車に乗せてもらって遊んでいたそうな。ボンベとボンベがぶつかる音を毎日聞いて育った林少年は、それが運ばれ、管で繋がれ、ボンベの中身と使う場所とのつながり具合のようなものが作品のモチーフになっていった、のかもしれません。

林さんの話を聞いているうちに、私たちは誰もが自分と他者を隔てている境目を、無意識のうちに持つようになるが、それが身体の皮膚が境目であるという思い込みがどこから来たののだろう、と勝手なことを想像し始めてしまった。どうも人によってその境目は「扉のこちら側と向こう側」のような関係になっていて、その境目と感じるイメージも、時間を遡っていくと、かなり個人的な世界の深みにハマっていってしまいそうなイメージがわきおこってくる。

林さんには、その境目に美しさを感じるようで、ボンベが錆びてしまっている箇所だったり、朽ちて壊れた破片が落ちてしまったり、割れてしまったりしたものを、もう一度気持ちのいい「かたち」にコラージュしてしまう。作品は扉が壊れまた再生されている途上のようなあわいを、固定していました。というわけで、海老原商店そのものが、コラージュされるキャンパス自体になっているので、作品と展示会場の境目がわからない。そこが面白い。

昨年秋、歯科の山本先生にミニ講座を開いてもらった、1階の畳の和室が、床が剥がされて、まるで工事中かのような風景になっていたのですが、それが作品でした。林さんは、ステレオタイプ化された社会問題の「枠」ではなく、あくまでも個人的な実存の問題としての「枠」をモチーフにしているように感じました。

2階にあがると、壁に飾られたオブジェがしつらえてあって、それも壁と融合しているのですが、その美しさのままでいてほしい空間に仕上がっているのでした。

 

「おとといの富士 あさってのブルーライト」

2021/06/13

ここに「勿体」がある。

勿体とは、物体のことであり、物質の本質、物事のあるべき姿といった意味だったものから、それを損なうことを「勿体ない」というようになったし、一方で尊大なものや、大袈裟なものも意味するようになり、「勿体つける」という言い方もある。

という言葉の意味を踏まえて、この作品には「勿体」と書いてあるわけです。これは勿体です、と自己表示してあるのですが、形はボンベです。ガスボンベの中身がどんなガスかはわからないのですが、ガスですから見えません。でもその容器であるガスボンベに勿体と書いてあるということは、見えないガスを大事にしてね、という意味かな?と想像したりしていました。

すると、このボンベは全部、蜜蝋でできているというではありませんか。匂ってみると確かにロウの匂いがします。大事なのは中身じゃなくて、この蜜蝋でできた容器そのものの方にしか意識が向かわなくなりました。

それはそうです。それが作品なのですから。ペンケースのような形をしたカラフルな容器から、床の間のサイズを実測して作られた巨大な直方体にしても、すべて蜜蝋でできています。それだけでも圧巻です。

作品はあたかも、古民家の床や畳や棚に無造作に置かれているようでいながら、しばらくいると、ずしっとした人体のような重さを感じてしまうのは、柔らかな素肌のような鈍い光だからでしょう、海老原商店の空間と均衡関係をつくりながら、「そうか、勿体はこの海老原商店自体がキャンパスだと思えば、この蜜蝋は絵具の位置にあるのか」と気付くのです。

そう、この作品はオブジェでもスカルプチャーでもなく、絵画なんだそうです。

これを作成したアーティストの秋山珠理さんは、6月11日夕刻のトークタイムで、エキゾチックな雰囲気で語ってくださいました。

「作っているときは、肌も髪も蝋まみれになって」「よくある表現って、どうしても何か貼り付けている感じがあるけど、蜜蝋にはその境目がどこかわからない」「センセーショナルなものがないとアートたりえないとしたら」・・・

自身の口から語られる言葉を瞬間凍結させながら、何もないのかもしれないことを過去のものにしながらも保存される容器に、なぜか郷愁とエキゾチズムとエロティズムを古民家空間で表出させているのです。

そうか、だから今と昨日と明日がないのか。そんな鮮明な時間はここには似合わないから「おとといの富士 あさってのブルーライト」なんだろうか。このことに気づかないと、もったいないってことか。

みなさんからの「おすすめ散策スポット」まとめました

2021/05/25

◆本日5月25日、「親子ふれあいイベント」のパンフレットを配りました。

20210525 親子ふれあいイベント パンフレット

保護者の皆さんから頂いたおすすめスポットとおすすめ公園を一覧にまとめました。

ホームページの「行事」に載せましたので、ご覧ください。

(下のイメージは、その一部ですので「行事」のサイトをご覧ください)

◆今年の「親子遠足」は、本来でしたら先週の5月22日(土)に実施予定でしたが、コロナ禍の緊急事態宣言下ではできません。それを見越して4月27日から前倒しで約1か月、できることをやってみよう、という「親子ふれあいイベント」を実施しています。

◆皆さんからお寄せいただいた「おすすめのスポット」「おすすめの公園」による「お散歩マップ」です。私たちも知らなかった施設やパークが「こんなところに、あんな場所にも」たくさんあって、とても楽しいマップに仕上がりました。できかなった「親子遠足」の代わりに、休日の過ごし方の参考にしていただけたら幸いです。

◆さて、すでに実施したものを含めて「親子ふれあいイベント」の全体像をまとめると・・・

第1弾は「稲を育ててみよう!〜藤崎農場〜」として、苗をお配りしました。

第2弾は「ちいきの方々インタビュー」として、日頃からお世話になっている、絵本の読み聞かせの「福田さん」とボタン屋の岡さんにインタビューをしました。リンクされたサイトでご覧ください。

第3弾の「フラワーアレンジメント」は来週から実施します。お花セットをお渡ししますので、休日にでも親子で、心のおもむくままに、自由に楽しんでみてください。

 

青木尚哉さんの探求の凄み

2021/05/22

美と表現の関係を考えたくて、ダンサー青木尚哉さんと海老原義也さんの対談を聞いてきました。そして青木さんの「探求」の奥深さに驚きました。あのダンスは、これだけの努力と実践の中から編み出されているものなのか、という凄さに改めて深い感慨を覚えたのでした。

この感慨は「そのよさがわからないのは私のせい」だと、改めて思い致すようなことなのです。そういう世界は確かにあります。こちらがわかっていない、気づけていない、感じることができない、そんな美の世界かもしれません。食べ物に例えると、わかる人にはわかるワインの味、極めた人にはわかる野菜の味など、その手の「通の世界」の美に近いものです。まあ、私の思い込みかもしれませんが、探求され続けている青木さんの身体への迫り方には、それまで考え抜かれた技法の洗練があることに気付かされると、それはもう「納得せざるをえない重み」のようなものが迫ってきます。プロって必ず、こういうすごい深みを持っているものなんですね、やっぱり。

青木さんが開発したポイントワークは、門下生へ伝えるために体の動かし方をデジタル化したものでした。自らの身体の主要な場所40箇所に通し番号が振られ、そのポイントで形作られる点や線や面を自己意識することで、イメージ通りの動きを自らが意識化しているのです。しかも自らの身体とそれを取り巻く空間とも一体化したような身体感覚を獲得しながら、新しい自己意識と世界とのつながり具合さえも更新しながら舞う。なんと斬新なダンスでしょう。こんな実践理論をお聞きすると、これはもう生き方のポイントワークへと応用したくなりました。その前に、保育の地平をポイントワークの発想で再構築することができるのかもしれないと、ちょっとワクワクしたのでした。

子どもの表現についてアーティストらと懇談

2021/05/02

先週425日の日曜日に海老原商店で青木さんが主催した座談会がありました。ダンサー、作曲家、演出家、写真家などのアーティストが集まりました。アーティストというのは別の言葉で言うと表現者ですが、何をどうやって表現するかはそれぞれです。何を語り合ってもいいのですが、私は自分の考えを言葉で表現することもアートだと考えていることと、子どもが言葉を話し出すことや体を動かしたがることの「ベクトル」の話をしました。自らが世界に向かって語りだす方向と力についてです。そのベクトルと成長と一致させるための表現を保育にしたいと思っているという話です。子どもが環境に関わって現れる軌跡がアート表現になりうる条件とは?そんな話です。青木さんはダンス指導の方法を語りました。その話を聞いていて、どうやったらもっとよくなるかは、そこに何らかのよさを見出していくような専門家から見た「見る目」というものがあることがはっきりとわかります。私はその判断はもちろんできませんが、子どもの心の動きに伴う対応についての「より良いもの」についてならわかります。リトミックを創ったダルクローズに詳しい方とリズムについて話し合うこともできました。表現の本質を探究する方々との語らいは楽しいものです。ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」を読み直すことにしました。

親子ふれあいイベント第一弾「稲の配布」

2021/04/23

 

親子遠足の代わりの「親子ふれあいイベント」を早速始めます。その第一弾は「親子で田植え!」です。苗を配布しますので、家庭で育ててみてください。この稲は私と事務長の2人で、昨年秋に稲刈りをした田んぼの稲です。藤崎農場といいます。この田んぼは私たちの法人で長く付き合っている田んぼで、「耕さない田んぼ」で有名です。無農薬ですから、水田の中にはメダカなどの水生動物がたくさん棲んでいて、空中には虫が飛び交い、サギなど鳥もきます。

そんな生態系が守られている、これから求められているSDGsにふさわしい田んぼです。自然の風雪に晒されているからか、数年前の台風でも倒れない強さもあります。

この藤崎農場の田んぼの仕組みの紹介YouTubeです。見てみてね!
https://youtu.be/I4i9VmC_Ma4

その田植えで使う稲がもうすぐ届きますので、そのお裾分けです。容器を持ってきていただけば、荒木田土とセットで差し上げますので、ちょっと変わったインテリアとしても育ててみてください。

20210423 稲お知らせ(親子ふれあいイベント第一弾)

 

旧今川中学校の校庭で

2021/04/23

千代田区から毎月第2火曜日に借りている旧今川中学校の校庭ですが、先週は雨だったので今日23日に借りることができました。今年度初めての校庭遊びです。新しい、年中らんらんと、年長すいすいで出かけました。

年長と年中だと言っても、先月までは年少、年中だった子どもたちだけに、安全第一でゆとりを持って歩いていきました。列が広がらないように、また前のお友達から離れないように、同じペースで歩くのも難しい段階です。体力もあまりないので、まだまだ時間もかかります。また中学校まで横断歩道が大小合わせて8箇所あり、「右見て左見て、また右を見て」と交通ルールを確かめながらの散歩です。

校庭についたら、ルールを確認した後で遊びました。広々とした空間を走り回ったり、縄跳びやぽっくり、ボール遊びなど思い思いの遊びを楽しみました。

このような広い空間に出ると、普段できないだけに、喜びも意欲も全開です。ちょっと足りないぐらいの方が、大事にしたり、返って意欲が引き出されたりすることもあることがわかります。これから1年間、この子たちがこの空間をどんな風に使いこなしていくか、とっても楽しみになりました。

 

 

今年度初のバス遠足は浜町公園へ

2021/04/20

全国130カ所で25度を超える「夏日」となった今日20日、今年度初めての「バス遠足」を幼児たちが楽しみました。行き先はバスで10分あまりで着く「浜町公園」です。この公園はブランコや滑り台、シーソーやジャングルジムなどオーソドックスな定番の大型遊具が充実しており、園児たちにとっては飽きない公園です。

3歳児クラスの「わいわい組」は、初めての浜町公園でしたが、ネット遊びやクライミングに馴染んでいる子たちは、大型アスレティック遊具の登り板を躊躇なく登っていました。

すでに馴染んでいる4歳のらんらん、5歳のすいすいの子たちは、最初からやりたかった遊具へ一目散。ブランコにはすぐに列ができていました。

アゲハ蝶も飛んでいて、虫好きの男の子たちは夢中で追いかけていました。しばらくすると、器用に帽子で捕まえたそうで、走って見せに来てくれました。とっても嬉しそうです。

保育園へ持って帰りたい気持ちもあったと思いますが、そこはお友達と話し合って逃してあげることにしたそうで、こんなところにも、経験の積み重ねからくる年長らしい育ちを感じます。

夢中で捕まえたものを放してあげる、優しさや心の余裕は、3歳4歳では難しいものだからです。

園庭のない保育園にとって、広い公園で思いっきり走り回れるのもありがたいことです。この公園にはラグビーボールを輪切りにしたようななだらかな丘があるのですが、そこへ走り上がったり、坂を駆け降りたり、全身のバランスを手や足を協応させながら、思いっきり走り回ることで滑らかな身体を育てます。

今日は、遊具の方へ興味が強かったので、鬼ごっこなどは見られませんでしたが、そのうち、いろんな身体的な遊びがこうした公園でも見られるようになっていくことでしょう。

それにしても、4月下旬で夏日に近い日があり、台風も沖縄にくるような気候変動、温暖化に加えて、新型コロナの変異ウイルス感染の拡大で東京もまた緊急事態宣言へという流れになりそうです。思うような活動がやりにくい状態が続きます。行事も含めて、できることを柔軟に実施しながら子どもたちの発達を支えていきたいと思います。

 

布川先生からの贈り物は鉛筆供養の「北星鉛筆」

2021/03/29

今年度もあと3日。卒園する年長組の「すいすい組」に、この1年間「書」の楽しみを伝えた布川先生からプレゼントがありました。短くなった鉛筆を「供養」してくれるのが四つ木ある「北星鉛筆」です。そこは保育園で集めた5センチ以下の鉛筆5本につき、一本をプレゼントしてくれます。そこの鉛筆を布川先生が持ってきてくれたのです。

鉛筆は人間が発明した偉大な技術製品ですが、小学生になると、毎日お世話になる道具。卒園のいい記念になりました。

(鉛筆供養で検索してみてください。工場見学もできるようで、いつか園児を連れて行ってあげたいものです)

 

zer〇の公演「偏向する傾斜」を観て

2020/12/27

(上の写真は「zre〇」のパンフレットより)

人の生活から文化活動を除いてしまったら、それは味気ないものになってしまいます。子どもから遊びを除いたら人間ではなくなってしまうように、大人も文化活動をなくすことは、ある意味で人間性が疎外されてしまうものなのかもしれません。12月27日(日)はダンサーの青木尚哉さんのグループ「ZER〇」が主催する公演を観てきました。青木さんと出会ってからというもの、私のダンスや踊りというものへの見方が大きく変わりました。青木さんたちのダンスを観ることで「身体」と「表現」の関係を考えることが増えました。

 

公演のタイトルは「偏向する傾斜」。偏向とは考え方がかたよっていること。またそのような傾向のこと(公演パンフレットより)。新型コロナウイルス対策を徹底した中での舞台公演は、それを実施することも参加することも、状況と見方によっては「偏っている考え」と批判されるかもしれません。公演はそうした社会のありよう事態を舞台の上に再現したかのような内容でした。全てがナナメで出来上がり、ナナメから捉えられ、あたかも世界はナナメであるからこそ生じていると思えるような傾斜ぶり。

青木さんの舞台は、舞踏に限らず音楽、映像、物も活かされます。パソコンの画面が舞台背景に写し出されると、右肩にデジタル時計が時刻を刻み、観客席の一角に備えられた「ピタゴラスイッチ」風の仕掛けから、傾斜した溝をビー玉が転がり音を出し、それが電子音リズムを奏ではじめ、舞台上には斜めに立ちすくむ5人のダンサーが段々とその姿勢を背後に反らしながら、ゆっくりと傾いていきます。そして物語は、そもそも私たちの地球の地軸がやや傾いていることから始まりました。

人との関係が身体を通じて応答しあっていること、斜めに絡み合っている人間たちの愛や孤独や葛藤や衝突や和解も表現されていて、複数の身体の動きから、こんなにもたくさんのイメージを創造することができることに感服しました。例えば、身体と身体の一致とずれが可視化されています。

バレエにしてもアイスダンスにしても、動きが美しいと感じるのは、他者の手や全身の動きに調和した相似形やシンメトリーなものが多いですよね。ところがその点、ZEROのダンスはその一致加減やズレ加減をあえて際立たせます。親子運動遊びでも体験した「マネキンとデザイナー」のように、形を同じように合わせよとしたり、あえて異なるようにしたりする動きが、まるで社会の中で考えに同意したり異なる意見を表明したりする人間関係を表しているかのようでした。

ZEROは「身体の重要性を唱え、学びと創造を続けるダンスグループ」です。その活動目的はユニークです。「誰がも持っている身体をテーマの中心に置くことで、舞踏に限らず音楽、映像、建築、医療、教育など分野を超えて人々の共通言語やつながりが生まれ、それぞれが個人の能力を発揮できる場となること」を目指しています。このことをきちんと理解した上で、舞台を見つめると、その表現にこめられた思考や意図の痕跡が伝わってきて感動したのでした。

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